平繁無忙の何でも書くブログ

  • 自分が影響されるものを選別してから投票する

    高市首相が衆議院を解散し、1年半振りの衆院総選挙が決まりました。なぜこの時期に、という批判は分かるのですが、解散を党利党略のためだとか、議員の権利がとかアレコレ言い出すのはさすがに無理がないですかね。

    なにせ、戦後の総選挙で任期満了によるのは三木内閣時代のただ一回きりです。前の選挙から4年弱経って事実上の任期満了だったのも、2009年の麻生内閣のときと、2021年の岸田内閣のときに限られます。

    小沢一郎氏が色々言っていますが、彼自身が幹事長として辣腕を揮っていた海部内閣での総選挙も今回と同じタイミングだったのですけれどね。まあ、お年を召されてだいぶ記憶が遠のいているのかも知れません。

    さて、そんなこんなで選挙が近づいてくるわけですが、このネット社会では政治や選挙に影響を与えそうな情報が溢れています。日本では法整備も遅れているのと、そもそも外国企業のソーシャルメディアでは制限のしようがない部分もあり、玉石混交、真偽不明な書き込み、投稿、画像や動画が飛び交っています。正確には、玉石石石石石石石石石混交、真偽偽偽偽偽偽偽偽偽不明といった方が適切でしょうか。

    一応、自分なりの情報制御として、選挙期間中は
    ・SNS(XやFacebook)は見ない
    ・ショート動画は見ない
    ということは心がけています。あれらは目に入ったが最後、時間泥棒の上に、知らぬ間に特定の政治的偏向を植え付けかねません。だったら選挙期間中でなくてもアカンのですが、オールタイムで見ないというのもそれはそれでつまらないので、直接的に投票行動に影響しそうなタイミングに自粛しています。

    こう書くと、オールドメディア万歳、ネットメディア否定派のように思われるかも知れませんが、オールドメディアも駄目なものは駄目ですよね。今回の選挙に当たっても、某在阪キー局の大やらかし偏向報道がありましたけれど、アカンもんはアカンのです。それは、媒体や外側よりも内容で判断すべきですが、それを受容し続けている人にとっては判断がつかなくなります。

    だからこそ、投票する先を決めるに当たっては、出来得る限り一次情報に絞って取得するべきでしょうね。

    ここでいう一次情報とは、政党・政治家自身のHPや広報誌、演説、党首討論、政見放送といった、テレビ・新聞・ネットや評論家・インフルエンサーなどを経由しない情報です。

    そして、二次情報とは、テレビニュース、新聞の記事などマスメディアや、マスメディアではないネット情報(例えば、一般人が録画して公開している政治家の演説とか)です。

    街頭演説はその時の周囲の状況、党首討論はその媒体での編集によっては受け取るイメージが変わりかねないので注意が必要ですね。演説をテレビやネットで編集された形で見ても、それは二次情報でしかありません。編集した人の意図が意思が混入しているからです。

    さらに三次情報はそういった二次情報を元にして加工したり独自の見解を加えたもの、まとめたものなどが当たります。もうこの辺になってくると、はっきりと政治的主張や偏りが出てきます。むしろ主張を行うために三次情報を世に送り出しているのですから当然です。

    少なくとも三次情報を元に投票行動を決めるのは個人的には危険かなと思います。誰か別の人の判断にそのまま乗っかっているようなものですから。まあそれでも良いと思う人も多いかも知れませんが。

    二次情報にしても、一種類の情報だけで決めてしまうと、結局それはそのメディアの意向をそのまま借用するようなものですので、せめて二次情報でも複数のものを元にした方が良いでしょうね。

    もっと言えば、一次情報だってそっくりそのまま信用出来るわけではありません。政治家自身が言っていること、政党の公約を真に受ける人はいないでしょうけれど、信仰のような形で信じてしまっているのは、判断していないのと同じです。

    しかしながら、一次情報の中身の責任はその情報の発信元です。だからこそその情報が間違っていた場合は、発信元が間違えたことが確定します。

    二次情報、三次情報に関しては、その情報の真偽は、大本の発信者に加えて途中の媒体にも責任がかかってきます。具体的に言えば、中身を捻じ曲げて伝えたり、虚偽の情報を追加したりしているかも知れないが、それがどこで行われたかが分からないのです。

    これらを常に意識して、自分が受け取る情報の取捨選択を完璧に出来れば良いのですが、なかなか難しいものです。それでも、意識しているのとしていないのとでは、やはり結果は違ってくるでしょうし、自分の投票行動を自分で納得できるようにするには、こうするしかないですね。

