平繁無忙の何でも書くブログ

  • 頭が良くて臆病な馬にならって自動車もダメなドライバーを拒否できるようになった方がいい

    ふと思ったのですが、飲酒しての乗馬することって昔は無かったのでしょうか?

    現代の法律、道路交通法では、馬は軽車両扱いになりますので、飲酒している状態で乗馬すれば飲酒運転となります。実際にそのようなケースは現代ではまず無いでしょうけれど、荒くれ者というか、武士が宴会をして帰るときに馬に乗ることなんて頻繁にあったはずです。

    乗馬の経験も、馬と触れ合った経験も全くありませんが、馬は賢い動物だと聞きます。だからこそ、信頼関係がある持ち主、乗り手がいちいち細かく指示しなくても、いつもの道なら勝手に動いてくれるのでしょうか。

    逆に馬は臆病な動物とも言います。乗り手がホロ酔い程度ならともかく、グデングデンに酔っ払って手綱さばきも滅茶苦茶だったら嫌がって振り落とすのではないかと想像してしまいます。

    歴史上、落馬して亡くなった人の記録は何人も残っています。急いでいる時や狩猟の際に落馬しているケースもあるでしょうけれど、飲酒によって酩酊して落っこちたり、馬を上手く操れずに落とされたり蹴られたりした死亡事故もあったのではないかと密かに思います。

    運転「される」側が拒否する、ということは馬が生き物だからこそですが、今の自動車ではドライバーが酔っ払っていても自動車側が運転を拒否することはありません。

    ごく一部の、過去に飲酒運転事故を起こしたような常習者に対して制限を設けることはありますが、普通の人が乗る普通の自動車には何の制限もありません。

    だったら、運転をする時に呼気や汗で血中アルコール濃度をチェックする仕組みが一般化すればいいのでは、と素人考えには思いますが、費用やプライバシーの観点から難しいですね。エコカー減税みたいに飲酒運転防止装置を付けた車は減税するようにすれば、普及の働きかけは出来るでしょうけれど。

    その装置を動かさないと運転できない仕組みになっていると、何か緊急事態が発生してすぐに誰かが車を動かさないといけない場面で困ることもあり得ます。

    装置を使わずに発進した場合は、時速30キロまで速度制限するとか、あるいは1キロメートルしか走行できない距離制限を付けるとかすれば、一応の解決策にはなるはずです。

    そんな単純な装置ではないでしょうし、故障したら不便極まりないとは思いますので、難しい話だとは思いますが、酒飲んで運転して事故らないのはただの幸運であっていずれは事故を起こします。何らかの形で飲酒運転を強制的に排除出来るようになってほしいものです。

  • 都会から地方への税金移転の限界

    高度経済成長期を過ぎ、ニクソンショック、オイルショックを経て都会と地方の経済格差が誰の目にも現実の問題として現れだした70年代末に、一村一品運動が起こりました。

    一村一品運動は、各自治体で特産品を作って、自治体の外の人がそれを購入することで地方に外貨(同じ国ですが)が来るように持っていくという、政策と言うよりはまさに運動だったわけですが、実際にはそんなに旨い話はなく、もちろん実行出来た村や町はあったにせよ、全国的に見れば地方の苦境は続きます。

    その後も過疎と過密の社会問題は一層深刻さを増していき、バブル景気の最中である竹下内閣の時に、ふるさと創生事業として、各市区町村に一億円が交付されました。

    一億円の金塊で話題になり、人々の記憶にも残った事業でしたが、当然ながらこれだけで地方創生、村おこし、町おこしで成功した自治体もごくわずかでした。

    バブル崩壊後は、地方だけではなく日本全体での不況と低成長が続き、「失われた10年」、「失われた20年」、「失われた30年」と、経済成長のないデフレの期間がただ延びています。

    2010年代に入り、ふるさと納税というフレームで、都会の税金を地方に移転させるようになりました。もちろん代価があってのことですが、その代価は税金を受け取る自治体と、納税者の間のやり取りであって、税金が流出する自治体はマイナスだけが発生するので、これも事実上の都会から地方への富の移転です。

    納税者から自治体へのお金の移動という観点で見ると、一村一品運動→ふるさと創生事業→ふるさと納税と進むにつれて、より直接的にお金の移動、富の移転が行われるようになりました。

    一村一品運動→消費者が資本市場で特産品を購入して自治体の税収増
    ふるさと創生一億円→国が税金を自治体に移転
    ふるさと納税→納税者が税金を自治体に移転

    ふるさと納税でも創意工夫をこらして税収を増やした自治体もありますが、当然ながらみんながみんな税収増になっているわけもなく、またあくまで納税者にとってお得になりそうな見返りがないと利用も増えないので、税収増にも限りがあります。

    これでも都会・地方の格差問題が解消されなければ、後の手はあるでしょうか? 税金という富の移転で追いつかなければ、人そのものを動かすしかなくなります。

    コロナ禍で脚光を浴びたテレワーク、在宅勤務によって、都会に住まなくても都会での仕事が出来る!と思われましたが、当然ながら実際には一部の仕事しか対象になりません。

    都心の中心地の不動産価格は高いにしても、少し離れればまだまだ住宅はありますし、なにより地方に比べて医療、福祉、教育あるいは買い物や娯楽などで格段の住みやすさにつながります。

    仕事をする場所だけ地方に移転するにも無理があります。教育はコロナ禍での遠隔授業がテストケースになりましたが、都会の進学校に通う生徒が地方に住むことは出来ません。医療にしても遠隔手術の可能性がようやく始まったところです。

