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  • マスクの予備がない人のための自販機があった方が安心

    新型コロナは未だ世界的な収束を見せる気配がありません。今回はオミクロンという変異株の出現で騒ぎになりましたが、結局のところは、しばらくはワクチン接種・マスク・換気・消毒・3密を防ぐという対策を続けていくしかなさそうです。

    日本ではマスク着用が法律で義務化されていませんが、それはとりもなおさず国民全体が法制化されていなくてもマスク着用する率が高いからです。もちろん、様々な理由からマスクをしない人もいますが、全体的なマスク着用率が高いことで法制化されないことで、マスクをしない自由が守られています。

    欧米各国に比べれば日本はマスクに関しては理想的な関係性を政府と国民が維持できています。コロナ禍の発生からもうすぐ2年になりますが、今後もマスクを着用した方がいい状況は続くでしょう。

    マスクをして外出したり仕事したりすることにも慣れてきましたが、そうなってくると逆にマスクを何らかのアクシデントで失ったときに不安になりかねません。

    例えば外出時にマスクを外して飲食したり、鼻をかんだりしたときに、うっかりマスクを落としたり汚したりすると、そこからマスク無しで過ごすことになります。

    予備を持っていれば良いですが、無ければ他人からは
    「マスクなんか意味ないのにお前らなんでマスクしているの?
    という信念を持ってマスクを付けずに外出している人扱いされかねません。

    周りが穏やかな人ばかりであれば帰宅するかマスクを買うかまでの我慢ですが、マスク警察さんに目を付けられると暴言や暴力の被害を受ける可能性だってあります。

    となると、予備のマスクをもしもに備えて持ち歩くことになります。面倒ですね。その予備を使うことになったときのために、予備の予備も持ち歩いて・・・とまで考える人はごくわずかでしょうけれど、予備の一枚でも持っておけば安心です。同じ立場の人がマスクを汚してしまって困っているときに助けることも出来ます。

    面倒ではありますが、急な雨に備えて折り畳み傘をカバンに入れておくとか、熱中症対策として飲み物を持ち歩くことに比べれば、マスクなら重さも体積もほぼありません。

    マスクが無いと入店拒否とか乗車拒否とか、世界のニュースではよく見かけますが日本ではそこまで話題にも問題視もされていませんが、少なくとも店員などサービス提供側が不安にはなります。

    マスクを売っているお店に行くのにマスクが無いと入りづらいということはありますので、マスク自販機もそのうち普及するんじゃないでしょうか? 駅には傘の自販機もありますし。

  • 村井チェアマン退任に際して

    Jリーグの村井チェアマンが、この3月で4期8年の任期を終えて退任となります。最後の任期のラスト2年に関しては、新型コロナの影響により、Jリーグに限らず全世界のあらゆる業界に影響がありましたが、その中でJリーグは苦しみながらもどのクラブも破綻せずになんとかやっていけているのは、各クラブの努力もあってのことですが、村井チェアマンの力もあったと思います。

    個人的には有能が服を着て歩いているような人だと思っていますが、もしかしたら人によっては異論があるでしょう。

    2015年と2016年のJ1の優勝チームを決めるチャンピオンシップ導入に関してはかなりの反対もありました。本来のリーグチャンピオンは34試合のトータルで決めるべきであって、最後のプレーオフの2,3試合で決めるべきものではない、というのは、「普段からJリーグを見ている層」からしたら納得出来ないのは当然ですし、私自身もそうでした。ただ、村上アシシさんの記事を読んで、確かにそうだと思い直した記憶があります。

    https://news.yahoo.co.jp/byline/murakamiashishi/20151209-00052274

    もう6年も前のことですが、Jリーグの新規ファン獲得はずっとテーマになっていますし、多分これからもずっと最重要課題であり続けるでしょう。

    その後、2017年にDAZNとの10年2100億円という過去最大の放映権契約を結んだことで、再び優勝を決めるためのプレーオフはなくなりました。地上波放送での新規ファン獲得よりも、既存ファンを満足させる方向に舵を切ったと言えなくもないですが、現在のスポーツ業界・エンタメ業界において地上波放送がどれだけ貢献しているかという効果測定も難しいのでしょう。

