平繁無忙の何でも書くブログ

  • 今後の日本人ノーベル賞受賞者は減り、「元」日本人ノーベル賞受賞者は増えるのでは?

    日本は非欧米圏の中ではノーベル賞受賞者が非常に多い国です。多分1位のはずですが、今後はノーベル賞受賞者が減るのではないかと危惧されています。その理由は、大学・企業・研究施設において基礎研究への予算が削られているから、ということがよく言われます。

    偉くて詳しい人がそう言っているので、多分そうなるのでしょうけれど、昨今の教育事情を見るとまた違う印象を持ってしまいます。

    かつての日本教育は記憶偏重だとか偏差値重視だとかいろいろ批判されていましたが、現代では、進学校や私立校ではかなり工夫された、理系も含めた興味深い教育が行われています。

    少子化である以上、日本人自体の分母が減っていきますから、その点から見たら確実に受賞者は減るでしょうけれど、分子たるノーベル賞受賞可能性がある人の数や割合というのはそんなに落ちないのではないかと勝手に思っています。

    とはいえ、研究環境が予算などの理由で悪化していれば、結局はノーベル賞受賞に値する研究は行えません。人がいても無理になります。

    ということで、今後は日本国外で研究して、それこそ南部陽一郎氏のように移住して国籍も変えてしまう形で、「元」日本人の研究者がノーベル賞を受賞するケースが増えていくのではないでしょうか。

    英語さえ出来れば研究はどこでも出来ます。より優れた研究者がより優れた研究環境を選んで移住することは至極当然です。

    そうしないためには、日本国内における研究環境を良くするしかないのですけれど、出来ますかね?

  • USBメモリのことをUSBと省略する理由?

    DOSの頃からパソコンに触れてきた中年の人間からすると、若い人らなどが、
    「USBフラッシュメモリ」
    のことを
    「USB」
    とだけ略して話している時にちょっとビックリします。最近は慣れましたが、それでも前後の文脈を探って脳内で理解する必要があります。

    オジさんにしてみると、「USB」とは「ユニバーサルシリアルバス」のことであり、USB普及以前までよく使われていた、パラレルポート、シリアルポート、PS/2ポート、外部SCSIなどに取って代わった、まさに「Universal」な周辺機器接続方式のことであって、USB接続タイプのフラッシュメモリのことだけを指し示すわけではないので、そういう使用法に接すると戸惑ってしまうわけです。老害扱いされたくないので、そんな場面でも別にいちいち突っ込みませんが。

    ITに詳しい人では、それなりに使い分けはしているようにも思えます。USB接続のデバイスをフラッシュメモリ以外にもたくさん知っているからでしょう。

    逆にUSBメモリをUSBと略す人は、自分が最もUSBを使うデバイスとしてUSBメモリを認識しているから、特徴的な名前として使用しているのでしょうか。USBは接続方式であり、メモリはデバイスの種類です。文脈からいって、不揮発性メモリか揮発性メモリか、PC内蔵タイプか外付けタイプかなどの区別は容易に付くのですが、USBメモリを「メモリ」と略したらそれはそれで混乱するでしょうね。

    マウス・キーボード・プリンタ・スピーカー・HDD・SSD・光学ドライブといったデバイスのみならず、今ではUSB-C経由で大容量の電源供給も可能になりました。

    その一方で、クラウドストレージも普及してきましたので、データ移動にUSBメモリを使用するケースも減っていくでしょう。そうなると、そんなにITデバイスに詳しくない人が一番接する「USB」は、充電のため電源ケーブルとして使用するケースになるでしょうから、
    「バッテリ切れそうだからUSBつないどいて」
    とか
    「USBが抜けてたから電源入らなかった」
    というような、コンセント・電源ケーブルを意味する言葉になるんじゃないでしょうか?