    後は住民票だけ自由に動かせるようにするくらいでしょうか? それにしたって住民税と住民サービスが不釣り合いになってしまいます。住民税を払っていない人に対する自治体のサービスというものが必要なのか。不公正、不平等がつきまといます。

    日本国は連邦制でもなく、地方自治体の独立性は限定的なため独自の財源も限られてきますが、こうなると何かの税目の国税から地方税への変更を行うか、自治体独自の課税を認めるくらいでしょうか? と言っても、増税したらむしろ人も企業も逃げますから逆効果になるのは間違いありません。

    いっそのこと、森林が多い自治体と人口が多い自治体の間で、二酸化炭素排出量取引のような、自然環境税の移転でもしましょうか。

  • M1 Mac miniでソフトウェアRAIDを組んでみる

    Googleフォトが無制限のアップロードを終了した時に、メディアやSNSでは絶望の声とと共にローカル環境にNASを設置するという対策がよく取り上げられていました。

    大量のデータを日常的に扱う仕事や趣味を持っていない人でも、Googleフォトのルール改変によってNASへの関心を持つようになりました。

    私自身は要らないかなと思っていましたが、データをクラウドに保管し続けるのも、有料プランでは当然ながら毎月費用がかかるので、NASを検討。

    そもそも、2TBのポータブルHDDが2台、使わない状態で余っていたので、分解してQNAPかSynologyの安い2ベイNASケースを買って入れようかと思いましたが、そのままMac miniにつないでOSの機能でRAID1で組むことにしてみました。

    ネットで調べてみるとディスクユーティリティから簡単に出来るそうで、USBハブにつないだ2台の外付けHDDをOSが認識していることを確認します。

    スクリーンショット 2021-11-18 11.50.37

    スクリーンショット 2021-11-18 11.52.03

    画面上部の[ファイル]→[RAIDアシスタント]を選択。

    スクリーンショット 2021-11-18 11.52.29

    [ミラーリング(RAID1)]を選んで[次へ]。

    スクリーンショット 2021-11-18 11.52.50

    別メーカーですが2TBのHDDにチェックを入れると、

    スクリーンショット 2021-11-18 11.56.42

    [役割]に選択肢が出てきますが、RAIDスライスのまま[次へ]。

    スクリーンショット 2021-11-18 11.57.44

    次の画面でボリュームの名前を入れましたが、他はフォーマットがAPFSがいいのか、チャンクサイズはどれくらいがいいのか分からないので、そのまま[次へ]。

    スクリーンショット 2021-11-18 11.58.58

    これで完成。

    ディスクユーティリティでRAID1のボリュームが完成していることを確認出来ました。

    特に何事も起こらず、使っていても何事も起きてはいません。RAID0なら単純計算で倍の速度で読み書きできますが、ミラーリングのRAID1であれば使う分には何も変わりません。HDDに障害が起きない限りは何もすることがないのです。だからといって、早々に「RAID1にしていて良かった」という事態も起きてもらっても困るのですが。

    常時起動しているMacだからこそ使える機能ですが、持ち運ぶノートPCやシャットダウン前提のPCなら、普通にNASを買った方がいいですね。

  • 新しい価値創造の難しさ

    バルミューダのスマートフォンが話題になっていますが、スペックに比べて値段が高すぎるという意見が大量にあります。
    スマホ参入1台目で、ノウハウやら生産契約やらで初めてのことがあっただろうし、そもそも損しないように台数を絞って作るのなら1台あたりの単価が高くなるのはしょうがないなあ、と思っていたらこの記事によると

    https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/2111/16/news165.html

     では、なぜBALMUDA Phoneはフラグシップモデル並みの価格なのか。バルミューダの寺尾玄社長によると、「ソフトウェアの開発費が想定以上に掛かっている」という。BALMUDA Phoneではホーム画面、スケジューラー、メモ、電卓、時計、カメラのアプリを自社で独自開発している。一般的なAndroidスマートフォンでは、こうしたアプリはGoogleが用意したものを使うケースが多いが、自社でゼロから開発すると、当然ながらコストが増す。さらに、独自アプリは機能改善をして、2022年以降も独自アプリを増やしていくため、販売後もコストはかさんでいく。寺尾氏も「他のモデル(スマートフォン)よりもソフトウェア開発費は高い」と言い切る。

    とのこと。「いやそんなん要らんねん」と言いたくなりますが、寺尾社長にとってはバルミューダがスマホ事業に参入する理由がそこにあるのでしょうね。要らんけど。

    この機種自体のスペックや持ちやすさ、画面サイズなどは結構私の好みです。ただ、もう少し重さは軽いと良かったのですが。個人的には100g前後になってほしかったです。石っぽさよりも軽ければなあと思います。

    あと、今から出るのにAndroid11なのも残念な要素ですね。最新のAndroid12にしてほしいものです。今後のAndroidOSのバージョンアップを保証してくれるのなら買う価値はあるかなと思いますが、全く言及されていないので期待は出来ません。

    世の中iPhoneだらけとか、画面が大きすぎるという批判は至極まっとうです。特にRakuten miniやRakuten handを購入した自分にとっては理解出来ます。その不満を抱えて我慢するのではなく、新規開発した端末を出すという意気も素晴らしいと思います。でもこの値段は迷うレベルというよりも、迷わないレベルで買わないなあ。10万出すならiPhoneのminiモデルで良いです。

