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  • 2022年10月16日天皇杯決勝テレビ観戦の感想

    基本的には毎年元日に行われているサッカー天皇杯決勝は、たまに元日ではない日に開催されます。去年も12月19日に開催されましたが、ガンバサポーターにとって忘れられないのは、2014年の3冠達成時の天皇杯決勝です。その時は12月13日に行われました。あれは翌年のアジアカップが2015年1月に開催されるため、代表選手のスケジュールを考慮して天皇杯自体も前倒しの開催となったためでしたが、今年の天皇杯決勝についてはワールドカップが11月から12月に開催されるため、決勝戦がこの10月16日開催となりました。

    ちなみに、Jリーグカップ(ルヴァンカップ、旧ナビスコカップ)の決勝が10月22日(土)に行われるので、天皇杯決勝がJリーグカップ決勝よりも先に開催されることになります。多分今回が初めてじゃないでしょうか?

    さて、今年もガンバ大阪は天皇杯決勝に関わりが無く、今もって残留争いで手一杯ですが、今日は純粋なサッカーファン・Jリーグファンとしてのテレビ観戦となります。

    ファイナリストはサンフレッチェ広島とヴァンフォーレ甲府です。J2の甲府は、前述の2014年にガンバが優勝した際の決勝の相手であったモンテディオ山形以来のJ2所属チームでの決勝進出です

    対する広島は、2013年以来の決勝進出となりましたが、ルヴァンカップでも決勝に進んでいて、リーグ戦も3位が濃厚と、新監督のスキッベ氏の有能さが窺えます。

    無関係の自分にとっては中立な立場での気楽な試合観戦ですが、甲府のGKは元ガンバの河田ですので、どちらかというと甲府びいきになってしまいます。

    前半キックオフ。両チームとも1-2-4-3フォーメーションのミラーゲームで始まりました。片野坂ガンバも機能していればこういうサッカーが出来たのかと思わずにはいられません。

    さすがに広島が押し気味ですが、甲府も固く守ってカウンターだけ、というようなサッカーはしません。吉田達磨監督はまあしないですよね。

    15分には高い位置でボールを奪った甲府にビッグチャンスが訪れますが、抜け出した長谷川のシュートは大迫がしっかりブロック。最初の決定機が甲府だったことからも、内容的には互角と言えます。

    そして甲府ペースだった26分、左CKからデザインプレーで広島の守備を崩した上での短い折り返しを光平が決めて完璧な先制点をゲットしました。

    リプレイを何度見ても、解説の中村憲剛の言うとおり本当に何度も練習したのだろうなと言う素晴らしいゴールです。

    さて、これでニュートラルな観戦者にとっては、驚きと共に面白い展開になってきました。

    40分頃から広島が前への圧力を強め、エリア内にまで攻め込めるシーンが増えてきました。甲府はここが我慢のしどころでしたが、広島にとっては時間が短く、甲府が1点リードのまま前半が終わりました。

    さて後半。まずは負けている広島が動き、トップのドゥグラスヴィエイラと森島を下げてエゼキエウとベンカリファを入れてきました。当然ですが甲府は交代無し。

    広島は開始から攻勢を強めます。甲府はカウンターから追加点を奪えれば、という展開。広島は前線に長めのボールを入れるようにもなってきました。

    甲府は自陣での守備の時間が増え、エリア内でのクリアも多くなってきたので、守備組織が破綻しなくても何かの弾みで失点してしまうこともあり得ます。だからこそ2点目が必要な甲府は、62分に三平・鳥海を下げて松本・ウィリアンリラをピッチに投入しました。

    さらに甲府は荒木に代えて野澤が入りました。FW・MF・DFに一人ずつ手を入れた形となりました。広島も柏と茶島を野上と松本に交代。

    交代後も変わらず攻められていた甲府でしたが、29分に最前線のウィリアンリラにボールが入り、一人で持ち込んでのミドルがクロスバーを叩き、広島はヒヤッとする決定機となりました。

    甲府は最悪、攻めは最少人数でシュートまで持っていけるだけでも良いのですよね。

    そして広島は野津田も下げて90分内で最後の交代としてソティリウを投入して2トップに。

    もう、攻める広島、守る甲府だけの構図です。前半に比べると甲府の守備の時間が圧倒的に長くなりました。

    そしてついに85分、川村の見事なゴールで広島が同点に追いつきます。

    甲府は逃げ切るプランに入っていたはずですが、ここからどう、もう1点取る攻撃を組み立てるか。延長も考えながらの戦いになります。

    イーブンなスコアになり、エゼキエウが傷んだ広島、追いつかれた甲府も無理はせず、リスク管理をしながらの攻撃をし続けて、1-1で90分終了。

    延長前半。広島はもちろんエゼキエウを下げて住吉ジェラニレショーンが入り、甲府は交代枠を残したままです。

    開始直後の延長2分に、いきなり広島の満田がFKを直接狙い、クロスバーに当たりました。

    10分にも満田のミドルを河田が横っ跳びで弾きます。その後に甲府は長谷川→ジェトゥリオへの交代をしますが、これでもまだ交代枠はあります。

    甲府はウィリアンリラの単騎突破頼みになってきましたが、それで十分な危険性を広島DFには与えています。どこかで手を抜けばリラにやられるのは目に見えています。

    そして延長後半も広島が攻めるのは変わらず。延長後半7分には甲府も最後の2人を交代。失礼ながら山本英臣がまだプレーしていることに驚きました。昔ガンバ戦でとんでもないゴラッソを決めたことを覚えています。もう8年前ですか。あの頃で既にベテランだったのですけれど。