  • 楽天モバイル版のAQUOS sense6がついにAndroid13にアップデート

    昨年秋から使用している、楽天モバイル版のAQUOS sense6がついにAndroid13にアップデート出来るようになりました。

    https://network.mobile.rakuten.co.jp/information/software/aquos-sense6/

    アップデートしてみましたが、結構時間が掛かります。データのダウンロードとインストールで1時間以上は費やしたはずです。夜中にしたので正確な時間は分かりませんが。

    晴れてAndroid13になったとはいえ、そんなに見た目は変わりませんね。色々細かいところは変わっているのでしょうけれど、使い勝手は12と比べて気になるようなところはありません。

    Android機はiPhoneに比べると、どうしたってOSアップデートの回数が少なくなります。Google謹製のPixelシリーズですら、iPhoneには叶いません。

    それでも、昔に比べるとアップデート出来る機種や回数は増えてきました。メーカー・キャリアがその弱点を認識しているのだと思います。かつては、一度のOSアップデート無いまま終わるAndroidスマホも珍しくはありませんでしたから。

    このAQUOS sense6はSoCやメモリはすごくないものの、軽いし小型ですので持ち運びやすさについては気に入っています。これより小型軽量となると、Rakuten miniやjerry2みたいな超小型で尖った機種か、ASUSのZenfone9みたいな10万円クラスのスマホになってしまいます。

    Xperia10 IVもありますけれど、ミドルレンジの上の方の価格がすると、すぐ買おうとは思いませんし、今のAQUOSがAndroid13になったので、まだしばらくは使うつもりです。

  • 2023年3月18日J1リーグ第5節ガンバ大阪対北海道コンサドーレ札幌試合観戦の感想

    前半に2失点するも後半に2得点しての引き分けと、前半に2得点するも後半に2失点しての引き分けは、どちらも結果としては同じです。順位に与える影響も同じですが、ファン心理としては後半に追いついた方が次節以降への期待が膨らむものです。

    リーグ戦では2分けの後に連敗し、負け方も内容も悪い試合が続いているガンバ大阪ですが、なんとかこのホーム連戦で立て直してもらわないと困ります。

    午前中に雨が上がるも気温は上がらず、涼しいコンディションで開始したゲームは、神戸戦・広島戦に続いて開始直後の失点から始まりました。

    リーグ戦で3試合続けて起きるのなら、運が悪いと言うよりも明確に失点の原因があるはずです。選手の能力が足りていないのか、監督の指導に問題があるのか、チームの共通理解が出来ていないのか。

    その後も攻撃面ではボールをつなげず、むしろ京都戦のようなDFラインからのロングボールの方がまだ期待が持てるくらいです。ポヤトスを連れてきた意味があるのかと悩む内容でした。

    さらに32分、福田のバックパスがズレて相手に拾われ、そのままシュートを打たれて失点。チーム状態を表すかのような失点シーンでした。

    失点が守備に悪い影響を与え、それがさらに攻撃にも悪影響を与える悪循環に陥るとどうしようもありません。

    後半開始も選手交代は無く、低調なパフォーマンスが続きますが、福田・理仁に代わってダワン・石毛が入ると試合が一変します。

    右サイドでボールを綺麗に回し、ネタラヴィが素晴らしいスルーパスを通し、半田が完璧に突破して丁寧に入れたパスを入ったばかりの石毛が即ゴール。石毛は京都戦同様に交代直後の得点です。

    さらに直後のプレーで、今度は左サイドを再びパス回しで突破。黒川のクロスを杉山が優しく落としてファンアラーノが蹴り込んで電光石火の同点劇となりました。

    その後もチャンスを何度も作りましたが惜しくも勝ち越し点は奪えず。終了間際のピンチも東口が防ぎ、両チームとも勝利を逃した格好の、2-2の引き分けに終わりました。

    得点経過から言えば、勝ちを逃したのは札幌と言えますけれど、決定機の数で言えば3点目を取り切れなかったのはガンバの方でした。

    お互いに収穫と反省が残る試合でした。

    個人的マンオブザマッチはネタラヴィです。多分、異論がある人は少ないのではないでしょうか。反撃の1点目につながるパスは絶妙でしたが、攻撃以上に中盤でのボール奪取が素晴らしかったです。ボールを奪っては中盤を整え、チームの攻守の中心になっています。もはや今のガンバで一番欠かせない選手です。よくこのクラスの選手を獲ってきたなと感心します。

    宇佐美・ジェバリの怪我もあって攻撃の駒不足は否めませんが、それでも得点は出来ます。後は守備が良くなれば勝てると思うのですけれどね。

    次はルヴァンカップの大阪ダービーです。メンバーは入れ替えて臨むでしょうけれど、勝つしかありません。

  • 国立競技場を役所にしたら?