  • 家事使用人と「アットホームな職場」

    社労士試験受験者なら必ず知っているけれど、そうでない人は知らない人も多い職業として「家事使用人」というものがあります。

    https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00454.html

    この家事使用人は、誰かに雇われる労働者でありながら労働基準法の適用外になっています。理由としては、簡潔に言うと働き方が一般的な労働者に適用される労働基準法に馴染まないから、ということです。家庭で働く以上、朝早くから夜遅くまで長時間拘束されたり、途中の休憩時間も曖昧になったり、通常想定される労働者とは働き方が異なりますのでしょうがないのでしょうが、仕組みをよく知らない人からしたら驚きでしょう。

    労災保険法についても強制適用ではありません(特別加入は可能)。

    しかしながら、時と場合によっては厳しい労働環境・労働条件になることもある家事使用人にも当然ながら労災が発生することもあります。普通の労働者に比べるとブラックな職場環境・働き方にもなりがち7日も知れません。

    こういったことが問題視され、家事使用人にも労働基準法を適用して、労災保険の強制適用事業にしようという動きが厚生労働省で検討を重ねられてきました。すぐにそうなるかは分かりませんが、いずれは適用されるようになるでしょうね。

    さて、家庭=「ホーム」が職場というと、求人情報で非常によく見かける「アットホームな職場です」という言葉が思いつきます。

    もうネット上ではブラック企業が募集時に使いがちなフレーズとしてネタとしか扱われないのですが、未だにこの言葉を使って募集している企業がありますので、その企業の担当者や経営陣にとっては、「アットホームな職場」であることをガチで正しいことで誇りに思っている可能性があります。

    従業員同士及び経営陣と従業員の間が、よそよそしくなくて仲が良く、お互いに助け合って支え合っていて、飲み会や社員旅行を楽しんでいます!といった面のアピールのために、「アットホームな職場です」と言っているわけですが、大抵の場合、直接的に罵倒され、冷静な評価よりも感情的な対応が多く、職場以外でも時間を取られ、そして家庭のように朝早くから夜遅くまで関わり合うイコール仕事をすることになります。まあブラックですね。

    家庭というものは人が生きる上で24時間存在して関わるものであり、36協定無ければ最長8時間労働が普通の一般的な労働は、家庭という環境は馴染まないのですよね。だからこそ「アットホームな職場」という言葉は矛盾しているのです。

  • 数字よりもナラティブ(ストーリー)の時代

    20世紀は「数字」の時代でした。経済成長率、生産量、株価。私たちは、あらゆる物事を数値化し、その増減に一喜一憂しました。GDP(国内総生産)は、国家の豊かさを示す絶対的な指標であり、その成長こそが至上命題とされたのです。二度の世界大戦と冷戦を経て、物質的な豊かさを追い求めることが、人々の共通認識となりました。

    しかし、21世紀の幕開けを告げたのは、9.11同時多発テロでした。経済大国の象徴ともいえるワールドトレードセンタービルに突っ込んだ旅客機は、私たちが信奉してきた「数字」の価値観を根底から揺るがしたのです。このテロの実行犯たちは、経済的な豊かさではなく、自らが信じる宗教的、思想的な物語、つまり「ナラティブ」を優先しました。

    もちろん、「ナラティブ」の重要性は、今に始まったことではありません。古代から、神話や伝説は人々を導き、社会を形成する基盤となってきました。ですが、近代以降、特に20世紀において、「ナラティブ」は「数字」の後塵を拝するようになりました。科学技術の発展は、客観的で実証可能な「数字」への信頼を強固なものとしました。「数字」で語れないものは、非科学的で、曖昧で、信頼に値しないと見なされたのです。

    しかし、21世紀に入り、この潮流は再び変化しつつあります。情報技術の爆発的な発展は、私たちを「情報過多」の時代へと導きました。膨大な情報が溢れかえる現代において、人々は、単なる「数字」の羅列ではなく、意味や文脈を持った「ナラティブ」を求めるようになっています。

    この変化を象徴するのが、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻、トランプ現象、あるいは中国の台頭、「日本を取り戻す」といったスローガンです。これらは全て、強烈な「ナラティブ」を基盤としています。ロシアは、「大スラブ主義」という歴史的「ナラティブ」を掲げ、ウクライナへの軍事行動を正当化しようとしています。トランプ前大統領は、「Make America Great Again」という、かつての「偉大なアメリカ」を取り戻すという「ナラティブ」で、多くの支持者を獲得しました。中国では習近平国家主席が「中華民族の偉大な復興」という「ナラティブ」を掲げ、国際社会における存在感を高めています。故安倍晋三元首相の「日本を取り戻す」というスローガンも、かつての「強い日本」への回帰を訴える「ナラティブ」だと言えるでしょう。