    20年プレーしている大ベテランの山本が入ったところで、甲府の気持ちも入る場面のはずが、恐ろしい運命のドラマが待っていました。

    延長後半11分、入ったばかりの山本がペナルティエリア内でまさかのハンドを取られてPK。

    しかしさらに運命は流転します。もう一人のベテラン、GK河田が魂のビッグセーブで満田のPKをセーブしました。

    その後も広島の攻撃は実らず、120分が終わりました。終わった直後にテレビカメラが映していましたが、山本と佐藤主審が何か話していたのは興味深いですね。

    PK戦。
    河田が4人目の川村のシュートを止め、5人目の山本が決めて交付の優勝が決まりました。

    事実以上にもはや書き加えることもなく、決勝の最後のストーリーはフィクションであれば都合が良すぎると言われかねない筋書きで終わりました。

    広島躍進の立役者である満田と川村がPKを止められて泣いていたのも印象的でしたが、Jリーグ特にJ2のファンでない限りはおそらく知らないであろう河田というベテランGKが若手の前に立ち塞がって「まだまだ」だなと言わんばかりに打ちのめすのもドラマ性が強すぎます。

    今日のマンオブザマッチで河田以外を選ぶ人はいないでしょうけれど、髪型以上に先制点とキャラクターで存在感を見せつけた三平も、湘南・大分・京都・甲府と渡り歩いてきたベテランです。ピッチに立てば若手もベテランも関係ないのですよね。

    広島はこの敗戦からメンタルもフィジカルもリカバーして、中5日で土曜日のルヴァンカップ決勝を戦わねばならないのはキツいでしょうけれど、どこまでやれるでしょうね。

    表彰式でNHKの実況の方が言っていましたが、甲府は小さなクラブで、いわゆる地域性も財務力もプロビンチアであるのは間違いないのですが、そういうクラブが全ての注目と称賛を集めるカップ戦は良いものです。

    素晴らしい試合を裁いた審判団も素晴らしかったと思います。

    あと、何かと批判されるNHKですが、この試合に関しては中継・放送もNHKは素晴らしかったと思います。

    これほど感動する試合をテレビではあれど最初から最後まで見ることが出来たのは、サッカーファン冥利に尽きます。やっぱりサッカーって楽しいですね。

  • 「静かな退職」という流行

    「静かな退職」という言葉がアメリカで流行しているそうです。始まりはTikTokだったそうで、自分の仕事についてそれほど熱心に向き合わず、真剣に考え過ぎず、そこそこの働きをするだけに留めて、自分のしたいことや好きなことに重点を置く、という考え方だそうです。

    流行と言っても、大っぴらに
    「私は今から『静かな退職』をします」
    と宣言するわけでもありませんので、流行自体も静かに広がっているのでしょうけれど、まだ日本には入っては来ていない流行です。

    ちなみにGoogleトレンドで検索してみると、
    「静かな退職」
    はまだ表示されません。本家の「quiet quitteing」の方は、7月末から出てきて、8月に入って急上昇、8月下旬がピークだったようです。

    これってニュース記事の影響を受けているだけじゃないの?とも思いましたが、単なる単語の検索頻度だけではなくて、実際にそのような働き方を志向している人は多くなってきているのでしょう。

    実際には退職せず、それなりには仕事はするのですから「退職」というのは似つかわしくない気がしますが、そもそもの「quiet quitteing」は似た綴りの単語を重ねている言葉遊びの部分もあります。

    概念的には目立たない働き方と言った方が近いと思いますが、「静かな退職」という言葉のブームはともかく、そういう働き方自体は既に日本でも存在しているでしょう。

    ネットでは「働かないおじさん」問題として取り上げられることもありますが、他人から見なされるか、自分から進んでそのような働き方を目指すかの違いはあります。

    そのうち日本でも、
    「海外(アメリカ)では『静かな退職』がブームになっています!」
    という形でメディアに今どきの若者批判とセットで取り上げられて、それに対して若者擁護と旧世代批判を行うカウンター攻撃が行われ、そしてそのうちブームが去って誰も話題にしなくなるでしょう。