    2021年の東京オリンピックの話題が出ることもまず無くなりました。昨年末のサッカーワールドカップ、ついで今年の野球のWBCもあって、スポーツのビッグイベントというものは基本的に毎年のようにあります。

    国内開催のビッグスポーツイベントというのはそう巡ってくるものではないので、その時に国家の威信を賭けて乾坤一擲、巨大建築物というものが作られるのも世の常です。

    世の常とは言え、莫大な維持管理費が掛かると後代の負債になってしまい、何のためのレガシーか、と疑問を呈されることになるのですが、今の国立競技場はまさにそうなっています。

    既にイベントも各種行われているとは言え、どう考えても巨額の維持管理費、そして将来の大規模修繕費を賄えるような収入ではありません。もちろん、国立の施設は商売のために建設・維持するわけではないので、必ずしも収支均衡を求めるとは言えないのですが、それでも額には限度があります。

    あんな巨大な箱で毎日毎日来る日も来る日もビッグイベントをし続けるわけにもいきません。利用料を下げて稼働率を上げれば売上は減り、利用料を上げて単価を上げれば稼働率が減ります。完全に行き詰まっている状態ですが、いっそのこと、東京都やスポーツ庁などの役所を国立競技場に移転して、他の役所の賃料を減らしたらいいんじゃないですかね。

    バブル期の負の遺産だったWTCビルは大赤字になり倒産したものの、大阪市の部局を移転させ、さらに後には大阪府が府庁移転を計画(実際には断念)し、第二庁舎として現在も利用しています。

    テナントビルとスタジアムでは同じことが出来るとは思っていませんが、だからといって客待ちの状態でスタジアムの稼働日数が増えないままというのも不味いでしょう。

    一番安く上がるのは取り壊しなんでしょうけれどね。

  • 骨髄バンク登録したけど献血は失敗した話

    マスク姿の人も減り、少しずつコロナ禍前の日常が戻りつつあります。今日は年明けに行った全血献血の待機期間空け最初の献血として梅田に行ってきました。

    10時予約したのは久し振りでしたが、やはり平日でも開所時間は行列が出来ています。並んで入り手続きを進めると、今日は骨髄バンクの説明の人がいるということで、以前から少しだけ興味があったのでお話を聞き、登録することにしました。

    今日はまず、白血球の型(HLA型)を調べるための採血と個人情報等の登録のみを行い、実際に提供する前には事前の連絡があります。

    さて、それも終わって通常の献血前の検査等に進み、いざ献血!というところで、私の採血しづらい血管に針を刺すのが上手く行かず、結局中止となってしまいました。

    献血したことにはなりませんが、キャンペーンでもらえるものはもらえるとのことでありがたく頂戴しました。

    ラブラッドポイント交換では小さなボックスティッシュ3ヶ。

    昨年から続けていたキャンペーンの完了によって携帯型カトラリーセット(スプーン・フォーク・ストロー)。

    そしてホワイトデーキャンペーンということでとんがりコーンのミートパイ味。

    手間暇かけて献血できなかったのは残念でしたが、もらうものももらい、梅田での買い物もあったので損した感はありません。何度も謝られたのも申し訳ないですね。数年に一回はこういう、採血失敗に遭遇するくらい、刺しづらい血管なのは私の方ですから。

    さて、内出血さえ消えればいつでもまた献血は行けるそうなので、前後にぶらぶら桜の花見で散歩できるようなタイミングにしましょうかね。

  • グレア・ノングレアのメリット・デメリットの統一は?