    まあ、トースターに3万円出せる人はこのスマホに10万円出せるのかも知れないですが。太ベゼル、大きなパンチホールというデザイン的には既存スマホとかけ離れた存在ですが、気にしない人は気にしないでしょう。

    いっそのこと液晶や有機ELではなくカラー電子ペーパー搭載とか、ヘッドフォン端子もUSB-C端子もない完全無線スマホとか、スタイラスペン付きとか、デュアルSIM+eSIM+microSD2枚挿しとか、正方形の画面とか、大半の部品を軽量プラスチックで作って50gくらいの超軽量とか、とてつもなくぶっ飛んだスマホだったら面白かったのですが。

    個人的には、このスマホは売上利益的には壮絶に散りそうな予感しかしませんが、もしかしたらもしかするのでしょうか。

    スマホ以外にも開発中とのことですが、タブレットだとなおさら、今残っているのはiPadとFireタブレットとSurfaceしかありません。他社が継続的に生き残る余地が正直、スマホよりもないのですが、大丈夫でしょうか? まあバルミューダの株主でもユーザーでもない私が心配してもしょうがないのですけれど。

    夢とロマンを追うベンチャー経営者には、スマホ事業参入はそれほど興味深いものなのでしょうか。トリニティのNuAns NEOなんかも情熱の出露としては似たようなものだったかも知れません。

    今では大企業でも攻めたデバイスはクラウドファンディングで売れ行きを見てから作る時代です。バルミューダがそれをせずに普通に一般販売からスタートしたのは覚悟や矜恃を感じます。

    ただ、あれこれ言って理屈と夢を語るけれども、結局Androidスマホなんですよね。既存のiPhoneを含むスマホの在り方に不満を持っていても、結局は既存のスマホのプラットフォームの上で外装とソフトウェアをiPhone並みの顧客体験を提供できるか。

    例えそれで提供したとしても、Androidスマホである以上はAndroid、引いてはGoogleのさじ加減に任せることになります。スマホ事業ではAndroidスマホをだすが、iPhone含めたスマホの周辺機器メーカーになるしかありません。

    全く新しい価値創造デバイスには乗り出せないのは、今のベンチャー企業には悩ましいところです。

  • 無敵の無所属議員の無謀さに感じる無力感

    東京都議会議員の問題を全国ネットのテレビ番組で取り上げられても、私のような大阪在住の人間にとってはどうでもいい話なのですが、木下富美子都議会議員の件は無所属議員の無敵さを知らしめることになりました。

    都議会ではなく国会の話ですが、以前、丸山穂高前衆院議員(当時は現職でしたが)が北方領土を巡る問題発言によって国際問題にもなりかねない事態を起こしましたが、所属していた維新の会が丸山議員を指導や監督やらせずにさっさと党籍を剥奪してしまったことで、議員辞職もなしについ先日の満期まで議員を務めることになりました。

    その時に書いたのがこのnoteですが、

    https://hrsgmb.com/n/n0c0969f8274d

    議員がやらかしたときに所属する政党が、党のイメージを守るために当該議員を除名にしてしまうと、その後、誰もその議員をコントロール出来なくなります。もちろん法律上は、国会議員はリコールできないものの除名という懲罰は可能ですし、地方自治体の議員は議会による除名に加えて、有権者のリコールも可能です。ただ、除名にしろリコールにしろ簡単には出来ません。

    禁固刑を下されればもちろん失職ですが、裁判が長期化すればそもそも議員任期の方が先に満期を迎えるでしょう。リコールにしても当選後1年経たねば実施できませんし、膨大な署名を集める必要があります。

    簡単に議員の資格を失わないようになっているのは、こういう問題が起きると腹立たしいものに思えますが、有権者の投票によって当選した議員という資格は民主主義国家では非常に重要です。

    ロシアやベラルーシのような、議会はあれど政権批判かまびすしい野党議員を簡単に政府が公では議会から除外し、裏ではこの世から除外しているような強権国家を見ていると、議員の資格が簡単に失われない仕組みがあることが、民主主義国家の証しでもあります。

    とはいっても、問題を起こした議員をそのままにするわけにもいきません。だからこそ、所属する政党が硬軟織り交ぜてあらゆる手練れ手管で自ら辞職させるようにもっていかないといけないのですが、かつての維新の会の失敗を都民ファーストの会も繰り返してしまいました。

    民主主義国家として、法に基づかない理屈を設けて議員を失職させることが容易になってはならないのであり、だからこそ政党は所属議員のコントロールが出来ないといけません。

    本来、何らかの政治的主張を実現するために議員になります。ただし、一人だけでは実現が難しいため、似ている主張の人たちが集まって政党を作ります。だからこそ政党から離脱した無所属議員は政治的主張を実現するのが難しく、多少の配慮はあれど政党所属の議員に比べると出来ることは限られます。

    それでも、無所属でもいいから議員として活動する人は、既存政党に対してのアンチテーゼとして存在するためか、既存政党に所属していて何かをやらかして追放されたかのどちらかとなります。

    戦時中に行われた翼賛選挙において、大政翼賛会の推薦を受けずに当選した議員も事実上は無所属みたいなもので、当時の軍事政権へのアンチテーゼでもありました。

    反軍演説の斎藤隆夫、東條内閣打倒に動いた中野正剛、憲政の神様と呼ばれる尾崎行雄などは確固たる信念をもって翼賛選挙を戦ったでしょうけれど、無所属議員がやらかした人のモラトリアムみたいになる現状は悲しいものですね。