    社会問題化するかも知れませんが、仕事、収入、生き方、家族の扶養、人生観、趣味、ワークライフバランスに関して考え方が異なることが原因なのですから、問題の解消など出来ないので、多分何もイジりようがなく、それでいて的外れな対策が政府や大企業で行われて何も改善されず、そしてまた次の若者世代の時代になっていきます。

    若者が熱心に働かないのは今に始まったことではなく、古くは植木等のニッポン無責任時代なんてものもありました。モーレツに働く時代とそれを否定する時代が繰り返されてきて、今がそういう時代になっているだけだと思うのですけれどね。

  • 徴兵を口にする人が最前線には行かない不公平

    ロシアでいよいよ始まった予備役の召集がかなりの混乱を招いているようですが、練度の低い兵士を貧相な装備で前線に派遣するという、なかなかの苦難をプーチン大統領が全国民に負わせようとしています。

    当初はかたくなに、
    「これは特殊作戦であって戦争ではないので、戦争と口にした人間は処罰する」
    と言い切っていたのですが、数十万人の予備役を動員する「戦争ではないもの」って何なのでしょうね。

    戦いたくないロシア人、そして戦う相手のウクライナ人にとっては戦争だろうと特殊作戦だろうと、不幸な出来事であることには変わりありません。

    動員された兵士にとっては災難としか言いようがありません。さらに悲惨なのは、正規の召集条件を満たしていない人まで召集されているということですが、これは如何にロシア軍が混乱しているのか、ということだけではなくて、如何に腐敗しているのかの表れでもあると思います。

    本来、召集というのは地域や組織ごとに管理された名簿を元に課されるのですから、その名簿通りに召集されるべき人を召集していれば、召集されるべきではない人を召集するわけがありません。どこかで間違いか不正がないとそうはなりません。

    間違いとしては、そもそも人的管理がその組織や地域で出来ておらず、名簿が杜撰な可能性もあるでしょう。

    また、本来召集に応ずべき人間が徴兵逃れの不正を行い、その人の分だけ数は合わせないといけないので、徴兵事務所が対象外の人間を無理矢理入れている、ということもあるのだろうなと思います。

    これは何の根拠もない話ではなくて、先月、大規模な動員令を発した直後に反政府活動家が、嘘の召集の電話をペスコフ報道官の息子にかけたところ、
    「私はペスコフの息子であり、一般人ではない」
    といって召集拒否を公言している動画が拡散されました。

    政府や軍の高官の親族は、このように徴兵されても拒否できたり、そもそも徴兵や召集もされなかったり、軍に入隊しても厚遇されたりするのであろうということが透けて見えます。

    日本でも徴兵制度の復活を口にする人がたまにいますが、自分が行くわけではないですから何とでも言えますよね。

    それはともかく、今のロシアでは相変わらず「プーチン批判」は厳禁であっても、軍部や国防相など、プーチンの周辺や支持基盤への批判は、苦戦を理由に公言されるようになりました。

    プーチンだけがアンタッチャブルになる状況になりつつあります。軍関係者だけが国家主義者や戦争積極派からの厳しい非難を浴び、それに応じてプーチンが軍部に厳しい対応を取るようになると、プーチンと軍部に間隙が出来ます。

    そうなると、安全な場所にいる一番偉い人でも、銃弾を浴びる事態にもなりかねませんが、まあ自業自得ですよね。

  • 空気と恥によるマスク

    いよいよ、外ではマスクを着けなくても良いという雰囲気がかなり広がってきました。それでもまだマスクを着けて歩いたり自転車に乗ったりしている人はたくさん見かけます。

    私自身は屋外ではマスクを外して歩いていますが、微妙なのがアーケードの商店街でしょうか。屋外ではあるけれど、アーケードと商店が林立していることで空気の流れ具合は、完全な屋外ほどではありません。

    あと、電車の中、駅の中ではマスクを着けますが、駅を出た瞬間にマスクを外して、そして1分2分歩いてまた店やビルに入ったらマスクを着用する、というのは結構面倒ですので、そういう時には着けっぱなしにします。さすがに2年半もマスクを着けていると慣れますし。

    「未だに日本人はマスクを着けているコロナ脳だ!」
    と非難する人はいますが、感染が収まりつつある今、外ではマスクをしなくてもいいのは確かですが、別に着けていても良いでしょうに、なんで過剰に反応するのでしょうかね。マスクを他人に強要された2年間が苦痛だったから、ここぞとばかりに恨みを晴らそうとしているのでしょうか。

    赤の他人がマスクを着けていても別にええやんと思うのですが、そういう人にとっては違うのでしょうね。

    第一、花粉症のため、あるいは冬場に喉の乾燥を防ぐためにマスクを着けている人は、コロナ禍以前にも日本では結構いました。過半数とは言わないまでも、マスクをしていても違和感の無かった社会のはずですが、欧米ではマスクを外していることがそんなに気になるのでしょうかね。