    これらの「ナラティブ」は、必ずしも客観的な事実に基づいているわけではありません。むしろ、歴史を都合よく解釈し、感情に訴えかけることで、人々を動員しようとしているという批判の方が多いでしょう。逆説的ながら、その意味で、「ナラティブ」は、時として「数字」よりも強力な武器となり得るのです。

    しかしながら、現代は単にナラティブが優勢になったという単純な話ではないはずです。

    現代において、SNSは「ナラティブ」を拡散する強力なツールとなっています。「いいね」や「シェア」といった機能は、人々の共感を可視化し、特定の「ナラティブ」に勢いを与えます。この現象は、時に「エコーチェンバー現象」と呼ばれる、自分と似た意見ばかりが反響し、異なる意見が排除される状況を生み出します。その結果、社会の分断が進み、対話が困難になる恐れがあります。

    これはまさに「正解のない問い」を突き付けられている状態と言えるのではないでしょうか。

    さらに、AIの発展は、「ナラティブ」の生成や操作に新たな可能性をもたらしています。AIは、膨大なデータを学習し、人間が書いたような自然な文章を生成することができます。この技術は、マーケティングや広報活動に活用される一方で、フェイクニュースやプロパガンダの拡散に悪用される危険性も孕んでいます。

    私たちは今、「数字」と「ナラティブ」が複雑に絡み合う時代を生きています。どちらか一方に偏るのではなく、両者のバランスを取りながら、現実を多角的に捉えることが重要です。

    「数字」は、客観的な事実を示す重要な指標です。しかし、「数字」だけでは、人間の行動や社会の動きを完全に理解することはできません。「数字」の背後にある「ナラティブ」を読み解くことで、初めて、私たちは真実に近づくことができます。

    一方、「ナラティブ」は、人々に共感や希望を与え、行動を促す力を持っています。しかし、「ナラティブ」に盲従することは危険です。批判的な視点を持ち、「ナラティブ」の真偽を見極めることが求められます。

    21世紀は、「数字」と「ナラティブ」の狭間で、私たち自身の価値観が問われる時代です。この難解な時代を生き抜くためには、多様な「ナラティブ」に触れ、異なる意見に耳を傾け、自らの頭で考えることが不可欠です。そして、私たちは、より良い未来を築くために、どのような「ナラティブ」を選択し、紡いでいくべきなのか。その答えは、一人ひとりの心の中にあります。

  • 天皇杯決勝の開催日を固定することで年中行事化しよう

    少し前の話ですが、全国高校サッカー選手権大会の決勝戦の観客数が6万人超えとなり話題になっていました。

    その一方で、プロも含めた社会人チームの日本一を決める天皇杯決勝がその半分強程度しか入らなかったことも嘲笑を添えてネタにされていました。

    詳しく見てみましょう。

    11月の天皇杯決勝が31,414人
    https://www.jfa.jp/match/emperorscup_2025/schedule_result/pdf/m87.pdf

    1月の高校サッカー決勝が60,142人
    https://www.jfa.jp/match/alljapan_highschool_2025/match_report/m47.pdf

    でした。

    カテゴリの違いを考えるとJリーグ情けないという話になりますが、決勝進出した2チームのファン・サポーター・関係者だけが観客になるわけではありません。

    かつて、天皇杯は元日決勝がおなじみでした。両チームのサポ以外にも、東京近郊に住むサッカーファンが、明治神宮にお参りしたその足で国立競技場に来て観戦していました。晴れ着姿の観客も結構いましたよね。

    しかし、元日決勝ではなくなった今、その習慣が失われてしまったため、決勝進出チームの人気の有る無しによって、動員数が変わるようになってしまいました。

    https://www.jfa.jp/match/emperorscup_2024/schedule_result/pdf/m87.pdf

    その証拠に、同じ11月下旬の土曜日に行われた2024年の天皇杯決勝は、東京から遠いヴィッセル神戸対ガンバ大阪の関西対決だったにもかかわらず56,824人の動員でした。2025年との差は、ガンバと町田の差でもありますし、そもそも神戸がそんなに・・・ということでもあります。

    ちなみに2023年は、川崎対柏の関東対決で、共にサポーターが多いクラブでもありますので62,837人と大入りでした。
    https://www.jfa.jp/match/emperorscup_2023/schedule_result/pdf/m87.pdf

    その前年の2022年は、J2の甲府が広島との大熱戦を制した決勝でしたが、地方クラブかつ片方はJ2ということもあり、37,998人と少なめでした。
    https://www.jfa.jp/match/emperorscup_2022/schedule_result/pdf/m87.pdf