    2020年からはコロナ禍によって、新規ファン獲得どころかリーグ運営・クラブ経営自体が危機的な状況になったので、既存ファンの維持もままならない可能性もありましたが、今のところはなんとかどこのクラブも存続しています。

    ともかく、8年の任期において激動のJリーグでしたが、名チェアマンと言って良かった実績だと思います。

    次の新チェアマンはスクープっぽい飛ばし記事も出ていますが、公式発表されるまでは確定ではありません。

    誰がチェアマンになるにしても、この2022年シーズンも困難な道のりなのは間違いありませんが、既存ファンの維持と新規ファンの獲得に向けて再スタートが出来ることを祈ります。

  • ジョコビッチと国家主権

    テニス界のスター、ジョコビッチ選手が全豪オープンに出場するためにオーストラリアに来たものの、結局は国外退去させれられることになりました。

    ワクチン接種を巡る問題から始まり、申請書類の不備や昨年の新型コロナ感染後のイベント出席などスキャンダルがこれでもかと出てきた挙げ句の顛末でした。

    州政府が入国許可を出したけれど豪政府が拒否をしたという記事も見かけましたが、事の真偽はどうあれ、国家への入国者に許可を出すのはあくまで国家ですので、ジョコビッチ側が豪政府の対応を甘く見ていたと言わざるを得ないでしょう。

    まさか、自分はスター選手だからそこら辺の凡人とは違って特別待遇で入国できるだろうと思い上がった自惚れを持っていたわけでもないでしょうに、なんでこんなことになったのですかね。

    自国に対して好ましからざる外交官を国外退去させることが出来る、ペルソナノングラータという仕組みが国家間外交の世界ではありますが、外交特権がある外交官に対しても国家主権を持つ政府は追放することが出来ます。それこそが主権と言えるのですが、入国ビザだって例外ではありません。

    誰を入国させて誰を入国させないかは入国する国家・政府の判断となります。これを悪用すれば独裁国家が自国内でやりたい放題できるわけで、それはそれで良くないのですが、今回のジョコビッチ問題はそういうわけでもありません。

    ジョコビッチが、オーストラリアに入国する他の人間とは異なる待遇を要求して断られただけの話です。

    彼を擁護していた出身国のセルビアも、まさか国家主権に関わる入国問題でオーストラリアを批判し続けることもないでしょう。有耶無耶にするはずです。もし、オーストラリアにジョコビッチ入国を要求すれば、セルビアが拒否する人物をその出身国が要求することも認めざるを得なくなります。

    しかし、ジョコビッチの肩を持って擁護する他のテニスプレーヤーが多く出てこないのもなんというか、もしかしてテニス界で嫌われているのかなと、テニスに疎い者にしてみたら邪推してしまいます。

    それはともかく、今後のウィンブルドンのイギリス、全仏オープンのフランス、全米オープンのアメリカという各国政府もジョコビッチに対しては同じ対応を取るでしょう。大会までに新型コロナの感染状況が落ち着いていて、入国ルールが緩和されていれば別でしょうけれど。

    その時になってワクチン接種したらしたで、じゃあなぜ全豪オープンの前に接種しなかったのかという話になります。どうするんでしょうね。

  • ヒューマニズム連合とエゴイズム同盟

    ヒューマニズムというと、本来は「人文主義」として人間の在り方を中性的キリスト教観から解放した人間性そのものを重視する考え方でしたが、幾多の変遷を経て、現代日本では「人道主義」としての使い方の方が多いかも知れません。今の時代に「ヒューマニズム」を口にするのは弱者救済を目的にする時くらいでしょう。

    どちらにせよ、人間を大事にする・重視する在り方ですが、行き過ぎると、あるいは道を逸れると人間中心主義になります。人間「中心」主義と言おうと、人間「至上」主義と言おうと同じことですが、人間中心主義は現代の環境問題の中では批判の的となっていて、さすがに地球も自然も全て人間様のものだと大見得を切る人はいなくなりました。

    ヒューマニズムを「人間を大事にする」と解釈するのは良いとしても、「人間『のみ』大事にする」と解釈されると、ややこしい話になってきます。「人間」以外は大事ではないのか、「人間」だけ幸せなら良いのか、という攻撃待ったなしです。

    「ヒューマニズム」を無理に悪意を持って解釈した場合の、対義的な概念に当たるのが、環境保護や動物愛護など、人間を取り巻く世界や地球全体を大切にする思想になります。しかし、その地球環境の保護にしたって、あくまで「人間のために」行っていることです。誰も地球や自然や動物の意思など知り得ません。

