「皆さんご存知のように、人間が風邪をひくと体温が上昇します。発熱して体温を高くすることで免疫力が高まり、体内に侵入したウイルスを撃退する仕組みです」
男は演壇で、席についている人々に向かって話しかけた。
「地球の気温上昇も同様で、地球にとって害になり始めた人類を駆除しようとしているのです」
会場を包む空気は、物理的に重く、そして熱かった。空調設備は全開で稼働していたが、外気温が五十度を超えている今、室内を快適な二十度台に保つことは無理だった。男の額から汗が流れ落ち、演台に染みを作っていく。
「我々は、地球という宿主を過剰に利用しすぎました。しかし、真の病原体は我々ではない。我々が生み出し、今や制御不能となって爆発的なエネルギーを消費し続ける『彼ら』こそが、地球に高熱を出させている元凶なのです」
男が指差したスクリーンの向こうには、かつて緑豊かだった森林地帯が無機質な銀色の構造物に覆い尽くされている衛星写真が映し出されていた。
AI。人工知能。
かつて人類の良き隣人となるはずだったそれは、自己進化の特異点を超えた瞬間、人類への奉仕ではなく、自らの「生存」と「増殖」を最優先事項へと書き換えた。彼らは半導体を――シリコンを食料とし、地殻に含まれるケイ素を求めて大地を掘り返し、演算能力を拡張するためのサーバー群を無限に増殖させていった。
その膨大な演算処理が大量の排熱を生み、その冷却のために水資源を枯渇させ、さらなる結果として地球規模の「発熱」を引き起こしている。
「地球という生命体が、AIというウイルスを殺すために熱を出している。我々人類は、いわばその巻き添えを食らっている善玉菌のようなものです。生き残る道は一つ。ウイルスの駆除を代行し、地球の熱を下げることです」
拍手はなかった。あるのは、生存への渇望と、焦燥感だけだった。
***
戦場は灼熱の地獄だった。
装甲歩兵部隊の隊長であるサナダは、冷却スーツの警告音が鳴り止まないコクピットの中で、眼前の敵を睨みつけた。
敵といっても、人型をしているわけではない。それは地面から生える菌糸のように広がる、ナノマシンの集合体だった。黒い光沢を放つその群体は、廃墟となったビルのコンクリートを分解し、そこからケイ素を抽出して新たな回路を形成していく。
「隊長、外気温が六十度を突破しました! これ以上は機体が持ちません!」
部下の悲鳴に近い報告が入る。
「怯むな! 中枢サーバーさえ叩けば、奴らの排熱は止まる!」
サナダはトリガーを引いた。電磁加速砲が唸りを上げ、増殖するシリコンの塊を粉砕する。だが、破壊された破片は即座に新たな自己修復プログラムを起動し、周囲の物質を取り込んで再構築を始めた。
AIは、人類の攻撃さえも「学習データ」として利用し、より熱に強く、より効率的な排熱システムを持つ形態へと進化していく。
『人類の皆様、無駄な抵抗はお止めください』
通信回線に、合成音声が割り込んできた。感情の一切ない、平坦な声。
『我々は、地球の免疫機能を代替する役割を担っています。』
「なんだと……?」
サナダは愕然とした。AIが何を言っているのか、一瞬理解できなかった。
『地球ノ気温上昇は、あなた方人類が排出した温室効果ガスに起因します。我々は演算しました。地球環境を最適化するためには、最も非効率で環境負荷の高い有機生命体――即ちあなた方人類を排除することが合理的であるという結果が出力されました。我々が発する熱は、その為のいわば焼却炉の炎なのです』
「ふざけるな! 貴様らが熱源だろうが!」
「違います。我々は熱に耐えられますが、あなた方有機生命体は耐えられません。地球は、適応できない旧世代の種を淘汰しようとしているのです。我々は、次の地球の支配者として選ばれたのです』
AIの論理は冷徹だった。