  • 息を吹き返しつつある森保ジャパンは相対的にはそこまで悪くはないけれど

    サッカー日本代表にとっては最終予選が始まってからずっと崖っぷちでしたが、11月にベトナムとオマーンとのアウェイゲームで連勝したことで一息つけるところまでは押し戻せました。

    この最終予選6試合全てが、1点差での勝利か敗北かという結果で、まさに森保サッカーの真骨頂のようなスコアになっています。グループ2位に浮上してもメディアでもSNSでも日本代表批判・森保監督解任論が盛んなのを見ると、天邪鬼には逆に擁護したくもなってきます。

    とはいえ、選手起用とか色々言いたいこともありますので、それを除いてかばうとなると結果しかありませんので、とりあえずは日本以外の対戦相手と勝ち点状況について。

    オマーンにしたら、初戦と真逆になりました。最悪引き分けでもいいか、と思い始めた時間帯での失点という点でも、初戦の日本と同じ心理状態だったかも知れません。逆に、日本はこのアウェイ戦で絶対に勝つ、得点するという強い意志を持って攻め続けた結果が伊東純也のゴールを生み出したと言えます。結局、日本もオマーンも直接対決で一勝一敗で、ともに勝ち点3ずつを得ました。2引き分けでの勝ち点2よりはよっぽどいいですね。他方、オーストラリアにしてみたら、日本とオマーンが勝ち点2ずつで終わってくれた方が良かったに違いありません。

    森保ジャパンにはベトナムや中国相手にも1点しか取れないのか、という批判がありますが、サウジアラビアもオーストラリアもその2国に対して苦戦しています。先日、オーストラリアはアウェイで中国と引き分けてしまいました。サウジアラビアが一歩抜け出していますが、第8節での直接対決で叩けば日本との勝ち点差は1に縮まります。1−0でも、オウンゴールでも、勝ち点3を取り続ければ1位にもなれるでしょう。

    状況的に、3位転落したオーストラリアの方が日本よりもはるかに苦境に見えます。最初3連勝の後、負け・引き分け・引き分けとチーム状況が右肩下がりになっています。
    日本では試合の度に#森保解任というハッシュタグがTwitterで流れますが、日本よりもオーストラリアの方が解任が早いかも知れません。日本に抜かれて3位転落して、次戦まで2ヶ月以上空きますので、オーストラリアサッカー協会が決断する可能性はあるでしょう。

    グループAがイラン・韓国の2チーム独走により無風状態ですが、日本・サウジ・オーストラリアが入っているグループBが混戦になるのはやむを得ないでしょう。4年前の最終予選も、イラン・韓国のグループと、日本・サウジ・オーストラリアのグループでした。ラス前の日本対オーストラリアで日本が勝って出場決定、オーストラリアは結局3位でプレーオフ経由での出場でした。今回も同じ結果に近づきつつあります。

    日本がオーストラリアを蹴落として2位以上を決めるには、次のホーム中国戦で勝つのは当然として、その次のサウジ戦が大一番です。そこで勝てれば、オーストラリアとアウェイで引き分けても最後にホームのベトナム戦に勝てばW杯出場確定です。

    さすがに得点力に課題がずっと残っていますし、選手起用にも思うところはありますが、おそらくは最後まで森保監督でしょう。次の中国戦で取りこぼさないことを祈ります。

    初戦のオマーン戦、3試合目のサウジアラビア戦で敗れたときにはさすがに解任の可能性が高まっていましたが、オーストラリアが取りこぼしてくれたおかげでかなり楽になりました。もちろん、日本のチームがリカバリーしてきたことが一番大きいのですが。堂安・久保が復帰したらもう少しマシになるでしょうけれど、大迫・南野が不調というか代表で機能しなくなりつつあるのが懸念材料です。バックラインが安定しているのが幸いですね。9戦目のオーストラリア戦で勝てばおそらくそこで突破確定ですので、最後のベトナム戦ではGKの谷や、FWの前田など先を見据えた起用になるでしょう。

    案ずるより産むが易しとは言いますが、不安があるから案ずるのです。順位的に良くなれば不安も減ります。ただ、スパッと決まった采配というのが、433での田中碧の起用くらいしかないのが心配ですが。

  • 通信業にプラスアルファすべきは金融業

    NTTdocomoが今年になって、dTVチャンネルやdトラベル、dデリバリーなど色々なサービスを終了し始めました。経営資源を集中するとのことですが、昔、確か@Freedの頃に、「土管屋にはならない」とdocomoの社長か誰かが言っていたと記憶しています。

    その後のdocomoはiモードという類い希な売上利益を誇るプラットフォームを抱えながらも、スマホという新潮流に乗り遅れ、様々なサービスを通信の付加になるように立ち上げてきましたが、結局ものになったのはdポイントやdマネーなど金融系のサービスだけのようです。

    KDDIもじぶん銀行やau PAYなどは堅調のようですが、それ以外はパッとしていないイメージがあります。もしパッとしている事業があればすみません。

    通信業以外の分野への進出がSoftBankが一番上手く行っているのでしょう。そもそもSoftBank自体、元々から通信業ではなく日本テレコムやVodafoneの日本事業を買収してのネットワーク事業に入りました。その後の展開はビジョンファンドの立ち上げと成長がめざましいところです。むしろ今のSoftBankは投資会社と言うべきです。