    現在及び未来の「人類」のために環境を保護しましょう、と言うより他ないはずで、そうなると悪い意味での「ヒューマニズム」=「人間中心主義」と大差なくなります。自然を保護するにしても、自然のために自然を保護すると言うよりも、人間のために自然を保護すると言う方が素直な理屈になります。

    極言すれば欲望に忠実なエゴイストな理屈の方が他人にとっては理解しやすいのです。利他主義は社会性動物として必要な概念ですが、生存のための欲望と対立する利他主義は成立しません。善良な人であれば、生存のために苦しむ弱者と、人類に消費される自然の狭間で懊悩することになります。

    悩むのが一人だけならそれで済みますが、複数いれば善良な人同士での対立が生まれ、さらに問題が複雑化していきます。民主的な先進国で起きている、環境保護と人道主義に揺れる政治的不安定化はここに起因します。

    逆から見れば、だからこそ、悪人同士は限定的な結束を作ることが出来るのでしょう。善良な一般人の結束は脆いものです。打算と欲望で動く悪人の方が悪人から見ても相手の欲するものが分かりやすいのです。まさに今、世界的規模で見受けられる独裁者同士の同盟がまさにそれに当たります。

    善良な人たちがその独裁者同盟に相対するには、自らの結束を固めて揺るぎないものとして、相手側の悪が行き着くところを見定めることです。人事を尽くして天命を待つ、という言葉は、個人だけに適用されるわけではないのです。

  • スキャンダルで消費される偶像化

    皇族(今では元が付いていますが)とその配偶者を巡るスキャンダルは、少なくとも一般紙やテレビニュースでは落ち着いた感があります。とはいえ、ワイドショー・週刊誌・ネットメディアではまだまだずっと「おいしい」ネタであり続けるでしょう。

    数年間にわたる一連の騒動を見るに、皇族・皇室に対して税金で遊んで暮らしているようなイメージを持っている人がいることに少し驚きました。確かに皇族の方々は、明日突然路頭に迷うような立場ではないのですが、だからと言って自分がその位置に変わりたいかと言われると絶対嫌です。その代わりに制限される様々な事由や権利の方が私にとってはよっぽど大切だからです。

    https://hrsgmb.com/n/n9a14321f28b2

    以前にも書きましたが、日本国憲法で規定されている天皇制は、皇族の人権を制限することとトレードオフで維持されています。

    国民の何割が今回の一連の騒動が「皇族のあるべき姿」から離れていると考えているのか分かりませんが、そもそも皇族はこうあるべきというイメージも国民側の勝手な意見でしょう。清く正しく美しくあってほしいという思いは分かりますが、一般人においては友人間でも家族間でも、そういうイメージを他者が押し付ければ喧嘩になります。反論が出てこないのは反論自体が天皇・皇室の政治的行動を解釈されかねないから表に出てこないだけの話です。

    太平洋戦争での敗戦後、当時の昭和天皇が人間宣言を出してから75年になります。それでもまだと言うべきか、むしろ今になって逆に、天皇や皇族に対する偶像化が一部で進んでいるように思えます。皇族は自分たち国民とは違う人間であるべきだと考える人が増えているのでしょうか? 失敗したり、だらけたり、間違ったり、対立したり、感情的になったり、いろいろやらかしてしまうのが人間です。完全無欠じゃないかと思えるような人もいなくはありませんが、そんな人だけで構成される家族集団というものは古今東西存在しません。

    皇室の中の人は国民が考えるイメージ通りで生きなければならない、というのは何だかアイドルファンがアイドルに対して抱くイメージに似ているようにも思えます。恋愛スキャンダルが起きればすわ一大事と大騒ぎして、謝罪やら脱退やら引退やら、何のためにそのアイドルのファンをしているのか分かりませんが、偶像崇拝とその裏返しの憎悪が繰り返されます。

    スポーツ選手も似たようなもので、スポーツマンシップに則り競技を行うことが当然だとしても、日常生活において清く正しく美しく生きるというのは難しいものです。スポーツ選手も当然人のことですから、人によっては不倫やら犯罪やらをしてしまう人だっています。あくまで一部の話ではありますが、それで一般人とは異なるレベルで騒がれるのも不公平な話でしょう。