    現代社会ではテレビ・パソコン・スマホ・タブレットを見ている時間と、見ていない時間を比べたら、見ている時間の方が長い人も多いことでしょう。仕事にしろ趣味にしろ画面を見ることはもはや当たり前になってきました。

    その中でも、動画やゲームのように「絵が動く」ものもあれば、電子書籍・ウェブサイトでテキストベースのものもあります。前者を見る画面は、いわゆるグレアタイプ(画面表面が反射する、ギラギラしている)が適していて、後者ならノングレア(画面光を反射せず、ザラザラしている)ものが向いています。

    スマホ・タブレットは製品としてはまず間違いなくグレアタイプです。電子ペーパーを使っている場合は別ですが。

    パソコンの画面は、かつてはグレアもノングレアも入り混じっていましたが、ノートパソコンにしろデスクトップパソコン用モニターにしろ、ノングレアがほとんどになりました。

    この傾向は、製品製造上の理由もあるのかも知れませんが、利用者側の理由、すなわち、スマホ・タブレットの用途・使用時間が動画やゲームに占められているという側面も影響しているでしょう。

    そもそも、20年以上前はまだまだCRT(ブラウン管)のモニターがデスクトップでは主流でした。ノートパソコンやPDAはもちろん液晶でしたが、その頃の液晶では動画は非常に見づらいものでした。残像が出るSTN液晶で動画なんて暴挙でしたし。

    今と昔では技術も用途も大きく様変わりしたことが、液晶(だけではなくて有機ELも)画面だけでも分かります。今、パソコン用のモニターで使用するのは、ビジネス用途・テキストベースの利用の方が多いのでしょうね。テレビになるとまた別ですが。

    グレア液晶は光の反射があり、テキストを読み続けると眼が疲れますし、逆にノングレアで動画を見ると臨場感が少し損なわれます。いい加減、その両者のいいとこ取りをした、低反射で動画が滑らかでテキストもハッキリ映る画面が出てこないものかと思います。Apple Studio DisplayのNano-textureモデルはそれに近いかも知れませんが、クッソ高いしスマホサイズにはならないでしょう。第一、IPSパネルなので有機ELほどの黒はないみたいですし。

    VRゴーグルならグレアでも光が外から入らなくて反射しませんので、その点は解決するでしょう。VRゴーグルを使うのはゲームと動画ばかりですが、そのうちExcelを操作したりコードを書いたりするのにもVRゴーグルを使用する時代が来るのでしょうか?

    ちなみに、SFでよくある、ポップアップするホログラム画面というのは、完全に想像ですが多分、動画もテキストもすっごく見づらいと思います。

  • 楽天モバイルからpovo2.0にMNPしてみた

    これまで、メインスマホには楽天モバイル(物理SIM)とpovo2.0(eSIM)、サブとして8インチタブレットにmineo(物理SIM)と日本通信(物理SIM)を入れて、4回線体制で使用するというなかなかな変態スタイルで使ってきましたが、
    ・楽天モバイルでの電話の着信が出来ないことがある
    ・タブレットを持ち歩かなくなった
    ということもあって、整理することにしました。

    まず、楽天モバイルでの電話着信不可問題ですが、これは昨年から言われていたことで、私の方ではあまり直面してこなかったのですが、先日確実にこの日のこの時間帯に電話すると言われていたのに着信を確認出来ず面倒なことになりました。

    100%着信不可というわけではないのですが、自宅にいて確実に回線良好な状態でもダメな「場合がある」という非常に面倒くさい話になってしまったので、いっそのことMNPで別会社に移ろうと考えました。

    そして、当然ながら安いところでと思いましたが、ここで同じくタブレットを持ち歩かなくなったという問題も出てきました。

    少し前までは資格試験勉強での動画閲覧で使用していましたが、その辺はスマホで勉強することにしたので、タブレットで使っていたmineoのSoftBank回線と、日本通信のドコモ回線が余ってしまいました。

    mineoのマイそくプランをメインスマホでも使うことにして、これまで新規回線で契約したpovo2.0を一旦解約して、楽天モバイルからpovo2.0にMNPしたeSIMとmineoのデュアルSIMにすれば、なかなかに便利なスマホが出来上がります。

    普段はネット回線をmineoにして、平日12時台の32kbps制限時間帯は、povo2.0でプロモコードを入れたモバイル回線にすれば快適です。

    しかし、楽天モバイルでの着信出来ないのは利用者としてはたまったものではないですねえ。普段電話を全然使わないからいいや、と思っていましたが、いざ使用するときに使用出来ないとやっぱり困ります。

    普段の何気ない連絡はメールやLINEでしている一方で、電話をかける・かかってくる場面というのは「何気なくない」重要な連絡なわけですから、結局は電話が確実に使えるというのは、携帯電話会社としては本当に重要なことなのですよね。

    もしpovo2.0でも同様の問題が起きたらやっぱりブチ切れて別の会社にMNPしちゃうでしょうけれど、取りあえずはしばらくはこれで様子を見てみましょうか。

  • ガンバ大阪に本当に攻撃サッカーが必要か?