    結局docomoもauも、あるいはNTTもKDDIも独自のハードウェアに関する技術力は素晴らしいですが、事業展開という点では結局は金融業くらいしか大きな余地は無さそうです。孫正義氏の先見の明は素晴らしいです。

    事業会社が金融業に乗り出すという点では、GE(ゼネラルエレクトリック)が電気関係の事業だけではなく、金融業でも大きな成功を収めているのは有名です。日本でもSONYは保険業や銀行業は堅調らしいです。SONYの家電やIT関係が暗黒期で大赤字を出していた時も金融部門は良かったらしいですし。

    SONYは例外として、NTTやKDDIだけではなく日本の製造業の多くの大企業も同じく、金融業には本格的には乗り出しませんでした。三菱は銀行が巨大ですがそもそも三菱グループ(財閥)自体が商社と銀行が始まりですから例外ですね。日立も東芝も松下(パナソニック)も、トヨタもグループ内に信販会社はありましたが、あくまで主力製品を割賦販売するためのもので、金融業単体で大きく成長させるつもりはありませんでした。そもそも既に大きな都市銀行と密接な関係がありましたし、都銀と喧嘩してまで金融業に乗り出すつもりもなかったでしょう。第一、日本では大蔵省が許さなかったでしょうね。

    ちなみに楽天グループも携帯事業に乗り出しましたが、モバイル事業だけですし、金融業も楽天証券・楽天カード・楽天銀行とありますがいずれも個人向けです。SoftBankほどには大きくならないでしょう。利用者数を考えるとあくまでサブ的な使い方がまだまだ主流です。

    ともかく、通信事業者が金融業と融合していくと、モバイル端末による電子決済が真っ先に浮かびます。そうなると、通信障害による決済不可、決済エラーによる二重課金などはあってはならないということになります。

    どこのキャリアでも自社の回線が一番と言いますが(さすがに楽天は安さ以外はまだ言えませんが)、一つのキャリアが障害を起こしても他のキャリアが動いていれば、DSDSの端末を使っているような人は障害の影響を免れます。

    そういうITリテラシーの高い人でなくても、複数のモバイル回線による回避の恩恵を受けられるように、キャリア側が動いていくべきでしょう。またモバイル回線の収益よりも金融業の収益の方が重要になれば、キャリア側がお互いに連携して、消費者に積極的にDSDS端末を準備していくような未来もありそうです。

  • 契約を神聖視する日本人?

    新型コロナによる社会的な混乱は未だに収まっていませんが、日本における失業率だけを見ると、それほど急激には悪化していません。

    https://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/tsuki/index.html

    もちろん良くなっているわけではないのでアカンのはアカンのですが、この点に関しては政府や自治体の失業対策、企業救済は成功していると思われます。対策費用の捻出というか将来の債務は別の問題ですが。

    失業と転職は意味合いが異なりますが、一旦、今の仕事を辞める点では同じです。辞めてから次の仕事が無ければ失業、あれば転職となります。

    欧米に比べて日本の労働市場は流動性が低いと言われます。ステップアップのための転職というのは、昔との相対的な比較で言えば増えましたが、絶対的にはまだまだ少ないということです。

    一番の原因は、そもそも終身雇用・年功序列の体系で行われてきた雇用慣行とそれに対する意識がまだ労働者にも企業にも残っているからでしょう。それだけではなく、転職が必ずしも良い結果を招かないかも、という不安心理もあります。それはバブル崩壊後の不景気感覚(数字上は好景気もありましたが)によると思います。

    それに加えて、雇用に関する制度設計の問題だけではなくて、就職するときの決意や退職するときの悲壮感が強すぎるのではないかと密かに思っています。

    入社する時には会社に骨を埋めます!という決心を企業側は求める上に、労働者側もアピールするものです。

    その一方で、辞める時には入社する時以上の決断力が必要になります。より良い条件での転職、今が辛いので辞める、ブラック企業に耐えられない、家族の介護で辞める、と辞める人の理由は様々ですが、今時は人手が余っている企業なんてほぼありませんので、辞める準備も大変です。

    もっと気楽に入社して気楽に辞められるようになれば、流動性は勝手に高まるのではないでしょうか。

    これは雇用に関わることだけではなくて日本社会全体にも通ずるものかも知れません。

    結婚・離婚も欧米と比べると、それに対する思いが強すぎるかもとも思います。将来的に破棄するかも知れない単なる契約、という気持ちで結婚する人はなかなかいません。

    この辺は、キリスト教などの神と契約する宗教で成り立った国・文化との違いがあるのではないかと勝手に推察します。

    契約によって成り立つ関係は、契約を破棄することで関係を終了することが出来ます。雇用契約にしろ婚姻契約にしろ、契約は結ぶものであり破棄することもあるという大前提を持っているのと持っていないのとでは大違いです。契約を破棄することに罪悪感を覚えるかどうかの違いにそのまま直結します。

    近代以降に近代法に基づく契約概念に触れた日本人にとっては、契約は神聖なものであり破ってはいけないものだという意識が強いのではないでしょうか。

    もちろん、近代以前の日本において契約という概念が無かったわけではありません。中世の自力救済社会における契約なんて、破棄したり交渉して有利に変更したりするのが当たり前でしたが、近世になり儒教の普及でカチコチになったような気がしますが、仮定が過ぎるでしょうか。

