平繁無忙の何でも書くブログ

  • 外国介入の限界と歴史的教訓

    アメリカによるベネズエラ大統領夫妻拘束作戦があまりにも見事に決まり過ぎたために、独裁国家の独裁者はやられる側として戦々恐々としているでしょうし、逆に自分が侵攻する側としては「自分たちもやれる!」と意気込んでいるところもあるでしょう。

    ベネズエラが今後、どのような未来を歩んでいくかはベネズエラ国民の意志と意思によります。アメリカの軍事力は重要なファクターですが、どんなにアメリカが望んだところでベネズエラ側が主体であることは変わりません。アメリカはこの21世紀に入り、イラクとアフガニスタンを一時は完全に制圧したにも関わらず、結局はアフガンでは民主化に完全に失敗して撤退し、イラクは混乱した情勢を収められていないように、ベネズエラの統治に深く関与しても失敗するだけでしょう。あくまでベネズエラ国民(と権力者)が選んだ方向に進んでいくでしょう。それが望ましい方向と限らないのは確かですけれど。

    強硬手段によって独裁者を取り除いた結果、その国が独裁国家でなくなって民主化されるとは限りません。というか、大抵の場合はその後を別の独裁者が受け継ぎます。

    それと同じように、外国勢力による軍事介入によって独裁政治を無くそうとしても、大抵はまた別の独裁体制が作られます。かつての日本、大日本帝国はGHQによって軍事独裁体制を覆されましたが、それ以前に、明治以来の立憲君主制が民主的素地を育んでいたからこそ、その後の民主政治の定着をもたらしました。

    そういった素地が無い状態で、外国軍が独裁者を倒して、「さあ、今日から民主国家にしてやるぞ」と意気込んだところで失敗するのは当然でしょう。かつてのソ連崩壊後のロシアや東欧・中央アジア諸国では共和国を名乗る独裁国家が軒を連ねているのは、偶然ではないです。

    同じように、民主国家の元首を略取したとしても、民主国家を勝手に作り変えることは不可能でしょう。はっきり言うと、中国軍が台湾の首脳を奪い取ったとしても、台湾政府は粛々と次の中華民国総統を選出するだけです。もし台湾全土を軍事占領したとしてもアメリカに亡命政府が生まれるでしょう。そこから復権するかどうかは知りませんけど。

    少なくとも、75年以上もの間、中華民国として独立した行政府のもとで暮らしてきた台湾の民衆が、中華人民共和国の国民であることを武力によって認めさせるのは非常に困難です。それこそ、中国共産党政府が日頃からさんざん口にしている、抗日の歴史(あれもかなりの捏造がありますが)において、他国の軍隊による支配への抵抗というものが根強く存在し得るのです。20世紀前半の、清王朝末期から終焉、中華民国成立から分解、そして軍閥割拠という大混乱の状況にあっても、大日本帝国による支配には頑強に抵抗し続けていたという歴史は、そっくりそのまま中国軍による台湾支配が上手く行くはずがないという証明にもなるはずです。

    ちなみに、宗教独裁国家とも言うべきイランでは、全土でデモが行われて緊迫した情勢になってきました。イランのトップは大統領ではなく、イスラム教のウラマーから選ばれる最高指導者です。この職にしろ大統領にしろ世襲ではないですし、そもそも「イラン・イスラム共和国」と名乗っていて選挙で大統領が選出されるのですが、野党への弾圧や国家のトップが大統領ではないことを考えると、1979年のイラン革命以降は事実上の宗教に基づく独裁体制を続けてきたと言って差し支えないでしょう。アメリカのトランプ大統領はデモに対する弾圧次第では米軍の介入云々という話もしていますけれど、ハメネイ師をマドゥロ大統領同様に奪取したり、あるいは追放や亡命させたりしたとして、イランは民主化されるでしょうか?