    新型コロナ関係なしにマスクをするメリットもあります。前述の通り花粉症対策はもちろん、冷たく乾燥した空気によって喉や扁桃腺をやられることも防げます。この2年マスク生活をしていてぼんやり気が付きましたが、明らかに鼻水や咳・クシャミによる体調不良になることが減りました。というか2年間に渡り風邪っぽい時がありません。

    おそらく、マスクをしていない頃はそれなりに外で風邪のウイルスを拾ってきて、疲れて免疫力が落ちているときに風邪っぽい症状が出てきていたのでしょう。

    マスクをするメリットがデメリットを上回っているなら、マスクを外さないという判断をするのは合理的です。デメリットが体調不良だけではなくて、周りから変に思われるとか、みっともないとかいった、感情に訴えるところまで至れば、マスクを外す人は増えていき、コロナ禍以前のマスク着用率に戻るでしょう。

    かつて、ルース・ベネディクトが「菊と刀」において日本は「恥の文化」として喝破し、山本七平が日本人の行動様式を「空気」によると指摘したように、日本人が何かを行う際の根拠と理由に「空気」と「恥」は大きな影響を与えます。

    マスク着用・非着用についても同様で、これまでも、そしてこれからも、日本人は恥と空気で判断して行動するのではないでしょうか。

  • 良くも悪くも無視されるガーシー議員

    少し前にガーシー議員のことについて、独自サロンでネタを暴露してもすぐに無断転載する人間が出てくるはず、と書いていたのですが、

    https://hrsgmb.com/n/n5fb762c1a659

    当然の如く翌月には無断転載について怒りのコメントを出していました。まあそうなりますよね。悪趣味な暴露ネタを好きな全員が、無断転載禁止のルールを守るわけがありません。もちろん、法的には彼は被害者ですから損害賠償等の訴えをする権利はありますけれど、彼に暴露された人から見たら思いっきり加害者なのですから、その点は気にしないのですかね。

    国会に出席しないことで非難されたら、自分以外にも登院しない議員や、出てきても居眠りしている議員を引き合いに出して自分は悪くないと主張していますが、まるで交通違反で捕まったドライバーの言い分ですよね。

    登院しない議員の理由は様々でしょうけれど、国外にいて日本に帰国しないことを理由にするよりはマシなんじゃないですかね。

    議員の本会議なり委員会なりで居眠りしている議員についても擁護する気はないですが、数を満たすための役割だけは果たせています。出席する気が無く、実際に出席しなければ数合わせの役割すら果たせていないのですから、非難する資格は無いんじゃないですかね。有権者や居眠りしていない議員が批判するなら分かりますが。

    昔、上岡龍太郎がパペポTVかなにかで、芸人は余所の世界で通用しなかった人間であり、その芸人ですらなれるのが政治家だと冗談(ある意味本気でしょうけれど)を言っていましたが、この言葉を証明している存在でもあると思います。

    結局、同僚のはずの議員連中からは存在していない扱いになっているのでしょうか。脛に傷持つ議員側もあまり呼びかけ過ぎて自分のネタを暴露されたくないでしょうし、除名・資格停止は3分の2の賛成が必要ですから厳しいでしょうね。

    しかし、このガーシー議員問題についてはテレビニュースも新聞もほぼ取り上げないのですね。統一教会の問題が重要なのはもちろんであり、優先度として優劣が存在するのは分かりますが。

    既存メディアもNHK党の話をしたくないのでしょうか。ネット上ではそこそこ取り上げられているようには見えますが、既存媒体ではほとんど無視されています。政治家の話なのに政治の話として取り上げられないけれどネット上ではそれなりの有名人という、ネット上と既存媒体で取り上げる対象に大きなギャップが存在しているのです。

    これで、若者の政治離れが深刻だと、深刻な顔して話しているのは深刻と言うよりも滑稽でしょう。

  • 止められないテクノロジーが生み出す新しい世界こそメタバースなのでは?

    画像自動生成AIがものすごいブームになっています。ブームはいずれ収まるに決まっていますけれど、これについては、ブーム終了イコール利用者がいなくなる、ではなくて、ブーム終了イコール利用することが珍しくなくなる、という状態になるでしょう。

    画像を作成する人にとっては非常に由々しき問題であることは間違いありませんし、反対・批判も数多く見受けられますが、いざ出来て公開されてしまったAIはもはや無かったことには出来ません。

    使用に関して倫理を求めて、誰もが絵を描く人のことを考えて利用するのを止めるという未来は、願望を通り過ぎて妄想に近いものでしょう。倫理によるストップはかけられないのです。

    敢えて止めるなら、法律で禁止するしかありません。しかし、日本国内の法律で禁止されたとて、外国のウェブサービスとして自由に日本国内からアクセスして利用出来るのであれば、法律の意味が無くなります。中国のグレートファイアウォールのような、莫大な費用を使って多く人々の自由を侵害する形での制限を掛けるしかありませんが、そんな未来こそ誰も望まないでしょう。