    ルヴァンカップ京都戦の勝利も束の間の春の夢の如く、あっけなく広島相手に1-2で敗れてしまいました。

    実際には宇佐美の魂のゴールで追いつき、最後に東口とネタラヴィの連係ミスからPKを与えての敗戦ですので、完敗というわけでもないのですが、これで開幕から2引き分け、ついで2連敗というリーグ戦の結果を見るに、ポヤトス新体制が上手く行っているとは決して言えません。

    個々の試合で言えば勝てなかった理由はいくらでも挙がるでしょうけれど、そもそも毎年毎年数年間も同じことを繰り返しているのは、それらの理由とは異なる原因があるはずです。

    選手が替わっても、監督が替わっても、強化部が替わっても、社長が替わっても残留争いするのであれば、そもそもの根本的な、クラブとしてのフィロソフィーとアイデンティティーに問題があります。

    https://hrsgmb.com/n/n769ab7bd614e

    昨年のこのnoteでも書きましたが、果たして本当に、ガンバ大阪は「攻撃サッカー」を標榜すべきクラブなのか疑問に思います。

    攻撃的なサッカーを志向して、結局毎年失敗して監督交代して守備を固めて勝ち点拾って残留する、ということを繰り返すクラブに、かつての栄光を追い求めて攻撃を優先するサッカーが必要なのでしょうか?

    攻撃的なサッカーを標榜しないとスポンサーもファンも離れてクラブ経営が成り立たない、ということがハッキリ分かっているのであれば、しようがありません。それによる残酷な結果を許容してでも攻撃サッカーをし続けることになります。

    まあ、まだ始まったばかりで、今後改善していけばいい、と思うところもなくはないですが、そういう状態もこの数年間ずっと続けてきたことです。今年はこれまでとは違う、と断言するよりも、今年もこれまでと同じことになる、という恐れを抱くのは自然なことです。

    今シーズン終了時、このnoteが批判に晒されるくらい、攻撃的なサッカーで成功してくれていれば良いのですが。

  • コピーというオリジナル

    Winnyとその開発者に関する映画が公開となりました。

    日本発の優れたソフトウェアでしたが、多くの罪をかぶせられて潰されたWinnyについては、賛否両論ありました。そしてその開発者の悲劇と相まって、日本のIT・ソフトウェア業界には有形無形の影響を与えることになりました。

    Winnyの頓挫を思うとき、思い出すのは同じウェブサービスであったNapsterのことです。正確には、こちらは1999年公開でWinnyより早かったですが、同じように著作権侵害に関する巨額の訴訟もあって無くなりました。

    しかし、その後の日本と欧米でのソフトウェア・ウェブサービス・著作権に関する動きは真逆にも思えます。

    AppleはiTunesを通じて、著作権保護(DRM)をかけない音楽ダウンロードサービスに乗り出して大成功した一方で、日本ではテレビ放送のデジタル化も含めてコンテンツのコピー制限が当たり前になりました。

    違法行為、製作者の意図せぬコピーはもちろんダメなことには違いありませんので、その点で擁護するつもりはありませんが、現在、各種JASRACに関しての事件や問題にあるように、製作者本人が不便さや窮屈さを覚える社会システムは果たして正当なものなのかと愚考します。

    ペンタトニックスというアカペラグループは、先人の楽曲をカバーして歌う動画が大ヒットしてグラミー賞を受賞しました。日本では、「U.S.A.」をカバーしてヒットしたDA PUMPが有力視されていたレコード大賞を逃しました。この辺は、コピーに関する社会的寛容さの違いもあるかなと思っています。