    イランは、47年間のイスラム宗教国家の前は王政国家でした。パフラヴィー朝は1925年から1979年まで続きましたが、それ以前にも長短様々な王朝が続いてきました。今回のデモから政変や革命にまで至るかどうかは分かりませんが、そうなったときに王政が復活するのか、民主国家に生まれ変わるのか。かつてのパフラヴィー朝の元皇太子はアメリカから革命を煽っているみたいですけれど、もし願いかなって復権してもまた追い出されるんじゃないですかね。その未来では、デモで体制変更した成功体験が民衆にあるのですから。

  • 春一番が吹く前に解散風が吹き始めた

    アメリカによるベネズエラ大統領の略取や、イランでの大規模デモ発生、相変わらず緊迫状態の台湾情勢、停戦が実施できないウクライナ戦争、あとはイエメン内戦も激化していますけれど、こういった国際情勢の中、日本の政界では解散風が吹き始めました。

    人気のなかった政権の後に出来る内閣は、たいてい人気が高い状態でスタートするものです。昨年10月に発足時から支持率が高かったですが、高市発言による日中緊迫化と中国政府による一方的かつ高圧的な対応があっても支持率の高さは変わらず。

    これを見て、維新との連立でなんとか成立した政権を早く安定化させるために解散する、というのはごく普通の思考経路でしょう。

    ちなみに、解散風が吹くきっかけをGeminiに聞いてみました。

    ・内閣支持率の上昇: 「今選挙をすれば勝てる」と首相が判断したと思われる時。
    ・重要な政策の節目: 大きな法案が通った後や、逆に政策が行き詰まり「国民に信を問う」必要がある時。
    ・野党の準備不足: 野党が混乱していたり、選挙準備が整っていない隙を突こうとする時。
    ・任期満了の接近: 任期が残り1年を切ると、いつ解散してもおかしくないため、常に解散風が吹きやすくなります。

    とのことです。4つ目以外は当てはまりますね。2つ目の重要な政策の節目としては、「高市発言を撤回するか」について国民に信を問う選挙になるのですから、節目として申し分ないでしょう。

    問題は、解散を決めてから実際の選挙当日までの間にも、国際情勢が激変しかねないことなのですが、だからといって半年後や1年後なら大丈夫なのかと言ったらそんなわけがなくて、いつでも選挙期間中はそんなものです。

    そう考えると、期日前投票はギリギリ(前日の土曜日)まで待ったほうが無難かも知れませんね。

    そもそも、まだ解散すると決まったわけではないのですが、いま解散しない理由もあまり無いのですよね。野党の言う、政治的空白を作ってしまう、というデメリットは理由の一つになり得ますが、何故か今回の高市内閣に対しては、
    「選挙で信任されていない内閣は国民に信を問うべき」
    という論をどこの野党も唱えないですね。解散されたら惨敗するのが目に見えているからなのは明白ですけれど。

  • 秋田スタジアム問題への感想

    この年末年始で、Jリーグのブラウブリッツ秋田のホームスタジアムを巡る問題がクローズアップされています。

    特に問題とされているのが、昨年11月に秋田市とクラブとJリーグ事務局との協議の場における、Jリーグ側からの発言でした。

    情報公開請求によって得た文書をABS秋田放送が報じたことで大きな波紋を呼び、

    https://news.ntv.co.jp/n/abs/category/society/abd3e44d8c3e6f4a6f88c74ed9d6b9bcc7

    それを受けて翌日には秋田市長がJリーグ側の姿勢を厳しく批判し、

    https://www.yomiuri.co.jp/sports/soccer/jleague/20260108-GYT1T00311/

    その一方で秋田市関係者とJリーグ側が協議に関してそのようなニュアンスがないという報道も出てきました。

    https://www.nikkansports.com/soccer/news/202601090001129.html

    私はその文書を読んでおらず(どこかに全文公開されているのなら読みたい)、報道を経由した二次情報にしか接することが出来ません。また、私自身は四半世紀以上のJリーグサポーターなので、偏った意見になるかも知れません。その上での感想となります。

    まずはJリーグが傲慢とされている点についてですが、秋田放送の「語尾・表現・わかりにくい内容等は一部修正しています」がかなり印象操作になっているなあと感じています。

    「〜か」「〜なのか」や体言止めで表記されていますので、日本語としては強い当たりの感じになりますよね。実際の協議の場において、こんな口調で話ているわけがなくて、ですます調で全て書かれていればまた違った印象になるでしょう。