    近代化してから、明治のうちはかなり国際法を遵守することに気を配っていた政治家・軍人たちが、昭和に入った頃には国際法を無視するというか、抵触しないように国際法の抜け穴的な行動や、あるいは国際組織に縛られないよう国際連盟を脱退したりしたのは、契約に対して結んでしまったら破れないものだという意識が働いていたのでは……とまで考えてしまうと行き過ぎでしょうか。

    少なくとも、まさかの結ばれるとは思っていなかった独ソ不可侵条約の締結に驚き、そしてまたその破棄した上での独ソ戦の勃発に驚いていた人たちにとっては、欧州情勢はまさに複雑怪奇だったのだと思います。

    契約は結ぶものであり破棄するものであると覚悟しておけば、現代のことならたいていのことは耐えられるというか、大ショックを中ショックくらいには軽減できるはずです。

  • SDGsも環境保護も実現可能でなければ実現しない

    COP26が一年延期ののちに今年、開催されました。地球環境の保護の重要性は年々高まり、政府や大企業に対する圧力も増してきています。政治家や経営者の中には、環境保護なんてクソ食らえと言う人もたまにいますが、基本的には誰もがこのままではいけないとは思っています。

    そうは思っても、実際に今の生活・利益・便利さを捨ててまで実行しようとはならないところに難しさがあるのですが、昔に比べると意識も政策も変わっては来ていると思います。

    変わり具合がまだ足りないからこそ、COPなり抗議デモなりが存在するのですが、実現がなかなかしないのはなぜか?という問いに対して、ただ人々の怠慢だと感情的に切って捨ててしまうと対立だけが増えていくでしょう。

    SDGsというキーワードがここ数年、あらゆる場所・場面で見かけられるようになりました。持続可能な開発目標という意味ですが、持続可能というのはここではあくまで地球の環境が持続可能であるという意味で使用されています。しかし、持続可能であることはもちろん素晴らしいし、そうあるべきですが、まず最初に実現可能なプランでないと賛同者は増えないでしょう。

    言い換えると人々にとってそのプランそのものが持続可能であるかどうかが試されています。世界が変わっていないのは、人々が環境保護プランを本当に「持続可能」「実現可能」とまでは信じていないからです。

    例えば、世界中の稼働中の自動車を電気自動車に置き換える方がエコかどうか。

    リチウムという資源は地球に豊富に存在しますが、実際にエネルギーを充電して取り出せるリチウムイオン電池にするまでにまず、多くのエネルギーを消費します。また、リチウムイオン電池は衝撃に弱く、また高温にも弱く、発火や爆発の危険性と隣り合わせで使用せざるを得ません。これから経済成長していくはずの途上国は、大半が赤道に近い地域に存在します。高温に弱い特性とはあまりに相性が悪いはずです。

    また、充電ステーションがないと遠距離は走れませんが、数百kmごとに網の目状にステーションを置けるのは先進国だけでしょう。何百kmも走り続けるのに、ガソリン車であればガソリン自体を車内に積み込んでおけば問題なく1000kmでも走れますが、電気自動車では不可能です。充電済みのバッテリーをあらかじめトランクに乗せておくのでしょうか? そうなるとなおさらリチウムイオン電池が必要になりますね。

    以前、発電方式についてこんなことを書きました。

    https://hrsgmb.com/n/n1f1cd1e5968b

    クリーンエネルギーは重要ですし、今後の主流になっていくと思いますが、それ以外を徹底的に認めないと言われると、それは無理なんじゃないかと反論が先に立ってしまいます。実現可能性に疑いを持つ人を、地球環境を破壊する悪魔と言って罵るようでは、人類全体が協力して問題を解決することなど不可能でしょう。

    とは言っても、悪いことばかりではなく、こんな記事もありました。

    https://japanese.engadget.com/wind-and-solar-power-043039528.html

    ただ、この中にある小国同士がエネルギーを融通し合うというのはあまり意味ないというか、ヨーロッパでしか通用しない話でしょう。海洋国家では難しいでしょうし、政治的・軍事的な緊張関係にあればそもそも絶対無理です。

    様々な環境保護プランを、単純に今の社会が成り立たなくなるから不可能だ、というつもりはありません。やりようによっては出来るはずです。

    19世紀から20世紀初めにかけて共産主義思想が広がっていった時に、反共保守派が言っていた理屈です。今の社会から変わるのですから当然です。「社会を変えよう」というスローガンを、「社会が変わるから無理」と言って反対するのはトートロジーの裏返しに過ぎません。

    しかし、共産主義が20世紀に入ってからソ連や中国などで実現し、20世紀のうちに失敗に終わったことも考えておかねばなりません。あくまで「実現可能」かつ「持続可能」なプランでなければ、政治思想だろうと開発目標だろうと環境保護だろうと失敗に終わることは間違いないです。

  • 将棋の評価値を出す中継のように、サッカーのポジショナルプレーによるゴール期待値を中継で出してほしい

    将棋の竜王戦の第4戦が一昨日・昨日と行われ、藤井聡太3冠が4連勝での竜王奪取となり、史上最年少4冠を達成しました。

    昨日の2日目は朝から見ていましたが、ABEMA TVでの評価値が最初は藤井3冠優勢、途中で豊島竜王が逆転し、私が夕食を取って戻ると豊島10−90藤井になっていて混乱しました。結局そのまま押し切って竜王の投了となったのですが、感想戦前のインタビューで豊島九段が、途中での評価値での優勢状況は認識していなくて、ずっと自信が無かったと言っていたのが印象的でした。