    そう言えば、レゴでの巨大制作物を極めている、日本唯一のレゴ認定プロビルダー三井淳平さんが、ボストン美術館にその作品を掲示されることになったというニュースがありましたが、その作品は葛飾北斎の絵画を元にしたものであり、まさにコピー(カバー)です。それでも、突き抜ければ芸術作品になるということは、色々考えされられます。

    「守破離」や「学ぶ(まなぶ)=真似(まね)ぶ」という言葉を思い出さずとも、コピーというものは文化にとっても芸術にとっても重要なはずですけれど、今の日本はオリジナルにこだわり過ぎて、コピーの大切さを見失っていないでしょうか?

  • 2011年3月11日という日付を覚えることは重要か

    生きている限りは必ず毎年3月11日を迎えます。

    私自身や知人の被害としては、東日本大震災よりも1995年の阪神淡路大震災の方が大きかったのですが、だからと言って3.11の記憶や被害について忘れるわけがありません。これも、生きている限りはずっと覚えていることでしょう。

    大変な事態・事件・事象が起きたときに、自分が何をしていたかということは、その事柄自体の一般的な内容と合わせて記憶されるものです。

    東日本大震災の時は自宅にいて、突然の長い揺れに驚いてテレビを付けたり、その時外を歩いていた母が揺れに気付いていなかったこと。

    阪神淡路大震災の時は早朝で、受験生だったために朝6時起きの習慣が付いていたので目が覚める瞬間の強烈な縦揺れに遭遇したこと。

    9.11同時多発テロの時は夜、NHKニュースを見ていて、あのビルに2機目が突っ込んだ瞬間も放送されていたこと。

    地下鉄サリン事件の時は父の田舎に帰省していてそこでテレビを見ていたこと。

    JR尼崎線脱線事故の時は仕事中で、業務しながらずっとネット情報を見ていたこと。

    私の場合はこんな感じですが、もっと年配の方でしたら、8月15日の終戦の日の朝や、アポロの月面着陸やケネディ大統領暗殺の時、あるいはオイルショックやニクソンショック、あさま山荘事件の時などでの記憶もあるでしょう。

    ただ、同時代的に物心ついた状態でその事件事故などの記憶がある人と、その後に生まれてニュース・教科書的な記憶に留まる若い人とでは、記憶の仕方が異なります。自分が体験していないことの記憶は、強烈なインパクトを伴いません。

    東日本大震災が起きたのは何年何月何日か?という歴史の設問やクイズの問題があったとして、記憶が強く残っている人にしてみれば、わざわざ問うほどのことではないと思う一方で、そうでない人にしてみたら2011年も3月11日も数字としてただ単に覚えているかいないかという難問になってきます。

    これは不謹慎とか無知とかという話ではなくて、人の記憶はそういうものなのです。

    そして、世代間の断絶が自然と生まれ、いずれは全ての人が知識的記憶としてしか覚えなくなります。どうしたってそうなります。

    数字だけで覚えるようになると、どうしても記憶は曖昧になりますし、東日本大震災が起きたのは2010年なのか2011年なのか、あるいは2021年なのかということが分からない人だって数十年後には出てくることは間違いありません。それを非難するのも無理筋です。

    よく、こういう災害や大事件については「語り継ぐこと」が大事と言われます。しかし、聞く方はどうしたって勉強的に聞くことになります。真剣味が無くてもしょうがありません。

    第一、若い世代には新しい大悲劇が存在しています。それこそ、戦争の記憶は無いが東日本大震災の記憶がある世代は、今の日本人の大半を占めています。

    教訓として残せる記憶、将来の安全・平和につながる記憶、そして今の時代ならではの「フェイク」ではない記憶を残していくことくらいしか、悲劇を同時代的に味わった人には出来ないのではないでしょうか。すくなくとも、偉そうに若者に訳知り顔で教えたって共感も関心も持たれないのですから。

  • 嘘呼ばわりされるインタビュー記事を無くす建設的な方法

    今に始まったことではないのでしょうけれど、芸能人やスポーツ選手、あるいは文化人にしろ政治家にしろ、そういった著名人がマスメディアの取材・インタビューを受けて、答えた内容が実際にメディアに掲載された中身と異なる、といって不満を表明することはよく見かけます。