    傲慢だと非難している秋田市長も、ご自身が協議にいたわけではなくて、事務方からの報告を受けているはずですが、その際に問題視されていなくて、2ヶ月経って報道が出てからの批判です。協議の場におけるJリーグ側の発言は現場の市職員が受け止めた感じと、文書かつ秋田放送が書き直した表現とでは、上から目線かどうかの感じが変わっているのだと思います。

    次に、Jリーグ側のクラブライセンスのためのスタジアム要件については、先日書いたnoteの最後の方に書いた、

    https://hrsgmb.com/n/nbed8c44560f0

    昨今は各クラブと地方自治体の間でスタジアムをめぐる問題がニュースになることが多く、リーグ側としても何らかの方針転換は必要なんじゃないかと個人的には思います。
    球技専用スタジアム、屋根付き、交通至便といった要望はあって当然といば当然ですが、それが叶わぬときにどうするか。かつての陸スタばかりの時代に比べれば、専スタが増えたJリーグではありますが、ぶっちゃけ、人口の少ない地方のクラブに厳しいスタジアム要件を課すのは無理があると言わざるを得ません。とどのつまりは誰が金払うねんということです。
    国体がある限り、そして陸上競技を行う中高生とアマチュア選手がいる限り、全国の都道府県に陸スタは存在し続けます。それもそれなりの収容人数がある陸スタです。
    どうしても専スタが良いなら、鳥取のYAJINスタジアムや今治の里山スタジアムのように、安く建てられて、現地の現状に合わせたそこそこの規模でも問題なしとすべきでしょう。
    その代わり、ACLE/ACL2には出場できない、J1リーグにも昇格できないということで良いんじゃないですかね。

    という箇所がありますけれど、Jリーグ事務局側がJ1ライセンスを強く求めているのはやっぱり問題になってもしょうがないと思います。

    切り捨てろとまでは言いませんが、スタジアム建設・整備はあくまでクラブと自治体とスポンサーの話であって、その結果にリーグがライセンスを付与するかしないかを決めるだけにした方が良いんじゃないでしょうか。1万人で増設不可ならJ2ライセンス止まりですとして、昨シーズンの岡山のようにホーム客だけではなくアウェイ客も相当する来るJ1では、1万人では少なすぎるのは確かですし。

    ちなみに、AFC基準での座席要件は、
    ・全席個席であること (ACLEおよびACL2は5,000席以上の個席で、番号が付けられ、背もたれが必須)
    ・すべての座席に番号を分かりやすく付けること (ACLEおよびACL2はすべてのチケットに席番号が必須)
    とされています。発展途上国のスタジアムでは容易にクリアしていますが、ほとんどがその国での首都・大都市のクラブですからね。

    人数に加えてVIPルームや照明(ACLEおよびACL2は1800ルクス、決勝は2000ルクスが必須)の問題がありますので、それなりの基準がやはりJ1では必須でしょう。

    ちなみに、現行のJリーグスタジアム基準[2026年度用]はこちら。
    https://aboutj.jleague.jp/corporatehttps://hrsgmb.com/wp-content/uploads/2026/04/pdf/regulation/jleague/jleague_stadium_standards.pdf

    J1・J2とJ3に分かれているのは、後からJ3を追加したからなのかも知れませんけれど、分けるべきはJ1とそれ以外なんでしょう。そうなると結局はJ1のプレミア化ということになってしまうのですけれど。

  • なぜ改悪が起きるのか

    システムなりインターフェイスなりフォーマットなり、日頃接するものが変更されると、既存ユーザーは「改悪」に感じることがあります。

    改悪は、多くの人にとって不快な経験となりがちです。それは、これまで快適に過ごしていた状態が、突如として変わってしまうことによる違和感や不安から生じる感情と言えるでしょう。しかし、この「改悪」という言葉を深く掘り下げて考えると、単なるネガティブな変化ではなく、むしろ改善と成長のためのものでもあります。