    そう言えば、画期的なウェブサービスが法律・裁判・メディアによってかつて潰されたことがありました。Winnyのことですが、その映画が来年3月に公開されるそうです。

    https://winny-movie.com/

    ファイルを分散して共有するシステムはブロックチェーン・暗号通貨の先駆けとも言えるものであり、これをほぼ一人で作り、社会に潰され、そして亡くなった映画が公開される頃には、画像生成AIもブームから日常になっているかも知れません。

    さて、絵がAIでいくらでも作られるようになりました。音楽も文章も自動生成システムは既に存在しています。今後、いずれもブラッシュアップされていけば、イメージを意味する言葉だけで生まれた歌詞に、そのイメージに合う曲が付けられて楽曲がAIによって簡単に生まれます。音声も人工音声で歌声を載せられます。二次元の画像生成から三次元のリアルな動画生成まで発展していけば、ミュージックビデオまでAIによって完全に作られる未来も近いでしょう。

    もうそこまで行けば、もはや新しい世界がAIによって自動的に生成され続けると言って良いでしょう。これこそメタバースなんじゃないでしょうか?

    少なくとも、大企業とベンチャー企業と投資家とビジネスマンがネタにするメタバースよりは、よっぽど早く、よっぽど実現可能性が高いと思います。

  • 移民を移す強硬策に揺れるアメリカ

    アメリカではバイデン政権成立後、それまでのトランプ前大統領時代に施行されていた移民排除のルールがかなり変わりました。端的に言うと以前のように「移民さんいらっしゃい」状態になったわけですが、南西部の各州に多くの移民が中南米からやはり押し寄せています。

    大雑把に分けると、アメリカ南部や南西部では共和党の支持者が多く、州知事が共和党の州も多いのですが、共和党、特にトランプ支持の知事であればなおさら、移民に対しては厳しい態度で臨むことになります。

    とはいえあくまで国境そのものの管理は国家レベルの話になりますので、州に来る移民対策はせねばならないのですが、最近では強硬手段として、移民排除を非難したり歓迎したりしている州に、空路や陸路で送り込むという方法を採り始めました。

    https://www.mashupreporter.com/state-of-emergency-nyc-migrant-influx/

    日本人的感覚だと
    「こんなん知事同士で喧嘩になるやろ」
    と思うのですが、日本の都道府県知事よりもはるかに権力が強い州知事ですから出来ることなのでしょう。

    移民バイバイと移民バンザイが戦うとこうなるのは目に見えています。ヨーロッパでも2014年・2015年あたりでは、北アフリカ・中東からの移民が大量にやってきたときに、直接移民対応をしないドイツの当時のメルケル首相は無制限に受け入れると発言して、ギリシャやイタリアなどの移民対応で日々苦慮している国の猛反発を食らっていましたが、本当に大量に移民がドイツまで来たら白旗を揚げて人数制限を始めました。

    人道的配慮からすればもちろん人道的対応をすべきなのでしょうけれど、いつかは限界が来ます。経済的・物理的な限界が来てしまって移民保護を諦めるのが先か、、有権者が移民バンザイ政策を掲げる政治家を追い出すのが先かのどちらかです。

    ただ、移民がいないと経済が回らない、低収入の仕事をする人がいない、という社会構造が変わったわけではないはずなので、移民を徹底的に排除することも、結局アメリカという国にとって損失になるはずなのですが、多分、移民がいなくなれば全て上手く行く、と極端な移民否定派は思っているのでしょう。

    多すぎる移民はダメだけれど、その一方で移民(というか難民)は可哀想だしある程度は必要だ、と考えるとしても、極端な選択肢しかなければ、どちらかを選ぶしかありません。現代は、中道的な主義思想の持ち主にとっては難しい時代であることには違いありません。

    どちらにも正義も正解もありませんが、社会情勢そのものが変わるまで移民移送プロジェクトはこのままではずっと止められずに続くでしょう。

    そう言えば日本でも、かつて別の地方自治体の役所の窓口で、生活保護申請者に対して大阪までの高速バス代だけ渡して、大阪に行けば生活保護をもらえる、と言って送り出していたのですけれど、さすがに今は無くなったのでしょうか?