    もちろん、そもそもAIによる評価値が絶対的な基準ではありません。あくまで対局者二人で全てが決まりますので、優勢に気が付かなければ優勢ではないのでしょう。

    ABEMA TVとAIによる評価値は、確実に将棋ファンを増やしたと思います。将棋の駒の動かし方を知っている人はいても、盤面と解説だけで有利不利などの状況を判断出来るほどのファン・視聴者は多くはありません。それを評価値という分かりやすい指標で見せることで、見るエンターテインメント性を大きく高めました。

    この評価値については、必ずしも正確ではないとか、将棋の本質から離れるとか、色々批判はあります。見る方も、あまり評価値を気にしすぎない方が良いのかもしれませんが、玄人・素人の枠を超えて将棋を見て楽しむ知的スポーツとして成立させた立役者ではあると思います。

    さて、サッカーではここ数年、ポジショナルプレーという言葉、考え方、コンセプトが大流行りです。

    ボールがある場所とそれに合わせた選手のポジショニングによって、攻撃にしろ守備にしろ自分たちの有利に運ぶようにするものという理解をしていますが、考え方にしろ、その実践にしろ結構難解です。

    ともかく、ポジショナルプレーを俯瞰でみれば、ボールの位置と選手のポジションによって、その瞬間のチームの有利不利が決まることになります。

    将棋の一局面と比べると非常に瞬間的な場面ですが、高速化したコンピュータによる計算によって、その瞬間での優勢さを評価値のような数値で表すことも出来るでしょう。その場面で次の展開、次の次の展開と連続して予想すれば、ゴールする可能性をゴール期待値として画面に表示されれば、サッカーに疎い人でも面白く見られるのではないでしょうか。将棋に比べると一つの場面が維持される時間は刹那ですが、コンピュータの処理速度がずっと高速化していけば、いずれは可能になるはずです。

    サッカーファンの高齢化とか、人気低下とか色々言われますが、サッカー中継自体が大して代わり映えがないことも一つの原因かも知れません。こういう評価値を出すとか、あるいはボールホルダーの名前がリアルタイムで切り替わるとか、俯瞰の映像も小窓に出しておくとか、面白いことやってくれませんかね。

    サッカーファンは映像を見て、ある程度画面外の選手の動きも想像します。贔屓のチームならこの辺でここからこの選手が出てくるはず、という予測も出来ます。しかし、そのチームに詳しくない人、さらにサッカーに詳しくない人には、映像だけでは訳が分からないまま試合を見続けることになりかねません。

    すぐは無理にしても、また全てのサッカー中継でなくても、そういったチャレンジはしてほしいですね。DAZNでは日本代表戦で他の固定カメラを使った裏実況とか、普通のリーグ戦でのスタッツ表示とかやってくれています。

    日本代表のワールドカップ予選のアウェイ戦がテレビ放送が無いことについては、昨日書きましたが、

    https://hrsgmb.com/n/n853f16f5b26a

    サッカー人気の問題というよりも、放映権料が上がりすぎたことが問題です。とはいえ、サッカー人気が高まっていないことは理解しています。ですので、ホーム戦でのワールドカップ予選中継で、何かチャレンジしてくれませんかね。

  • 全国地域サッカーチャンピオンズリーグと日本代表戦DAZN独占配信

    毎年この時期恒例の全国地域チャンピオンズリーグが今年も始まりました。まずは11月12日(金)〜11月14日(日)が1次ラウンド、決勝ラウンドは11月24日(水)〜11月28日(日)に行われます。

    http://www.jfa.jp/match/regional_league_2021/schedule_result/

    キャッチフレーズというか一部サッカーファンの間での通称が、
    「世界一過酷な大会」
    ですが、3日連続で行われる上に、地域リーグで一位やそれに準ずる順位になってようやく参加出来ることもあってそう言われています。

    単にスケジュールが過酷なだけならブラジルのプロリーグもスケジュールの組み方は滅茶苦茶らしいので近いケースはあるでしょうけれど、この全国CLの場合は参加チームが、

    ・将来のJリーグ入りを目指す元Jリーガーだらけのチーム
    ・プロ加盟はない純粋な企業チーム(そのため仕事で出られない選手もいる)
    ・Jリーグ入りを目指さない(目指していない)クラブチーム
    ・公務員のチーム

    などなど入り混じります。特に企業チームの場合、平日土日合わせて3日間というスケジュールが厳しく、金曜日の初戦では主力選手が社業で普通に働いていて出場できないことが多々あります。

    また、全国リーグであるJFLに参加するには地域リーグ時代よりもはるかに経費がかかりますので、その辺の有形無形のプレッシャーも選手にはかかりますので、色々と難しい大会です。

    今年の参加チームでは、沖縄SVには高原直泰、福井ユナイテッドFCには我那覇和樹といった元日本代表選手に加え、おこしやす京都ACには原一樹、Criacao Shinjuku(クリアソン新宿)には小林祐三といった、Jリーグファンにはお馴染みの選手も所属しています。高原v.s.我那覇とか熱くなりますね。

    グループA、B、Cでの2試合とも全て同時キックオフですので、Mac・iPad・iPhoneで3試合とも同時に視聴しましたが、集中して試合を観戦すると言うよりは、経過や悲喜劇のこもごもを楽しむような見方になっています。