    まず、改悪が起きる根本的な原因は、「気に入った状態から変わる」ことへの抵抗感にあります。人が快適に感じる状態は、個人の価値観や経験、そして生活スタイルによって大きく異なります。ある人にとって心地よいと感じるシステムやインターフェースも、別の誰にとっては使いにくく感じられることもあります。既存の状態が気に入っている人はその変化を「自分にとっての快適さを奪われる」と捉え、改悪に対して否定的な感情を抱きやすくなります。

    さらに、改悪は常に新規顧客獲得のための改良から生まれることが多いのです。企業やサービスは、より多くのユーザーを獲得するために、機能やデザインを改善します。しかし、この改良が、すでに満足している既存のユーザーにとっては、使い勝手の悪化や好みの変化として認識され、「改悪」と感じられることがあります。これは、新規獲得と既存顧客維持という二つの目標の間で葛藤が生じるため、既存顧客は不満を感じて離れてしまうのです。

    重要なのは、改悪を単なる「変更」ではなく、「改善」の機会と捉える視点です。気に入っていない人を顧客として加えたいのであれば、そのために積極的に改良を行う必要があります。しかし、この改良が成功するかどうかは、改悪によって既存顧客にどのような影響を与えるかによって決まります。

    つまり、改悪後のユーザー層において、「改悪に感じて離れる人」と「改良の結果獲得した人」の割合が重要になります。もし、改悪によって既存顧客が離れてしまう割合が多いのであれば、それは失敗と言わざるを得ません。一方、改悪によって新たな価値を提供し、より多くのユーザーを獲得できたのであれば、それは成功です。

    この視点から見ると、改悪は単なる「変更」ではなく、「改善のための試み」であり、その結果を評価することで、本当に必要な改良なのか、それとも既存の状態を維持すべきなのかを判断することができます。

    改悪を恐れるのではなく、変化の必要性を認識し、ユーザーの声に耳を傾けながら、より良い状態を目指す姿勢こそが、成功への鍵となるのではないでしょうか。そして、常に「改善」という視点を持つことで、改悪を単なるネガティブな出来事ではなく、成長と発展の機会として捉えることができるでしょう。

    そうは言っても、「改悪」に感じたら嫌は嫌なんですよね。

  • HTMLメール問題はGmailの普及によってなし崩し的に問題が無かったことになった

    その昔、電子メールは文字だけで構成されていました。もはや電子メールという言葉すら懐かしい響きがありますが、それはともかく、画像などは添付ファイルとして送信するしかありませんでした。

    そして時代は流れ、HTMLメールの登場により、メール本体に画像を貼り付けて、いわゆるホームページのような多彩な表示が可能になりました。JPEGやGIF画像を載せて、文字も装飾を付けられるようになり、味気ないテキストメールと比べて格段の表現力を持つに至ったわけです。

    しかし、良いものには悪い面も存在します。ゴテゴテした画像が大量に掲載されたHTMLメールはデータ量が当然ながら大きくなり、受信するにも時間がかかります。その頃主流だった、ダイアルアップ回線というインターネットに接続するのに分単位で電話料金が必要な手段を使っている一般的なユーザーにとっては、HTMLメールを無断で勝手に送りつけてくる相手は悪魔のような存在でした。

    そもそも、友人や知人同士でのやり取りや、業務上の連絡であれば、メールの中身はテキストだけで事足ります。以前に買い物をしたネットショップか、登録だけしてあまり使っていないウェブサービスが送ってくるHTMLメールは、受信してもデータ食いのため嫌われる対象だったのです。

    また、その頃はそもそもメールは「受信ボタンを押して溜まっていたメールをサーバから自分のパソコンにダウンロードして、1通ずつ読んでいく」ものでした。不必要なメールを受信するのにもお金がかかるのは堪えられない仕打ちなのです。

    そういう状況が変わり始めたのは、2000年代前半から。

    まずはインターネットの常時接続が普及していきました。そのため、受信するメールが増えても、データ量が増えてもあまり気にしなくなりました。しかし、メーラー(メールソフト)でHTMLに対応していないケースもあり(そういえば私はAL-Mailユーザーでした)、結局はあまりHTMLメールは読まれなかったです。