  • 右と左の極みは近くなる

    ブラジル大統領選挙がこの30日に決選投票を迎えますが、現職のボルソナロ大統領と、ルラ元大統領の争いは当初の予想に反し接戦の様相を見せています。

    どちらかというとリベラル寄りのマスメディアなどが、選挙に関して世論調査による予想を見誤ることはブラジルに限らず最近の世界全体に共通する問題ですが、このブラジル大統領選挙でも、ブラジル国外特にリベラル系の人たちからは全く人気がないとされるボルソナロ大統領が惨敗するとの事前予想もあったくらいですが、実際には接戦で、現職が支持率においてかなりの追い上げを見せています。

    ボルソナロ大統領はコロナ禍におけるその対策(というか対策しないこと)や、環境破壊に関して厳しい非難を国内外から浴びてきましたが、既存の支持者はもちろん、有権者の何割かはそんなことよりも重要なことがあり、それを抜きにしては生きてはいけないのです。

    コロナで死者が多数出ようとも、アマゾン川流域の熱帯雨林が伐採や火災で消滅しようとも、最貧困層の支持を得られれば良いのだ、という割り切りを感じます。それを良いか悪いか決めるのは結局ブラジルの有権者ですので、他国の人間や組織、マスコミがアレコレ言うにしても限界があります。

    独裁者が地位を維持する方法は、非民主主義国家では軍隊を握ることですが、民主主義の体裁を保っている国なら大統領選挙で勝つことです。そしてそれはポピュリズム的政策に反映されます。

    先日、ボルソナロ大統領が一部の個人や企業の債務免除を行い、配当に課税して社会保障の財源に充てる計画を打ち出しました。いわゆるバラマキ政策です。

    富裕層も貧困層も一人の人間が持つ選挙権は同じ一票ですが、富裕層の一人を満足させる費用よりも、比較的少ない費用で多くの人間の一票を得られる貧困対策の方がこういう時には目立ちます。

    これだけ見ると、またボルソナロが無茶なことやってる、と思いがちですが、対抗のルラ元大統領も同じく債務免除や最貧困層への支給を公約とし、そしてどちらも財源を明確にしていません。

    ルラ元大統領は極左では無いとは言われていて、今回の公約はボルソナロ大統領の政策に共感する人を取り込む狙いがあるのでしょう。それでも、公約として出している以上は当選後に実現しなければ反ルラ勢力が攻撃する口実にされますし、実現させたらそれはそれで財政も資本主義市場も破綻が近付きます。

    金持ちから富を奪って分配するという理屈になりますが、当然の如く、自らの支持者(スポンサーともパトロンとも言って良いでしょう)から富を奪うわけがありません。そもそもボルソナロ氏が大統領選に勝てたのも、それまでの左翼政権の恒常的な腐敗が原因でした。多分、ルラ元大統領の復権がなってもブラジルの苦難は続くでしょう。

    社会主義的政策は左翼系の十八番のように思われますが、右翼・保守系や国家主義にも存在します。いわゆる国家社会主義ですが、これは極左と極右が本質的に持つ、「国家が国民の全てを管理する」という点での共通項を意味します。

    社会主義の対立概念は自由主義であり、自由主義は資本主義と密接な関係があるために、社会主義&共産主義 V.S. 自由主義&資本主義という構図が成立します。

    とはいえ、全てがそういう理屈でもなくて、例えばトランプ前大統領のように資本主義から生まれたはずの人物が陰謀論者をまとめて国家主義者として振る舞うこともあります。彼の場合は自由主義とか社会主義とか言う概念よりも、受けの良い陰謀論を取り込んでいるだけのような気がしますけれど。

    ともかく、右も左も極端な政策を取るようになると、やることは結局近くなっていきます。

    思えば、戦前日本の国家主義・国粋主義は大企業・資本家とそれに結びつく政治家を厳しく非難していました。だからこそ国家社会主義が生まれ、共産主義者からの転向者を吸収していきました。

    現代では陰謀論者からの転向がどこに向かうかというところが一番の問題かも知れません。彼ら彼女らはどこに行き着くのでしょうか?

  • 独裁者に阿る文化人・著名人の戦後はどうなるか

    かつてフィギュアスケート界で皇帝と呼ばれたプルシェンコ氏が、ロシアのウクライナ侵攻に関してひたすらプーチン大統領に阿る言動を繰り返しているのを見ると、特にフィギュアスケートに思い入れもありませんが悲しくなります。

    もちろん、スポーツ界で優れていることと、平和主義や民主主義とは全く関係がありません。思想的にヤバい人でも、その分野において優れていれば活躍できるのですから、プルシェンコが国家主義的思想にまみれていても別におかしいわけではありません。とはいえ、もしこの戦争がロシアの敗北のような形で終結することになれば、彼はその後どうやって生きていくでしょうか?