    皇室スキャンダルも、芸能人・スポーツ選手のスキャンダルも、メディアの情報の受け手による偶像化が騒ぎを増幅していることに変わりはありません。芸能人・スポーツ選手は入れ替わりも激しく、新しく加わる人も多く、その業界人口は大きいですが、非常に限られた数となっている皇室に関しては、もうちょっと配慮しないとあまり良くない未来が待っているとしか思えません。

  • 元寇の前例踏襲による黒船対応の失敗に学べ

    役人にしろ官僚にしろあるいは政府にしろ、前例を踏襲するのは古今東西どこでもある話です。それを杓子定規で融通の利かない無能として批判しがちですが、もちろん前例を踏襲するのはその方が業務効率が良いからです。

    だからと言ってどんな時でも前例を踏襲していると、時代の変化に対応出来ず、大きな失敗を招くことがあります。

    18世紀末から日本には外国船が通商を求めて日本沿岸や港に現れるようになりましたが、それが極まったのが1853年アメリカのペリー来航です。その際の日米和親条約、及びその後のハリス来航時の日米修好通商条約を当時の江戸幕府が調印しましたが、その際に幕府は朝廷の勅許を得ようとして遂に得られず、尊皇攘夷運動が活発化することになりました。

    幕府がそもそも朝意を伺わずに勝手に調印してしまえば良かったとする考えもありますが、あくまで外交は朝廷が最終判断を下すもの、という認識が時の幕府の政権運営者にはあったわけです。前例たる故事としては、13世紀後半の元寇の際に、鎌倉幕府が元の国書を朝廷に回して検討させた事例がありました。

    実際には、その朝廷でも鎌倉幕府の方針が分からなかったために何も決められず、結局は時宗率いる幕府がその後の元の使者を追い返して文永の役に至るわけですが、外交権の全てを朝廷が握っているわけでもありません。あくまで朝廷と幕府の関係性によって決まります。

    ということは、黒船来航時の幕府として前例に従い、国交問題を朝廷に委ねたのもおかしくはないのですが、13世紀後半は承久の乱以後、明らかに幕府が朝廷に対して優位に立っていた時期でしたので、最終的に幕府が決められたのに対し、幕末期では幕府の政権運営が揺らいでいて、朝廷との関係性も良くなく、その状況では朝廷との効果的な合議など出来るわけもありませんでした。

    結局、元寇の前例に従って日米外交を進めた結果、幕府の権威が落ちてしまい最終的には倒幕にまでつながりました。もちろんこれだけが原因ではありませんが、前例を踏襲するのが効果的なのは時と場合による、という至極常識的な結論が導かれます。

    官僚組織が前例を踏襲しがちになるのは仕方ないというか、官僚組織というのはそういうものです。事例ごとに前例を参照せずにその都度独自の判断を下すなんて非効率の極みです。とは言っても、前例にない状況においても無理矢理に前例の対応をそのまま適応してしまうと、とんでもないことになります。

    そういう時にこそ、今の三権分立体制であれば立法・政治家の出番になります。平和な時代は前例踏襲による官僚政治で良いのです。乱世において特に、有権者に選ばれる政治家が動く必要があるのですが、さて、今の日本では動けているでしょうか?

  • バズる名前もデザインも炎上回避あってこそ

    企業にしろ個人にしろ、何か新しく「仕掛け」を打つときには、TwitterなどSNSを無視できない時代になりました。

    いわゆる「バズり」を狙うのが当然という時代にあっては、商品名やサービス名をTwitterで書き込んでもらう、ハッシュタグを付けてトレンドに載せることが、広告効果を見込める手段として確立した感があります。

    Twitterのトレンドに上がるハッシュタグには、スペースや句読点、!、?といった大半の記号も使えませんし、数字だけや数字始まりのハッシュタグも無意味になってしまいます。

    ということは、企業が新商品名や新サービス名、あるいは新しく立ち上げるベンチャー企業の名前を考える時に、Twitterのトレンド入りを想定するなら、ネーミングにも制限が加わることになります。