    次いで、GoogleによるGmailのリリースと、その普及が大成功したことで、HTMLメールを受信する障害がほとんど取り除かれました。現在のHTMLメールによる弊害と言うと、スマホでモバイル回線を使う場合にデータ量が多い分だけ「ギガ」を消費してしまうくらいでしょうか。ただ、それを気にしている人は少ないでしょう。実際、HTMLメールのデータ量は今の通信事情から見れば大したことはありません。四半世紀前とは違います。

    結局、当初は嫌われていたHTMLメールの問題は、技術の進歩と普及によって解決しました。解決したと言うよりは、問題自体がなし崩し的に問題ではなくなったと言った方が適切かもしれません。

    テクノロジーの発展により、難題や困難が解決することはよくあります。というか、そもそもテクノロジーは困難を克服するためのものですが、前述のように関係ない方向で解決してしまうこともあるのですよね。

  • コスパ・タイパ重視の時代に問われる「冗長性」の価値

    現代の若者を中心に、「コスパ」や「タイパ」という言葉が日常的に使われるようになりました。コストパフォーマンスやタイムパフォーマンスを重視する考え方は従来は企業戦略、商品開発などに用いられがちでしたが、現代では人の生き方に関して限られた時間とお金を効率的に使いたいという合理的な発想から利用されています。しかし、この効率至上主義の裏側には、見過ごされがちな重要な概念があります。それが「冗長性」です。

    冗長性とは、一見すると無駄に見える余分な要素や余裕のことを指します。元々の意味ではネガティブな意味合いが強いのですが、インフラやサーバの世界では、システムの一部が故障しても全体が機能し続けるために、バックアップや予備の仕組みを用意することが当然であり、冗長性があることは望ましいものとされています。これは単なる無駄ではなく、予期せぬトラブルに対する保険であり、システム全体の安定性を支える重要な要素です。冗長性がないシステムの方がヤバイのです。

    自然界にも冗長性の原理は存在します。働きアリの約二割の個体が何もせずにいることが知られています。一見すると怠け者、いや怠けアリ?も、実は重要な役割を担っているそうで、働き続けている個体が疲弊したときや、予期せぬ事態が発生したときに、この予備の労働力が活躍することで、コロニー全体の存続が保たれています。普段はサボっていて白眼視されている窓際族が、危機的状況で活躍するんですよ!

    さて、この「冗長性が必要」という考え方は、個人個人の生き方にも当てはまるのではないでしょうか。コスパやタイパを極限まで追求し、すべてを効率化した生活は、確かに短期的には最適に見えるかもしれません。しかし、そのような生き方は、まるで綱渡りをしているようなものです。少しでも予定が狂ったり、想定外の出来事が起きたりすると、たちまち崩れてしまう危険性をはらんでいます。

    例えば、仕事で必要な知識や技術はもちろんあります。その知識等をコスパ良く、タイパ良くギリギリ必要な分だけ習得していた場合、何らかの理由や原因があってその仕事を辞めることになったとき、別の仕事に必要な知識技術には不足が出てくるでしょう。全く余裕が無いのですから。

    余裕のない生活では、病気になったとき、人間関係でトラブルが起きたとき、あるいは社会情勢が変化したときに、対応する余地がありません。ギリギリの状態で回している人生は、一つの歯車が狂っただけで全体が機能不全に陥ってしまうのです。

    一方で、適度な冗長性を持った生き方は、予期せぬ変化に対する柔軟性を生み出します。冗長性という、一見すれば無駄、無意味な余分によって得られた知識や経験や技能は、自分の人生に何かあった時に役立つことがあります。人間関係においても、すぐに役立たないように見える付き合いが、思わぬところで人生を豊かにしてくれることがあります。

    一切、乗ったレールから外れることなく、無駄なく完璧に必要十分なだけの人生を歩み続ける自信があって、それをそのまま実現できるのであればそれでも良いのですが、そんなことが出来るのは100万人に一人もいないでしょう。

    効率だけを追求する生き方は、確かにスマートに見えるかもしれません。しかし、一見無駄に見える冗長性という名の余裕を持つことで、人は予測不可能な未来に対して、より強靭で柔軟な姿勢で臨むことができるはずです。