    ロシアでプーチン体制が継続するのならともかく、プーチン体制が崩壊したら今度はその後継者に従うのでしょうか。いきなりスパッとアメリカが望むような自由的・民主的な政府になるとは思えませんが、もしそうなったら国内で生きていくことは無理でしょう。

    とはいえ、かつての日本で太平洋戦争において政府や軍部の方針に積極的に従っていた人たちも、戦後みんながみんな生き残れなかったわけでははにので、教科書を塗りつぶすくらいの思想転向を行えば何とかなるかも知れません。文学報国会にはほぼ全ての文筆家が積極的に、あるいは嫌々ながら加わっていましたが、従わなかったのは中里介山と内田百閒くらいで、当然ながら戦後にみな文化人として生きています。

    アジア最高の映画俳優でもあったジャッキー・チェンは、今や中国共産党に忠実なことで知られています。現代中国で生きていくにはそうするしかないと言えばそうなのですが、中国国外で生きていくに十分な財産も稼いでいたはずで、今の彼は積極的に加担していると言われても仕方ないでしょう。

    かつての日本の学生運動、安保闘争のころには、スポーツ関係者・体育会系の人は保守側で、文化人・芸能関係者は大半が革新・左翼系でした。

    冷戦構造そのものが反映されていたわけですが、それを思うと今の時代における立場・ポジションによる思想的な差異というのは、個人的になっています。

    個人主義が当たり前になった21世紀だからこそであり、また、インターネット・SNSにおける表現や意思の発露が容易になったからでもあるでしょう。

    今の芸能界もスポーツ界も、大半の人も団体も独裁者とは一線を画しています。

    ジャッキー・チェンもプルシェンコも既に第一線を退いている過去の人ではありますが、影響力があるうちは当局も利用します。中国がいきなり民主化されるのはロシア以上に可能性が低いので、ジャッキー・チェンが生きているうちに地獄を見ることにはならないでしょうけれど、プルシェンコはどうですかねえ・・・。

  • 「ちむどんどん」への非難に覚える違和感

    少し前に終了した、NHK朝の連続テレビ小説「ちむどんどん」については、私は1秒も見ていない(これに限らず全然ドラマは見ません)のですが、そんな私でも色んな評判、というか悪評が日本国内のエンタメ関連のニュースを読むといくらでも出てきていました。見ていない人間にとってはうざいレベルで放送の度に批判記事が上がっていましたが、議員や知事が言うのはどうかと思います。

    悪評がさらに悪評を呼んでいるんじゃないのかなと無関係な人間には思えるのですが、毎日見ている人がそういう感想を持っているのならそうなのだろうな、とも思ってしまいます。

    ただ、さすがに政治家がアレコレ言うのはどうなのかなとも感じます。NHKに対しての圧力をかけたいのかも知れませんが、それはフィクションドラマの内容に関して言及することではないでしょう。無関係な人間のいわゆる現場介入は良いこととは思えません。

    ドラマそのものがエンタメ業界内部で批判されるのはもちろん当然なことですし、視聴者が不満をもつのも別におかしなことではありませんが、それなりに立場のある人が言うと色々あると思うのですけれどね。

    制作陣がエンタメ界のみで評価を大きく下げるという形でのペナルティはもちろんあってしかるべきでしょうけれど、これをNHKへの圧力に使うのはいかがなものかと思いますし、フィクションのドラマについてアレはおかしいこれはダメという形でNHKの経営姿勢やドラマ制作に影響を及ぼすと、碌なことにはならないです。

    ドラマにおける表現に問題がある、ということはあるのでしょうけれど、あくまでフィクションは楽しむものであって、それを信じたり裏切られたりするものではないですよね。あくまで面白いかどうかで判断されるべきでしょう。面白くないのならそういう批判だけで良いのです。

    五輪反対デモに関するNHKのドキュメンタリーで、嘘の字幕を出したドキュメンタリーに関してはいくらでも批判すべきだとは思いますが。

  • 日本の物価対策や秘書官人事などは非難されるべきか?

    この夏から日本においても物価高が目に見えるようになってきましたが、それでも諸外国に比べると上昇率は高いと言えるほどではありません。何かと何もしていないと非難されがちな岸田内閣の政策の賜物という点もあるでしょうけれど、実際にはこれまで営々と築かれてきた日本における経済・社会による、物価急上昇を防ぐ各種のシステム・法令・ルールによる点も大きいでしょう。

    円高対策では色々アレですが、他国と比べて大したことがない状況で収まっているインフレについて、これが岸田内閣の功績にならないのであれば、同じ理屈で政権発足前から続いている問題への対処が出来ていないことを批判しづらくなりかねません。旧統一教会の問題については、自民党の保守系派閥・議員が数十年間続いてきたものですので、さすがに岸田内閣のみが非難されるのは可哀想にも思えます。同様に歴代の自民党総裁も非難されるべきでしょう。

    少なくとも、岸田政権が物価高に関して日本ではまだそれほど過激な対策を取らなくてもいいと判断した上で、過剰な対応をしなかったということも評価の一つには出来るはずです。

    先日、岸田首相が秘書官に自身の息子を起用したことを世襲だの身内人事だの言われていますが、大臣やら政務官やらに就けたならともかく、自分の側で機密情報を扱うポジションに信用できる身内を置くことはある意味当然なことです。

    いわゆる世襲の政治家の多くは、若い時分に親の秘書を経験しています。今の野党の議員の中にも親類を秘書や側近に起用している人もいて、早速ブーメランが発動していますが、政治の世界ではそもそもそれほど珍しいことではないことの証拠でもあります。