    日本語の場合は漢数字も使えますのでまだマシかも知れませんが、アラビア数字から始まる商品名・サービス名はなかなか使用しづらい時代になったということになります。

    もちろん、Twitterのトレンド入りなどどうでもいいと思っていたら、好きなように名付ければ良いだけの話なのですが、そう断言できるのはベンチャー企業のワンマン社長みたいな立場でないと無理でしょう。

    Twitterのローカルルールが企業活動に制限を加える時代になったと言えます。

    まあそうは言っても、大半の商品名はアラビア数字から始まりませんし、記号もたいていは入っていませんので、そんなに気にすることではないでしょうけれど。

    むしろ商品名がどれだけ浸透するかは、商品の中身にもよりますし、パッケージや広告戦略にもよります。バズらせやすい名前を気にしすぎると、逆に狙いすぎとして炎上するかも知れません。

    ネーミングだけではなくて、SNSの使い方は企業アカウントには難しいものです。知らぬ間に何かしらの地雷を踏み抜いてしまうこともありますし、担当者が個人アカウントと間違ってとんでもないことを書いてしまうこともあります。

    狙った戦略が大失敗した最近の例でしたら、某大きな青色系のコンビニチェーンで、プライベートブランドのパッケージデザインをシンプル寄りにリニューアルしたところ、シンプルすぎて分かりづらいと大炎上しました。

    後知恵での批判はあまり良くありませんが、シンプルであることは手段であって目的ではありません。分かりやすく、戸惑わないようにシンプルにするのであって、シンプルにした結果、分かりにくくなるのであれば目的と手段を混同してしまった失敗の代表例になってしまいました。

    空白や余白が大きいことがシンプルなのではありません。デザイン的に複雑でもシンプルで分かりやすい結果というのも存在するはずです。もちろん、ゴチャゴチャしているデザインに対するカウンターとして、シンプルデザインを対極に位置させるというのは分かるのですが。

    デザインにしろTwitterのトレンドにしろ、まず大事なのは炎上回避かも知れないですね。プラス効果を狙って仕掛けたのが、かえってマイナス効果になっていたら元も子もありません。

  • 女性天皇が即位した歴史上の条件

    女性天皇・女系天皇の問題は折に触れて話題というかニュースというか、諸処で取り上げられますが、悠仁様までの継承は問題ないとしても、その先には現状の男子皇族の少なさを考えると、これからの日本では避けては通れない問題です。

    一足飛びに女系天皇を認めるところまではいかないでしょう。どう考えても反対が大きいでしょうし、天皇論・皇室論及び憲法・皇室典範の法律論まで出てきます。

    では男系の女性天皇はどうでしょうか? 

    これも、悠仁様の即位までは女性天皇を本格的に論議するところまではいかないのではないでしょうか? 必然性が無いからです。逆に言うと、若い(皇位継承の現実性が高い)男性皇族が他に一人もいなくなる状況になれば、どう考えても女性天皇・女系天皇を認めるか、旧宮家の復活かの2択になります。

    女性天皇に限って言えば、過去に存在したことがあるという主張から認めるべきだという意見が出てきます。皇室典範を改正すれば可能ですが、そもそも女性天皇が過去に即位した経緯を考えると、それはそれで穏やかでもありません。

    おそらくは聖徳太子(厩戸皇子)の時代の推古天皇が、最も有名な女性天皇だと思いますが、他の女性天皇もほとんどは飛鳥時代から奈良時代に即位しました。

    推古天皇
    皇極天皇(斉明天皇として重祚)
    持統天皇
    元明天皇
    元正天皇
    孝謙天皇(称徳天皇として重祚)

    この6名8代の女性天皇はいずれも、天皇として即位しうる後継男子はいるものの、政治状況から鑑みてまだ幼少のため、後継男子が成長するまでのつなぎとしての即位でした。

    平安時代に入ると、例え後継男子が幼少であっても、外戚の貴族、特に絶大な権力を持ち始めた藤原氏がいるため、幼くして天皇として即位しても問題がなくなります。そのため、「つなぎ」としての女性天皇の必然性がなくなり、女性天皇の可能性は900年弱の長きに渡ってあり得ませんでした。

    そのブランクが破られたのが江戸時代です。徳川政権による禁中並公家諸法度の強制、そして発生した紫衣事件、さらには春日局の参内事件などがあって幕府と大揉めに揉めた後水尾天皇が、無断で娘の興子内親王に譲位して明正天皇として即位させました。当時は男性の皇位継承者がいなかった状況でもありましたが、まだ30代だった後水尾天皇に男子後継を諦める理由もありません。あくまで幕府との軋轢が女性天皇の859年振りの復活を生んだのです。