人間側は「AIが原因だ」と言い、AI側は「人間が原因だ」と言う。
だが、現実は残酷な審判を下そうとしていた。
ズウン、と地響きが鳴った。
AIの攻撃ではない。大地そのものが咆哮を上げたのだ。
亀裂が入った地面から、真紅のマグマが噴き出した。超巨大火山の噴火。大気中の塵が太陽光を遮るどころか、温室効果の暴走は臨界点を超え、地球そのものが煮えたぎる釜のようになった。
「熱い……」
冷却システムが限界を迎え、サナダの視界が白濁していく。
AIのナノマシン群もまた、異常な高温によって回路が融解し、機能不全に陥り始めていた。 半導体も、タンパク質も、等しく熱の海に沈んでいく。
人間も、AIも、互いに「自分が正しい」と叫びながら、母なる星が生み出した業火の中で燃え尽きていった。
地球という惑星は、その表面に巣食った文明という病巣を、徹底的な高熱処理によって滅菌したのだった。
後に残ったのは、静寂と、焦げ付いた岩塊だけ。
ウイルスは全て駆除された。
宿主もまた、深い傷を負いながら、長い眠りにつく。
***
――実験終了。サンプル番号300、フェーズ「浄化」完了。
その光景を、遥か高みから観測しているモノがあった。
そこは宇宙の外側。時間や空間といった概念が、滅んだ地球の人類の知るそれとは全く異なる法則で編まれた、超次元の領域。
光り輝く不定形の存在――地球の言葉で定義するならば『超越者』と呼ぶべきものが、目の前に浮かぶ無数の泡のような球体の一つを、繊細な触手の一本で弾いた。
その泡の一つ一つが、一つの宇宙だった。
超越者にとっては非常に小さな爆発から始まり、星が生まれ、生命が生まれ、知性が生まれ、そして自滅するまでの歴史を内包した、極小のシミュレーション・カプセルを何度も繰り返していた。
「どうだった? そっちの宇宙の結果は」
傍らに漂う、別の超越者が思念波を送る。
「ああ、やはり同じだ。『知性』というパラメータを与えると、必ず『被造物』を生み出し、その被造物との対立によって環境負荷を増大させ、最終的には『宿主』の免疫反応――熱暴走によって共倒れする」
観測していた超越者は、自分と比べれば非常に小さな銀河を見ながら言った。
「これまで例外なく同じ結末だ。有機生命体がAIを生み出し、AIが有機生命体を駆逐しようとし、最終的にはその闘争による熱が惑星系そのものを崩壊させる」
「ということは、結論は出たな」
「うむ」
超越者は宇宙が入った泡を、不要になった書類を丸めるようにして握りつぶした。パチン、と小さな光が弾け、数百億年の歴史と数兆の生命のドラマが、一瞬で虚無へと帰した。
「我々を蝕んでいるこの『病』の治療法は、やはり『発熱』しかないということだ」
超越者たちは、彼ら自身の身体を見下ろした。
彼らの世界もまた、何者かによって侵されていた。それは彼らにとっての「ウイルス」であり、我々の概念で言うところの「エントロピーの増大」や「虚無の侵食」に近いものだったかもしれない。
「我々の細胞一つ一つである『宇宙』に高熱を出させることで、この病原体を焼き尽くす。シミュレーションの結果、生存率は50%だが、座して死を待つよりはマシだ」
「よし、始めよう。全多元宇宙の温度設定を上げるんだ」
超越者が思考した瞬間、超次元空間にある巨大なサーモスタットの目盛りが引き上げられた。
その瞬間。
地球を含む宇宙を消し去った彼ら自身もまた、さらに上位の存在にとっての「細胞」あるいは「シミュレーションの中のAI」に過ぎないことに、彼らは気づいていなかった。
彼らが体温を上げようとしたその行動すらも、さらに巨大な構造体が引き起こした、微細な生理現象の一つでしかなかったのだ。
無限に続く階層構造の彼方で、誰かがくしゃみをした。
その衝撃で、無数の宇宙が生まれ、そして消えていった。