    この意図的な「人生冗長性」は、以前に読んだ書籍ですが、ナシーム・ニコラス・タレブの名著「反脆弱性」にも通じるんじゃないでしょうか。

    https://www.diamond.co.jp/book/9784478023211.html

    https://www.diamond.co.jp/book/9784478023228.html

  • noteのフォロー数とフォロワー数についての疑問

    このnoteは2019年1月途中から書き始めていまして、もうすぐ丸7年を迎えようとしています。ありがたいことに多くの方々にフォローしていただき、書き続けるモチベーションにもなっています。フォロワー数に関しては、最初の頃に

    https://hrsgmb.com/n/nc1f58a6ecbd9

    こちらに書いたようなこともあって、結構な人数になっているのですが、日々増えたり減ったり減ったり、増えたり減ったり減ったりしています。

    最近でもちょくちょくフォローしていただく方もおられまして、そういう場合はできるだけフォローバックをしているのですが、フォローの通知を受けてフォローバックのためにその方のアカウントを見に行くと、かなりの高確率で
    ・フォローが900人前後
    ・フォロワーが200人前後
    になっています。なんで? なんかその辺の人数に到達したら私のnoteがトップに表示される謎システムでもあるんですかね。

    あと、noteの記事が数個(あるいはゼロ)しか無いのに数千人のフォローを獲得しているアカウントもたまに見かけますけれど、そういう人ってフォロワー数についてヤってるんでしょうか? 他のプラットフォームではすでに有名な人がnoteにも手を出したらこんな感じになるのかも知れませんけれど、結局noteの記事が無いなら意味ないやんと思うんですけれど。

    noteに限らずSNSのフォロー・フォロワーの関係って、正当というか普通のものもあるのでしょうけれど、ん?あれ?と思うようなものもありますよね。知らんけど。

  • J無し県・スタジアム要件・Jプレミア?

    2025年シーズンのサッカー界では、JFLで2位になったレイラック滋賀が、J3最下位のアスルクラロ沼津との入替戦を制してJ3参入が決定しました。これにより、「J無し県」だった滋賀県が「J有り県」に変更となり、残る「J無し県」は岩手・福井・三重・和歌山・島根の5県のみです。岩手県も「現在は」Jリーグクラブが存在しないのですが、一応、過去に岩手はグルージャ盛岡が過去にJ3に所属していましたので、過去の経験も含めると残りは4県です。

    J1からJ3までで60クラブあるので、47都道府県全てがJリーグクラブ有りになることは可能なのですけれど、実際には複数のJクラブが同一都道府県内に存在していますので、J無し県が存在していることにもなります。

    ちなみに、複数のJクラブが存在する都道府県は、
    福島県:2(福島、いわき)
    栃木県:2(栃木SC、栃木C)
    茨城県:2(鹿島、水戸)
    千葉県:2(千葉、柏)
    埼玉県:2(浦和、大宮)
    東京都:3(FC東京、東京V、町田)
    神奈川県:5(川崎、横浜FM、横浜FC、湘南、相模原)
    静岡県:3(清水、磐田、藤枝)
    長野県:2(長野、松本)
    大阪府:3(ガンバ、セレッソ、FC大阪)
    愛媛県:2(今治、愛媛)
    福岡県:2(北九州、鳥栖)
    以上、12都府県ですね。

    岩手県はグルージャ盛岡が有りますが、他のJ無し県の状況はと言うと・・・

    ・福井県
    前身のサウルコス福井時代を含めて、現在の福井ユナイテッドが何度も北信越1部リーグを制して地域決勝・地域CLに挑んでいますが、JFLには昇格できず。どこかでJFL入り出来ていたらJ3にも行っていたかも・・・。

    ・三重県
    JFLにヴィアティン三重、アトレチコ鈴鹿を擁していましたが、鈴鹿が東海リーグに降格となってしまいました。東海1部には四中工三羽烏の中田一三が設立に関わり、小倉隆史が監督、次いで理事長になっているFC.ISE-SHIMAもあります。

    ・和歌山県
    16年連続の天皇杯和歌山県代表であるアルテリーヴォ和歌山の一強体制が長く続いています。関西1部リーグでの優勝も何度もあるのですが、やはり地域決勝・地域CLの壁に阻まれています。