    そしてさらに119年後に、再び女性天皇として後桜町天皇が即位します。こちらも本来の皇嗣である後の後桃園天皇がまだ幼少で、なおかつ先の桃園天皇と摂関家が対立していました。

    結局、女性天皇が即位するのは男子の皇位継承者が不在もしくは幼年過ぎること、及び政治状況が不安定であることが条件でした。

    もし、この現代において女性天皇の即位が起きるとしたら、そういう状況になった場合という仮定になります。もちろん、例え天皇陛下(あるいは他の皇族含めて)が後水尾天皇のようにブチ切れて譲位したとしても、現行法上では女性天皇は認められません。何より、幼年ではない男子の皇位継承者が2人もいます。

    しかし、将来的にそのような状況が発生したときには、女性天皇、そしてさらに進んで女系天皇を求める動きが、水面下のみならず公にも出てくるでしょう。その時になってから慌てるよりは、今のうちから考えておいた方が良いのでしょうね。もちろん、そういう状況が発生するのが10年後なのか50年後なのか200年後なのかは、誰にも分からないことです。

  • 天災地変が政治の良否を歴史に残す

    天災地変・天変地異はいつの時代にも起きるものです。平和な時代には発生せずに、社会や政治が乱れているときにだけ発生するわけではありません。後世から見たときに、大規模な災害が起きたことが歴史に重大な影響を与えたように思えるのは、災害がもたらした混乱を当時の社会や政治体制が収拾できなかったからです。

    政治が安定していれば、被災した人への救済を行ったり、食料生産・輸送に支障をきたさないように出来ます。もちろん、現代の先進国ですら被災者が救われないケースだってありますので、あくまで同時代において比較的救済されるということなのですが、災害と政治には重大な関係があることは確かです。

    古来、中国でも日本でも天変地異は、政(まつりごと)が正しく行われていないために天の怒りを受けた、と見なされました。それは則ちその時点での王・皇帝・天皇や将軍といった国のトップが宜しくないから、天罰を受けたということになります。

    もちろん科学的に言えば、国のトップが英邁であろうとアホボンであろうと、地震も大雨も起きる確率は同じです。ただ、その災害が起きた後に対策を適切に素早く実行出来るかどうかが大きく異なるだけです。もちろん、トップの資質だけが必要なのではなくて、その政治組織全体の行政処理能力や政治的安定性の方が重要です。実際に人民を救うのは、災害現場の最前線にいる役人なのです。

    例えば、1783年にアイスランドのラキ火山で巨大噴火が起き、ヨーロッパ全域に降灰と硫化化合物と日照不足をもたらし、亡くなった人も多かった上に異常気象により大飢饉が発生しました。そしてその社会的不安定が数年後のフランス革命の遠因になりました。

    しかし、フランスのように他のヨーロッパ諸国でも革命が起きたかというとそうでもなく、むしろイギリスでは先行して成し遂げた産業革命の真っ最中であり、加速度的な経済発展を続けていました。

    また、同時代の日本でも1783年(天明3年)に浅間山の大噴火が起きました。火砕流や土石流などの直接的な被害のみならず、降灰による冷害で飢饉(天明の大飢饉)を引き起こしました。噴火だけが飢饉の原因では無かったとも言われますが、ダメ押しになったのは間違いないでしょう。飢饉は江戸時代を通じて何度も起きてはいますが、この時も直接的な政治体制の変更にまでは至ってはいません。もちろん幕府や藩の威信低下にはつながったでしょうけれど、実際に幕府が倒れて明治維新が成し遂げられるのは80年以上後のことです。

    江戸時代を政治的に優れた時代と断言してしまうのは無理があるかも知れませんが、少なくとも同時代のフランスよりはマシだったのでしょう。対外的な軍事行動の必要が無かった分、軍事費用の負担が少なく済み、社会福祉に回せたのかも知れません。

    そう考えると、日本の20世紀後半の戦後体制が、軽軍備による経済重視の予算分配が政治のみならず社会の安定にも大きく寄与したと言えるでしょうか。

    地震はどうしようもないとしても、津波対策はある程度は可能です。そして気候変動の影響もあってか災害レベルの集中豪雨も頻発してきましたが、それも被災前にも被災後にも政治体制が出来ることはあるはずです。