    毎年のように決勝の開催時期が異なるのは大きな問題です。サポーターが多いクラブかどうかという問題もさることながら、その両チーム以外のサッカーファンへの訴求が全く出来ていない状態です。

    むしろ、11月最初の休みにほぼ固定されているルヴァンカップ決勝の方が馴染み深くなってきたくらいです。

    そして、高校サッカーの決勝戦も、基本的に成人の日周辺に決勝が行われるという「習慣」は、「年中行事」化することで、出場チームに左右されない動員数をもたらしていると言えます。Jリーグクラブよりも遥かに、決勝進出高校のファン自体は少ないはずですから(多かったらプリンスリーグとかにも客がたくさん入っているはずです)。

    奇しくも、元日のnoteで私が書いたように、

    https://hrsgmb.com/n/na487f171ed66

    天皇杯の元日決勝が復活します。この一回限りにせず、その後も10年20年と元日決勝を続けていって、毎度おなじみの年中行事にするべきでしょう。

  • 政治と現実の狭間で揺れるノーベル平和賞

    2025年のノーベル平和賞は、南米ベネズエラの野党指導者マチャド氏に授与されました。

    そして年が明け、マチャド氏を危険視し弾圧していたマドゥロ大統領がアメリカ軍によって拘束され、ベネズエラの独裁体制はアメリカの武力の元、崩壊しました。

    今後のベネズエラがどのようになるかは分かりませんが、マチャド氏にとってはトランプ大統領は母国を救った英雄でもあるのでしょう。彼が熱望してやまないノーベル平和賞を譲渡すると発表し、平和賞のメダルを贈呈したことを発表しました。

    当然ながらノーベル賞委員会は譲渡については認めていません。しかし、このことはノーベル平和賞の意義とは何なのかということを考えさせられます。

    持っていても現実には平和にならないし、独裁政府から狙われる理由にもなります。いっそのこと、それを欲しい人に譲る代わりに、何らかの見返りを得た方が、現実の平和に近づけるかも知れないとすると、譲渡するほうが賢明かも知れません。

    ノーベル平和賞は非常に政治的意図があけすけに見え透いているとよく批判されていました。そもそも「平和」の概念が非常に政治的である以上、それは賞の本質でもあるのでそれをもって平和賞なんか意味がないという理屈も無理があると思いますが、その一方で平和賞を受賞したらなにか世界が変わるのか、という疑問もあります。

    1990年受賞のゴルバチョフ氏は、改革により最終的にはソ連の解体、強権的な共産主義体制を終了させたことで西側では称賛されましたが、国内的には非常に不人気になり、ロシア人にとっての英雄の地位はエリツィン、さらに後のプーチンに奪われました。

    1991年受賞のアウンサンスーチー氏は、軟禁中ながら民主化の象徴として世界的に注目され、軍事政権による監視はあれど処刑できなくなるメリットを得られました。その一方で後年ロヒンギャ弾圧を巡って平和賞剥奪運動まで起きるほど名声が失墜しました。

    2010年受賞の劉暁波氏は、中国共産党政府による非人道的な独裁体制を告発する民主活動家でしたが、当局によるさらなる弾圧を招き、また「孔子平和賞」という謎な賞を設けて西側諸国に対抗する枢軸を結成させました。

    ノーベル平和賞を受賞したことで、世界がその人の望むように変わることはありません。賞そのものと同じように、平和的な、言い換えると非実力的な影響力しか無いのです。

    マチャド氏にとっての現実を変えたのは、世界一の軍隊とそれを指揮する強権ならぬ狂犬的大統領でした。ベネズエラの独裁体制を破壊したのはノーベル賞委員会ではなく、トランプ率いるアメリカ軍であったことは厳然たる事実です。見方を変えれば、ノーベル賞を譲渡すれば独裁者を打破できるとしたら、現実主義者なら誰だって譲渡するでしょう。それが良いか悪いかは人によって判断が分かれるでしょう。

    そもそも、ノーベル平和賞は、2,30年経った「過去の人」や「過去の事件」を元にして、対象者を先行すべきではないでしょうか。

    現実の政治家や団体、事件や戦争などについて、歴史的な評価が冷静に下せるようになるには2,30年はかかります。それまでは評価時点でも政治的影響力がまだ残っているからです。

    物理学賞や化学賞などでは、学問的価値が定まってから受賞者を決めるため、すでに死去しているケースも多いくらいです。平和賞だけ「今起きている事象」を対象にするからこそ、こういう問題が起きるのだと思います。

  • 民主党は政権奪還時に元に戻せるか?