    息子が秘書官として重要な機密情報を他者に漏らしたとか、汚職事件を起こしたとかいうことがあればもちろん言葉を尽くしてでも非難すべきでしょうけれど、今の時点では特にアレコレいうことでもないでしょう。

    別に岸田内閣を擁護する義理も縁も無いのですけれど、不正確な、あるいは不当な非難についてはやっぱり良いものではありません。多分、岸田政権が終わって次代の内閣の頃には、
    「岸田の方がマシだった」
    って言う声が聞かれるんでしょうね。

  • EUでのUSB-C義務化を受けてiPhoneがどうなるか

    ついにEUでスマホ等のデジタル機器のUSB-C義務化が正式に決まりました。これまでにも噂というか検討されていた話ですので、特に驚きはありませんが、Apple以外のメーカーは特に混乱も無く、USB-Cに対応していくでしょう。

    さて、誰もが気にしているAppleのiPhoneがUSB-Cに対応するか、という問題が顕在化しました。これまで私もnoteで何度も書いてきましたが、

    https://hrsgmb.com/n/n83d670882aa0

    https://hrsgmb.com/n/n2af4d1cf871b

    https://hrsgmb.com/n/nb19dd2531a36

    https://hrsgmb.com/n/na06477cd238e

    https://hrsgmb.com/n/n0fd841114ec4

    さて、Appleはどうするでしょうか?

    USB-C端子は耐久性が低いからiPhoneに採用していない、という意見もありますが、既にiPad(無印除く)にUSB-Cポートを搭載して何年も経ちますし、MacBookに最初に搭載したのは2015年です。

    また、実質的にiPhone以外の全てのスマホがUSB-Cになっている以上、極端にLightning端子と比べてUSB-C端子の耐久性が低いとは明らかになっていません。内部の板が折れ曲がるリスクがあるのは確かですし、薄さの限界があることも確かですが、ユーザーサイドの利便性を現行のLightning端子が損なっていることも確かです。未だにUSB2.0のスピードで接続するとか、大容量の動画を撮影できるデバイスとしては正気の沙汰とも思えません。

    とはいえ、すんなりAppleがEUの決定に屈服してUSB-C端子に全部乗り換えるとも思えません。つい最近のMacBookでは、USB-C充電に加えて新しいMagSafe機構を新設しました。ガチのApple信者なら、iPhone用のLightningケーブルとMagSafe充電ケーブル、Apple Watch用の充電ケーブル、iPad用のUSB-Cケーブル、MacBook用のMagSafeケーブルと持ち運べるでしょうけれど、ライトユーザーにしてみたら統一してくれよ、と言いたくなるでしょう。

    iPhoneのMagSafe機構は無接点充電規格Qiの位置合わせのためだけに使用しているものですから、特に規格を新設しているわけではないですが、今回の決定を受けてAppleのことですから、まさかと思えるような変な対応してこないとも限りません。

    EU向けだけUSB-Cにして、その他地域はLightningにするという、合理性の欠片も無い選択肢の可能性も無いとは思いますが、日本向けだけFeliCaを使えるようにしていたり、物理SIMx2ではなく物理SIM+eSIMだったりしますので、あり得なくも無いのでしょうか?

    しかしそれをすると、EU域内で売られているUSB-C対応iPhoneを他地域に転売する人間が大量に出てくるはずです。市場に混乱が起きるのは必至ですから、ちょっこれは考えにくいでしょう。

    巷間ささやかれる、物理ケーブル廃止というのもさすがに時期尚早でしょう。Wi-Fiや5Gで数百ギガバイト、テラバイトレベルのファイル転送して動画編集とか、本当に信者しかやらないでしょうし、たいていのYouTuberは高画質撮影は一眼レフ使っていますしね。

    もはやiPhoneから離れてしまった私としては、AppleがEUに従おうが逆らおうが関係ないですが、今回の決定によってスマホだけではなく、USBで充電出来るようなデバイス、ガジェットは全てUSB-Cにしろ、ということになっています。大きな電力が必要なデスクトップパソコン、ハイスペックノートパソコン以外のたいていのITデバイスは、少なくともEU域内ではUSB-C充電ということになります。でも、スマートウォッチは別なんでしょうか?

    個人的には全てのスマートウォッチも、一般的なQi充電かUSB-Cで充電出来た方が、本気でケーブルを一種類にまとめられると思うのですが、堂なんでしょうか。

    そしていずれは、USB-PDが拡張していき、数百ワットクラスの家電製品ならUSB-Cケーブルに統一されるでしょうね。

    全てがUSB-C独占になるのは問題では?という向きもありますが、国ごとにコンセント・プラグの形状が一つに定められていて、どの電化製品もその形状の電気ケーブルが使用されているのと大差ありません。むしろ、USB-Cにひとまとめになったら、本当に電気製品のグローバル化が完了することになります。それが良い未来になるかどうかは知りませんが。