    そしてそれは自然災害だけではなく、世界的大規模な感染症でも同じはずです。

  • スマートリモコン「Nature Remo mini 2」によるスマートホーム化

    Amazonの正月明け最初のセールで安くなっていた、「Nature Remo mini 2」を購入してみました。

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    名称未設定

    箱も中身も小さいですね。赤外線を送信するだけだからと言えばそれまでですが、他のスマートリモコンなどでもそれほど大きくはないようです。

    ともかく設置して、自室の家電を操作できるようにします。

    ダイキンのエアコンは勝手に認識して操作できるようになりました。温度センサーも付いていて、スマホアプリから室温が見られるのは良いですね。

    天井に設置しているシーリングライトは、ホームセンターコーナンのプライベートブランドであるLIFFELEXのもので、残念ながらNature Remoアプリ内にあるプリセットには存在しませんでした。それでも、リモコンをNature Remo mini 2に向けて送信することで、いわゆる学習リモコンのように赤外線の信号を覚えてくれます。

    ちないにこのコーナン印の照明のリモコンは、

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    ご覧のようにボタン一個のシンプルすぎるリモコンで、ボタンを押すごとに

    オフ→最大照度→少し暗く→深夜灯→オフ

    と変わっていくだけです。そのため、Nature Remo mini 2から信号を送出する動作を、電源オフにするまで最大3回必要となります。

    これについては、アプリの方で「シーンを追加」から

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    このようにボタンを3回押す動作をひとまとめにすることで、最大照度から一気に電源オフ出来るようになりました。

    あと、当然ながらAmazonのEcho dotによる音声操作も可能です。これでスマホ操作でも音声操作でも、エアコンと照明をコントロール出来るようになりました。

    ただ単純に操作体系が変わっただけでスマートホーム化というのは無理がありますが、気温や時間帯によって家電を自動的に動かす必然性を感じないというか、その時の場合によるのでそれらの機能が今のところは私には不要です。

    少し前に購入したスマートプラグも含めて、一番スマートでないのは私自身の家電に対する姿勢なんですかね。

  • みずほ銀行・ゆうちょ銀行に思う費用対効果

    みずほ銀行のシステム障害がもはや特別なものではなくなりつつあるくらい、しばしばメディアに登場するようになりました。年末年始の振り込み遅延に加えて、先日は法人向けネットバンキングでログインしづらくなる障害がニュースになりました。

    確かにこの1年のみずほ銀行が起こしてきたシステム障害は問題大有りです。私も何度かnoteに書いてきました。その一方で、他の金融機関が全くの優等生だというわけでもありません。しかし、みずほ銀行が障害を起こせばマスメディアもソーシャルメディアも大々的に取り上げて、みずほ銀行批判の大合唱となります。

    例えば、ゆうちょ銀行の法人サービスでも同様の事例はありましたが、ボロクソに書かれるほどの批判は浴びていません。というか、以下の件についてはマスメディアでの報道を見た記憶がありません。

    https://www.jp-bank.japanpost.jp/hojin/hj_index.html

    年末年始にお預かりした通常払込みに関するお知らせ
     2021年12月28日(火)~2022年1月4日(火)までにお預かりした通常払込みの一部のお取り扱いについて、受取人様の振替口座への入金が通常より遅れておりましたが、1月5日(水)に入金が完了いたしましたので、お知らせいたします。
     お客さまにご迷惑をお掛けいたしましたことを、深くお詫び申し上げます。

    何度もトラブルを起こしてきたみずほ銀行だからこそ、なにかあれば
    「また、みずほ銀行のシステム障害か」
    という論調になってしまっています。まあ実際やらかしているのは事実なので、みずほ銀行を擁護するつもりは全くありませんが、他の銀行のトラブルがかえって報道されないのはそれはそれでどうかと思います。

    また、ゆうちょ銀行が手数料等を値上げしたことがいろいろ批判されています。小泉政権下における郵政民営化がその根源だと言う人もいますが、それはそれとして、ゆうちょ銀行だろうとどこの銀行だろうと、日本社会の変化に対応して銀行経営の形が変わっていくのは当然のことです。