    アメリカのトランプ大統領が以前から主張している、グリーンランド領有の件については、話し始めたときは何いってんだこのクソジジイみたいな反応だったものの、繰り返し続けると次第に現実味が帯びてきます。

    もちろん、いまだ実現するには大量の問題がありますけれど、

    https://www.reuters.com/world/europe/denmarks-greenland-dilemma-defending-territory-already-its-way-out-2026-01-10/

    この辺の記事を読んでいると、欧州政府や有識者は現実的な危機感を持っていることが分かります。

    グリーンランドがデンマークから独立する動きは、トランプ以前から存在していました。トランプ大統領による圧力により、独立運動は加速していくはずです。

    この独立は、独立国家として完全に孤立することが目的ではなく、最終的にはアメリカ合衆国への併合を伴い、アメリカ経済圏にガッチリ組み込まれることによる生活やインフラの向上を求めるところにあります。もちろん、完全独立を求める人もいるでしょうけれど、長年デンマークに見捨てられてきたと思う住民にしてみたら、デンマークよりも近くにある超大国に組み込まれたほうが良いかも、と思うのも仕方ありません。

    この、独立してから大国に併合されるという流れは、12年前にウクライナから独立を宣言したクリミアをロシアが併合した動きと重なります。

    ロシア軍による圧力下の議決及び住民投票による独立と併合でしたが、あれと同じことをトランプ大統領が真剣かつ究極的に望んだ場合は、アメリカに51番目の州が生まれることになるでしょう。そして、ロシアと中国はクリミアの前例がある限り批判できません。

    もちろん、暴挙以外の何物でもないのですが、もしこれが実行されて既成事実となってから、トランプ政権及び共和党から、民主党が政権を奪還して生まれた民主党の大統領は、グリーンランドをデンマークに返還できるでしょうか?

    トランプの始めた米中経済戦争は、民主党のバイデン大統領の下でも継続されました。移民政策を始めとして民主党と共和党の間では政策が急変することもありますが、継続することもあります。ベネズエラのマドゥロ大統領拉致にしたって、実際に裁判が始まっていたら、次に民主党大統領が生まれたとて、ベネズエラに帰国させて独裁体制を復活させることはしないでしょう。

    対外政策は民主・共和両党で共通していることも多く、もしそのような状況になっても、マドゥロの釈放・帰国もなければ、グリーンランド返還も出来ないでしょうね。米国の国益担っていますから。

  • 「拡大するシュルレアリスム展」と「大原美術館所蔵 名画への旅 ― 虎次郎の夢」を観てきました

    オンラインで前もって購入していた2つの特別展を観てきました。

    まずは大阪中之島美術館で開催中の
    「拡大するシュルレアリスム 視覚芸術から広告、ファッション、インテリアへ」です。

    https://nakka-art.jp/exhibition-post/surrealism-2025/

    朝一番、10時開場のタイミングで美術館に入りましたが、特に行列など全くありませんでした。始まってから1ヶ月以上経ったこともあるのでしょうけれど、意外と人がいなくて驚きました。会場内ではそこそこいましたが、それでも十分余裕を持って作品を鑑賞できました。この特別展は会期が2つに分かれていて、

    会期 2025年12月13日(土) – 2026年3月8日(日)
    前期:12月13日(土)– 1月25日(日) 後期:1月27日(火)– 3月8日(日)

    となっています。後期待ちの人が多いのかな。この会場は4Fで催されていましたが、会場にあった案内には、5Fの展示替えの準備により音がするかも、とありましたので、後期は5Fでやるんですかね。

    絵画だけではなく、オブジェ、写真、ポスター、ファッションなど、シュルレアリスムを様々な形で表現している作品が展示されていました。中には20分ほどの映画もありました。

    さて、大阪中之島美術館を出て、昼食を摂ってから、フェスティバルタワーウエストの4Fにある中之島香雪美術館に向かいます。

    こちらでは、
    「大原美術館所蔵 名画への旅 ― 虎次郎の夢」

    https://www.kosetsu-museum.or.jp/nakanoshima/exhibition/ohara-museum-of-art/

    が開催されています。岡山県にある大原美術館は、私は一度だけ行ったことがありますが、日本における私設美術館の先駆けのような存在ですね。

    大原美術館にある、主に19世紀〜20世紀の作品が展示されています。一番の目玉作品であるエル・グレコの「受胎告知」は400年前のものですが。

    こちらの美術館のほうが規模は小さいですが、午前に観ていた「拡大するシュルレアリスム」展と同じか多いくらいの人がいました。私のように両方観に来ている人もいたでしょうね。