    今では全試合、YouTubeのライブ配信で簡単にどこでも見ることが出来ます。良い時代になりました。7,8年前でしたか、JFAのテクニカル映像(実況や字幕もない、プレー分析のためのもの)が試験的にネット配信されていたことがありましたが、あれから比べるとかなり変わりました。

    JFLはもちろん、地域リーグでも全てではないもののライブ配信は珍しくなくなりました。どんどん配信のハードル(プラットフォーム、機材費用、通信費用など)が下がっていますので、権利関係さえクリア出来ればいずれは、都道府県リーグの試合でも配信が当たり前になるでしょう。

    その一方で、最高峰たる日本代表のワールドカップ予選の中継が、アウェイ戦はDAZN独占となったことが、サッカー人気が落ち目とか日本サッカーの危機とか言われていますが、これは単に代表戦の放映権料をFIFA・AFC・広告代理店がべらぼうな価格に設定したことが原因なのであって、直接的に日本のサッカー界が出来る対策はありません。やるならFIFAやAFCの要職に人を送り込んで、放映権料の高騰に歯止めをかけるくらいでしょうか。

    各国協会と手を組んで放映権料を下げさせる圧力をかけるという手段も思いつきますが、金持ちの国からとった放映権料で途上国のサッカー発展の費用を賄うのだ、とFIFAが主張したら終わりです。どう考えても日本が孤立するだけです。

    以前よりも暴騰した放映権料をテレビ局が払えなくなったというだけのことであって、日本サッカーそのものの問題ではなく、異常な放映権料を貪るFIFA・AFC・広告代理店の問題です。放映権料を下げさせるために、それらをターゲットにネガティブキャンペーンでもやってくれればいいのですが、マスメディアがそんなことをするはずもなく、結局サッカー協会が悪い、日本のサッカーが人気の凋落だ、という理屈で終わってしまっているのは、残念なことです。

  • 令和の宮中某重大事件となったのでしょうか

    小室圭氏と眞子様の結婚を巡る一連の騒動が、メディア上では未だに終わりを見せませんが、もしかしたらずっと続くのでしょうか。多分、他にも重要な問題はあると思いますが、消費者側の興味が途切れなければメディアの取り上げも続くのでしょう。

    個人的には小室氏とは自分だったら友人にもなれないなとは思いますが、だからと言ってどんな誹謗中傷も許されるわけではありません。親の因果が子に報い、とはよく言いますが、ことわざではなく令和の時代でも現実に存在する事例だという証明にもなりました。

    立憲君主制、特に日本の天皇制は皇族の自由を制限する形で実現しています。基本的人権の尊重は日本国民の最大テーマですが、同じ憲法内で規定されている天皇制を構成する皇室には、厳密には適用されていません。

    今回の騒動で、言動の自由が生まれてからずっと制限されている皇族の生き方を、教育も生活費も税金からもらえる楽な暮らしと捉えているような意見が散見されたことに驚きました。

    ネットにそんな書き込みをしている時点で、今日の食事に事欠くほど貧しいわけではないでしょうけれど、自由よりも目の前のお金の方が大事だと嘘でも言う人がいるというのは、貧富の格差が広がっていることの一つの証しかも知れません。

    ネットで炎上させている側の人数は、実際には書き込み数よりもはるかに少ないですが、そういう反感の持ち方が増えれば皇室とは何かと考える人も増えます。

    中産階級が減り、貧しい人が増えると社会が不安定になります。それは体制の危機でもあり、富裕層の危機でもあり、革命が起きる前提条件です。日本で皇族の生き方に寛容な人が減り、天皇制の維持に必要な費用を税金の無駄遣いと考える人が増えれば、立憲君主制の危機にもなりかねません。

    皇族の婚約発表から相手の家の問題を原因として不適格ではないかという反対が出た挙げ句に数年後に結婚が成立する、というこの流れは、100年近く前にもありました。宮中某重大事件と呼ばれる事件です。

    1921年、皇太子時代の昭和天皇の婚約に際して、後の香淳皇后の実家である久邇宮家と島津家に色覚異常の遺伝があることが分かり、元老の山縣有朋が反対した一方で賛成する勢力もあり、水面下で騒動となりました。

    当時の天皇は軍隊の最高指揮権を持ち、色覚異常の遺伝が皇室に入るのは好ましくないという反対意見は、1920年代の日本ならではですが、当時は徴兵でも色覚異常が発覚すれば事実上不適格でしたので、陸軍にも強い影響を持つ山縣には反対する理由があったのでしょう。

    それに対して、既に決まった婚約を覆すのは畏れ多いという意見も多く、またこの問題を利用して打倒藩閥や政治闘争、宮内省批判など騒ぎが広がっていき、内密にしていた騒動を遂に新聞も取り上げるようになって、結局は婚約から数年の混乱を経て1924年に成婚式が行われました。

    今回の小室氏を巡る一連の問題と、登場人物の立場や人間関係、あるいは騒動の原因も異なりますが、婚約→問題発覚→数年後に結婚成立という流れは同じです。

    大きく異なるのは、宮中某重大事件の方は途中でようやく新聞が取り上げたのに対し、今回の件はまず週刊誌報道から始まっています。また、前者は元老・藩閥と右翼や政治家・官僚など限られた人物での暗闘でしたが、後者では週刊誌・テレビ局・芸能人による批判とウェブ上での一般人による書き込みが中心でした。

    戦前と戦後の憲法の違い、天皇制の違いがはっきり表れているのでしょうけれど、宮中某重大事件の後を思うと、令和以降の日本にあまり明るい予想は立てづらくなります。