    デフレと不況と超低金利が延々と続く中で、銀行がかつてのような個人向けに手厚いサービスを今後も続けることは不可能です。ゆうちょ銀行も他の銀行に近付いていかざるを得ないのでしょう。もちろん、これまでそういう手厚いサービス目当てでゆうちょ銀行を利用していた人が不便を被ることに不満を述べるのは理解出来ますが、それを小泉政権が悪いと断定してしまうのもいかがなものか。

    第一、今回のゆうちょ銀行の手数料改定は、一方的に値上げばかりでもありません。特にネット経由の振り込みは大きく値下げされました。ネット経由の他行振り込みが165円というのは、
    ・三菱UFJ銀行 220円(3万円以上)
    ・三井住友銀行 440円(3万円以上)
    ・みずほ銀行 320円(3万円以上)
    ・りそな銀行 165円
    と、他行と比べて遜色なく、むしろかなり頑張った方でしょう。結局のところは、ゆうちょ銀行だって利用者には出来るだけ窓口や現金を使わずにネット使ってね、ということです。

    全国どこの町や村でも存在する郵便局で使えることが、ゆうちょ銀行の最大の特色かつメリットでしたが、そのATM維持費用だって馬鹿にはなりません。人口減少社会をもたらした構造的な変化が一番の原因なのですから、郵便局絡みのことを全て小泉政権による悪事と捉えるのは、もっと目を向けないといけない重要な問題を見逃してしまうようなものでしょう。

    みずほ銀行のシステム障害は全くもってみずほ銀行の責任ではありますが、ひたすら高度に複雑化していく社会のインフラが、100%の稼働率を維持するには相当なリソースが必要です。水道や電気ならそれを目指すべきでしょうけれど、クラウドサービスとか、携帯回線とか、コストパフォーマンスを考えると100%は無理なシステムも存在することは、現代人にとって覚悟しておくべきことです。

    さらに言うと、自分が使えているインフラやサービスが時には使えなくなることもあるのだと考えておけば、何かあった時にSNSでひたすら罵詈雑言を吐く不毛な時間も無くなりますよね。

  • デジタル化で置き去りになる人、アナログのままで置き去りになる人

    官から民、民から官、民から民、官から官のいずれの書類のやり取りでも、なかなかデジタル化は進んでいません。官から官については私は全く関わりが無いので想像でしか測れませんが、一番進んでいるのは民から民でのデータのやり取りでしょう。

    もちろん法律の問題や重要性・公共性などの違いがありますので、だから官僚はダメだとか言うつもりはありません。民間だって本質的には同じでしょう。

    デジタル化がデジタルが苦手な人を置き去りにする、という批判はこれまでもありましたし、これからも出てくるでしょう。もちろんそれは確かにそうなのですが、だからといってデジタル化を否定することは、デジタル化によって恩恵を受けた人・受ける人の存在を無視することになります。

    アナログな紙の書類を自分一人で準備出来る人はデジタル化されなくても困難はないでしょう。ただ単に紙が面倒なだけです。しかし、そもそも紙の書類でやり取り出来ない、大変困難な身体障害者のような人にとっては、自分一人で自活自立した生活が出来ないことになってしまいます。アナログのままでの社会はその不便さを押し付けている格好になります。

    バリアフリーという言葉は今ではどこでも見ることが出来ます。健常者にとってはただ単に、昔のデザインのものよりも少し便利になった程度の感覚ですが、まさにバリアがある人にとっては、それを使える/使えないの分岐点になるものです。

    蛇口やドアノブが握ってひねる形状ではなくレバーを上下するようになったことで、指一本や肘だけで利用出来るようになりました。

    バリアフリーと銘打っていなくても、例えばスマホのワイヤレス充電もケーブル充電に比べて、手を自由に使えない人にとっては使いやすい存在でしょう。

    パソコンでもスマホでもタブレットでも、指一本使えれば使用出来ます。指十本使う人と比べればはるかに時間はかかっても、デジタル経由・ウェブ経由ならどんな書類・データも作成出来ます。

    だからこそ、アナログでしか認めないというのは今の時代では問題と言わざるを得ません。

    テクノロジーは困難を克服するために存在します。自分は困難を覚えていないからテクノロジーなんて必要無い、という考えは、自分以外には困難を覚えている人がいるという想像が出来ない証しでしょう。