    19世紀から20世紀前半にかけての西洋絵画を一通りなぞるような展示で、その辺の絵画の導入編のような感じで観られると思います。

    さて、今年の大阪における美術展では大きなトピックがありますね。

    https://vermeer2026.exhibit.jp/

    日本人が大好きなフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」が、夏に大阪中之島美術館にやってきます。さすがにこの展覧会は会期中ずっと混雑しているでしょうね。

  • PK戦の神も細部に宿る。

    昨晩、U23アジアカップ準々決勝、日本対ヨルダンの試合が行われました。日本はこの大会には、2年後の五輪出場の強化のためにU21のチームで挑んでいますが、グループリーグは3戦全勝無失点10得点という完璧な結果でした。

    これを受けての準々決勝でしたが、ヨルダン相手に大苦戦となりました。前半に先制されるも後半に追いつき、チャンスはあれど決めきれずに結局PK戦までもつれ込みました。

    我が愛するガンバ大阪からは、GKの荒木琉偉が選出され、GLでは2試合出場するも大勝のため目立つプレーもなかったのですが、それもこのヨルダン戦のためだったのでしょう。

    PK戦では4本中2本を見事にセーブして、日本代表の勝利に貢献することとなりました。マンオブザマッチは荒木で間違いありません。

    そしてこのPK戦はヒーロー荒木以上にネットでYouTubeやXで拡散されるプレーが出現しました。

    日本の2本目、道脇が蹴ったシュートをヨルダンGKが片手で素晴らしいブロックを見せ、ガッツポーズをしていた最中に、弾いたボールが高く上がって落ちたところで強烈なバックスピンによりゴールイン。

    今後の何十年も擦られ続けるであろう、サッカー面白ゴールが公式戦で爆誕しました。

    GKがボールをセーブし終えてない状況でボールから目を離して吠えた挙句のゴールですから、もう弁解の余地はまるで無いのですが、思い出したのは2004年アジアカップの準々決勝ヨルダン戦です。

    この試合も大苦戦でPK戦になり、PKスポットが荒れていたために日本の1人目、2人目が足を滑らせてミス。ここで宮本恒靖キャプテン(現JFA会長)が審判にアピールしてゴールのサイドを変更という前代未聞の事態に。2本差からの大逆転劇が川口能活によってその後にもたらされましたが、このPK戦でヨルダンの選手たちは、まだ最中なのにまあまあ相手を煽るようなポーズを繰り返していました。

    この2004年のPK戦では、ガッツポーズによりゴールを許す失態をしたわけではありませんが、プレーよりも優先するものがあったヨルダンが最終的に敗れたのは、勝った日本側にとっても印象的でした。

    22年経った2026年の、年代別とはいえまたアジアカップでのPK戦でのヨルダンとの邂逅となったわけですが、あちらでは特に教訓とはなっていなかったのかも知れませんね。

  • 同じ内容のnoteを別々の人が書いているのを見つけた

    まずは以下の2つのnote記事をご覧ください。

    https://note.com/mijuari/n/na324cb96112b

    https://note.com/gadgeter_117/n/n2fe2c995c8ea

    タイトル画像は違うといえば違いますが構図は同じです。しかし画像の違いなどどうでもいいくらいのレベルで、タイトル及び記事の中身が同じです。

    似ているとかいう問題ではないので、もう明らかなのですが、これはどうすればいいんでしょうか。

    前者の公開は 2026年1月13日 06:11
    後者の公開は 2026年1月14日 05:52

    約1日の差があります。

    note公式に報告すべきなのか。ただ、公開した瞬間の中身と修正後の中身は同じとは限らないのですよね。

    もう面倒だからこのnoteに書くだけにしておきます。後は知らん。

  • 鼻うがいの私的効果

    【以下に記載している内容は医学的根拠に基づいたものとは限りません】

    昔から鼻炎持ちでした。多分、物心付いた頃からだったと思います。小学生の頃は冬に鼻水を手の甲で拭いすぎて、冷たく乾燥した空気にさらされた結果、手にあかぎれが出来るくらいでした。

    成長すると多少はマシになったものの、鼻水はほぼ年中出るタイプで、季節の変わり目や気温の変化が天敵でした。大人になって点鼻薬の存在を知った時には感動しましたけれど、後で鼻茸の存在を知って震えました。

    鼻水が垂れて喉に落ち、喉や扁桃腺が腫れて風邪を引く、というのがオッサンになっても定番の風邪ルートでした。幸いなことに、インフルエンザも新型コロナにも感染しておらず、ただひたすら普通の風邪を引いているだけなのです。R-1ヨーグルトを毎日飲むようにすると、だいぶ鼻炎の症状は収まったかに思えましたが、数年経つと身体が慣れてきたのか、変わらなくなってきました。