    はるか昔、メディアが個人のものではなくて、マスメディアしか存在し得なかった頃は、自分のインタビュー記事を読んだ当人が、嘘や誤解がある!と思っても基本的にはどうしようもなく、余程の場合だけ裁判になっていたくらいでした。

    しかし、インターネットが普及すると誰でも反論を世界に公表出来るようになりました。それでも、いわゆるWeb1.0時台では自分のホームページに掲載したところで、直接それを読みに来る人にだけその反論を読んでもらえるに過ぎません。

    さらに進んでWeb2.0が到来すると、SNSに書き込めばそれが以前と比べると圧倒的な速度で拡散されていき、あえてその人の情報を直接手に入れようとしない人にまで簡単に伝わるようになりました。

    しかも、そのインタビュー記事に対する反論を当人がしているSNS上の書き込みを、マスメディアも格好のネタとしてニュースとして取り上げるので、元のインタビュー記事よりも先に本人の反論の方を目にすることも良くあります。

    こういう時代になってみると、インタビュー記事自体、存在価値があやふやになります。かつてのインタビュー記事は、その人についての情報を一般人に伝える貴重な情報源であったのですが、今の時代では伝えたいことはネットを通じていくらでも当人が伝えられます。今ではインタビューは、情報を伝えることが目的ではなく、その人の内面を深く抉って切り取り、当人からは出てこないような言葉や見解を導き出すことが使命となりました。

    取材される側は、当然ながら聞いてほしくないことを聞かれると嫌な気持ちになります。それをそのまま受け取って提灯記事を書いてしまうこともまだまだ今のメディアにはあるのでしょうけれど、少しずつ減ってくるでしょう。当人発表ではなくて提灯記事である必然性がありませんから。また、今はAIが記事を書く時代です。深い考察も行間を読む洞察もない記事ならAIに書かせれば済む話です。

    その一方で逆に当人が聞かれたくないことをズバズバ、ズケズケ聞いてくるインタビュアーも嫌がられるでしょうけれど、インタビュー記事というのはそれしか今後は存在し得ないというか、価値を持たないでしょう。

    とはいえ、インタビューされた側が記事に対して、変な切り抜きをされたとか、誤解されるような書き方をしているとか、あるいは嘘だと明言したりするケースは絶えません。紙面、文字数に限界がある紙媒体のメディアであれば、言葉の全てを載せることが出来ないのは当然で、どうしても一部抜粋することになりますし、その上で取材側の意識のフィルター、バイアスがかかってしまいます。インタビュー記事はインタビューされた側が作成する情報ではなく、インタビューした人が作成する情報なのです。

    記事を書かれた人が、後になって失敗だと思って取り消すために誤報だと騒ぐこともあるのでしょう。マイナスの反響を受けてから失態に気がついて、記事を批判するケースも多分あるはずです。

    そういった、インタビュー時はちゃんと発言していたのに、記事公開後に否定されてしまうと、メディア側が情報の受け手である消費者からソッポを向かれてしまいます。このメディアは嘘をついているのだなと思われます。

    それを防ぐには、文章としての意味がない相槌など以外の全ての発言を、例え冗長であったとしても掲載してしまうことしかありません。紙媒体では限界があれど、そのメディアがウェブ上での発表の場所を持っていないことなどまずありません。大手メディアなら尚更、ウェブ媒体で紙面と連動する記事を載せることは容易いはずです。

    もちろん、ウェブメディアだからと言って際限なしにダラダラと載せるわけにはいかないのでしょうけれど、インタビューされた側の反論に対して何も言わないと真実っぽいのは、SNS上で反論している方になってしまいます。

    インタビュー全文掲載したところで、揉めるときは揉めるのでしょうけれど、紙面記事と同じ内容だけをウェブ上でも載せているのは勿体無い。いっそのこと、最初から誌面の抜粋された記事とウェブ上での全文記事を出して、どのように抜粋しているかを見せてしまえば、このネット全盛時代におけるマスメディアの価値も読者にアピールできるのではないでしょうか? いい加減に記事を書いていた人らは困るでしょうけれど。