    ということで、別の対策として「鼻うがい」を元気なときでも毎日1,2回はするように習慣づけました。

    50歳近くになって新たな生活ルーティーンを身に付けるのはなかなか難しいのですが、数日続けただけで明らかに鼻詰まりがなくなりました。激減どころかゼロになりました。物心付いてから初めて、鼻水のない冬を迎えて感動しているくらいです。

    鼻うがいを習慣化してから半年以上経ちましたが、非常に快適です。点鼻薬も捨てました。ポケットティッシュも買っていたのを止め、街中で受け取ったティッシュが使用されずに増え続けるくらい、外で鼻をかむことも無くなりました。

    最初は、小林製薬のハナノアを買ってきて付属の液体を使っていましたが、当たり前ですが結構コストがかかります。ということで、容器に適当に入れた食塩を、ぬるま湯(湯冷まし)で溶かして、適当生理食塩水を大雑把に作って鼻うがいしています。

    食塩の分量は適当な感覚ですが、数回やってみれば大体分かるでしょう。多すぎた場合は、鼻から口に流れ込んだときに「しょっぱ!」と驚くくらいですが、少なすぎて真水に近づいてしまうと、浸透圧の関係で鼻がツーンと痛くなるので、少し多めから減らしていけば勘がつかめるはずです。

    朝は歯を磨いたタイミングで行っています。夜は風呂場に持ち込んでシャワーを流しながらズルズル出しています。

    なんでこんなに効果があるのか疑問に思うくらいですが、なんとなくの原因を考えてみました。

    鼻うがいをすることで元々鼻炎持ちの私の鼻の中から、喉の方に後鼻漏の残りみたいな鼻水が少し出てきます。おそらくはこれが半日分か1日分の鼻水なんでしょう。それが鼻うがいによって強制的に排出されて、毎日2回、キレイな鼻の状態に戻ります。

    毎日鼻うがいをすることで、鼻の中の鼻水の溜まり具合が一旦リセットされて、累積しないことになります。鼻うがいをしていないときは、少しずつ溜まっていって、何か刺激があったら許容量を超えて鼻が詰まっていたのかも知れません。

    もっと早くから鼻うがいをする習慣を身につけていれば・・・としばしば後悔するくらいですが、残りの人生はおそらく鼻うがいと共にあることでしょう。

    ここまで書いてきたのは、あくまで私個人の体験であり効果であります。人によっては異なる結果になるかも知れませんし、異なる対処法が求められることもあると思います。私は蓄膿症や副鼻腔炎を抱えていない、軽度の鼻炎持ちだっただけですので、鼻うがいだけで良かったのでしょう。症状が重い方はまずはお医者さんにご相談ですね。

  • MicrosoftとBroadcomのユーザー切り捨てによる売上利益アップ戦略

    Windowsの不具合や様々な余計な機能の押しつけなどの心配があったので昨年夏頃にWindows11を捨ててLinux(MX Linux)に移行したのですが、半年経っても安定動作していて快適で満足しています。少しずつですが、世界的にはWindowsからLinuxに乗り換える人も増えているようです。

    そうは言っても大半の人はWindowsを使い続けます。トラブルに遭遇しても、BitLockerやCopilotを勝手に有効化されても、MS OfficeやゲームなどWindowsでしか使えないソフトウェアのため、Windowsから離れられません。企業ですとActiveDirectoryやPC管理のため、そうせざるを得ないでしょうし、アンチチート機能搭載のゲームに没頭するゲーマーも同様です。

    MS Officeやゲームについては、一部は正常に使用できるMacに移行した人もいるでしょうけれど、やはり結局はWindows頼みです。

    それだけWindowsを巡って世間や各種組織から批判を浴び続けていても、Microsoftにとっては馬耳東風で、利益にならない意見に耳を傾けるつもりも必要もないのでしょうね。その証拠に、Windows10のサポート終了時期の発表、及びWindows11の発表を行った2021年からの株価の推移を見ると、2倍以上になっています。米国株全体が上がっているとはいえ、あれほどの巨大企業が4年で2倍になるのは、それだけ売上利益が株主にとって満足いくものだからと言えるでしょう。顧客の文句でお腹が膨れるわけではないですからね。

    Microsoft以上に、文句を言ったユーザーの割合が多かったかも知れない企業が、ここ数年のBroadcomです。

    仮想化基盤として超有名だったVMwareを買収してから従業員の半分をリストラし、さらに無料利用条件を大幅に引き上げたり、代理店を極端に絞ったりしてユーザー数を大幅に減らしました。その代わり、利益率の高い顧客に専念できることになったわけで、Broadcom社の今現在の株価VMware買収時の3倍以上になっています。

    MicrosoftはWindowsを売って稼ぐビジネスモデルはキッパリ捨てて、クラウドで稼ぐ会社になりました。Windowsはクラウドで稼ぐためのプラットフォームであり、呼び水であり、踏み台でしかなくなりました。だからこそユーザー満足度を下げてでも広告てんこ盛りのOSに作り変えているのです。昔Windowsを購入して、Microsoftに追加のお金を1ドルも払わずに使い続けているユーザーに価値はないから切り捨てるのです。嫌がられてMacやChromeOSやLinuxに逃げられたとしても、その分サポートの手間が減り、Microsoftの有料サービスを使う人の割合が増えるのであれば、Microsoftにとっても株主にとっても万々歳なのです。

    BroadcomのVMwareにとっても同じこと。極論すれば、貧乏人がProxmoxやVirtualBox、その他多くの仮想化ソフトに逃げ出してほしいはずです。

    利用者を減らしても売上・利益が上がるのですから、資本主義社会における営利企業ならそりゃそうするよな、というお話です。将来的にはユーザーが減り続けてジリ貧になるんじゃないかという気がしなくもないですが、VMwareについては利用している大企業に入社したら意地でも使わざるを得ないのですから別に問題ないでしょう。

    MicrosoftのWindowsについてもMS Officeを使う企業ならWindowsを使うことになります。個人仕様に関してだけは、子供時代をパソコンといえばChromeOS、という環境で育ってきた人が、大人になったときにWindowsを選ぶかどうかによりますが、徐々にLinuxでのSteam環境の整備が進んでいますし、コンソール機を使う人も多いでしょうから、ゲームのためのWindowsという選択肢は選ばない人が増えてくるでしょうね。それもMicrosoftは承知の上なんでしょうけれど。

  • 映画「TOKYOタクシー」を観てきた

    キムタク好きな親を連れて梅田の大阪ステーションシティシネマへ。

    ネタバレにならないような感想を書きますけれど、そもそもの元になったという「パリタクシー」を観ていなかったし知らなかったので、劇中のストーリー展開にはなんか強引なところがチラホラ感じられたのは、多分持ってきた筋書きのところなんでしょう。過去の事件のこととか、子どものこととか、ネイルのこととか。

    倍賞千恵子が、あの年代の女性が若い人(といってもそれなりの年齢ですが)に接する際の感じをまあ完璧に演じています。身寄りのない老人の身寄りのない理由として、ああいうバックグラウンドの人生を用意したシナリオですけれど、ああいう人生を経験した老婆としては、倍賞千恵子が上品すぎる気もしました。ただ、主人公が倍賞千恵子でなかったら、山田洋次監督はそもそもこの映画を撮らなかった気がします。

    木村拓哉は若い頃の若さとカッコ良さを活かしたドラマよりも、今のような昔イケメンだったイケオジを演じる方が素敵に思う。教場の映画も来月封切りのようですが、今後は年齢を重ねたキムタクの演技を好きになるオッサンが増えてきそうな気がする。

    蒼井優はさすがというか、昭和の辛い人生を送る美しい女性を演じさせたら、やっぱり抜群の適性を感じさせます。山田監督が何度も起用するのも宜なるかな。

    結末については予定調和的なんでしょうけれど、あのストーリーで驚天動地のどんでん返しを結末に持ってきたらそれはそれで変すぎます。想像も出来なかった結末で驚かせることが主目的の映画ではないのですから。そもそも山田洋次監督の映画に予定調和的だという批判もおかしいと思いますけど。

    世間や業界での評判がどうなのか知りませんけれど、良い映画だと思いました。戦時下から昭和の後半にかけての時代背景と、東京という街の移り変わりに関しての知識と理解があって、なおかつ、自分や家族、親族に倍賞千恵子や木村拓哉の役柄に近い人がいるかいないかで、この作品への共感度合いはかなり異なりそうな気がします。

    ちなみに、私自身が映画を映画館で観ることが20年振りくらいでした。スクリーンへの案内が開始されてから上映予定時刻の前までに他の映画の広告がひたすら流れるのは分かるのですが、上映予定時刻から後、実際に本編が始まるまでも十数分間、一般企業のCM含めて広告が流れ続けるのって昔からでしたっけ。ああいうのに出くわすと、また映画館から足が遠のいてしまうのですが、映画ファンならそうでもないんでしょうかね。