    ・島根県
    松江シティFCが2021年にJFL5位という好成績を収めたものの、名称を変更し、FC神楽しまねとして挑んだ翌2022年に、経営難で最終的には解散することになりました。ベルガロッソいわみというクラブが中国リーグで戦っています。

    現在、地域リーグにいるクラブは、地域チャンピオンズリーグの過酷な戦いを勝ち上がらないとJFLに行けないわけで、さらにそこでHondaFCを上回って優勝するか、2位でJ3クラブとの入替戦を勝つかしないといけません。JFL自体も厳しいですが、地域CLが本当にキツい。ここをスルッと上がれるクラブもあれば、何度も阻まれるクラブもあります。

    JFLにまで上がってくると、いよいよJリーグが目前になるわけですが、成績だけではなく経営状況や練習場、クラブハウス、観客数も問われますし、何よりスタジアムの問題が出てきます。

    昨今は各クラブと地方自治体の間でスタジアムをめぐる問題がニュースになることが多く、リーグ側としても何らかの方針転換は必要なんじゃないかと個人的には思います。

    球技専用スタジアム、屋根付き、交通至便といった要望はあって当然といば当然ですが、それが叶わぬときにどうするか。かつての陸スタばかりの時代に比べれば、専スタが増えたJリーグではありますが、ぶっちゃけ、人口の少ない地方のクラブに厳しいスタジアム要件を課すのは無理があると言わざるを得ません。とどのつまりは誰が金払うねんということです。

    国体がある限り、そして陸上競技を行う中高生とアマチュア選手がいる限り、全国の都道府県に陸スタは存在し続けます。それもそれなりの収容人数がある陸スタです。

    どうしても専スタが良いなら、鳥取のYAJINスタジアムや今治の里山スタジアムのように、安く建てられて、現地の現状に合わせたそこそこの規模でも問題なしとすべきでしょう。

    その代わり、ACLE/ACL2には出場できない、J1リーグにも昇格できないということで良いんじゃないですかね。

    そうなってくるといよいよ、J1リーグとそれ以外という区分けになってきて、Jのプレミアリーグ構想が復活してきますね。

  • 台湾が危険と思ったらベネズエラがヤバかった

    1月2日にこんなnoteを書いて、

    https://hrsgmb.com/n/nf917a055b7b0

    中国による台湾侵攻を心配していたら、アメリカがベネズエラに侵攻して大統領を拘束したでござる。

    ちょっと何言ってるか分からない状況ですが、侵攻からトップを捕まえてアメリカに移送するまでのスピードが早すぎます。勝手な想像ですが、マドゥロ大統領の政権内部のかなり近い人間も米軍に協力していたのだろうなと思います。ロイターの記事にもそんなことが書かれていました。

    https://jp.reuters.com/world/security/CWYA2KXFO5PCLIKWILUY2GS3HQ-2026-01-03/

    トランプ大統領にしてみたら、反米独裁国家のベネズエラは我慢ならなかったのですかね。ただ、独裁者だけを取り除いても、反米政権がまたできるだけでしょう。当面、アメリカがベネズエラを運営するとしていますが、アフガニスタンとイラクで失敗したアメリカが上手くやれるとは思えません。というか、アメリカが軍事侵攻、占領して民主化に成功したのは日本を除くと比較的小さな国だけです。

    https://www.jiji.com/jc/article?k=2026010300349&g=int

    時事通信が例として取り上げたパナマでは10年後に撤退して民主化に成功した例ですが、数千万人を抱える国の場合は失敗例の方が多いので、多分このベネズエラ占領も失敗するでしょう。

    ただ、アメリカ軍の侵攻から拘束までがスムーズかつ短時間で行われたので、ロシアによるウクライナ侵攻がいかに下手くそだったかをプーチン大統領に思い知らせることになりました。かえって意固地にならなければ良いのですが。

    また、同じように軍事侵攻を企んでいるかもしれない中国への強烈な牽制にもなりました。ロシア・北朝鮮・中国・イラン・ベネズエラは反米の鎖でしたけれど、その一角かつアメリカ本国に最も近い国を崩した格好です。

    ちなみに、反米勢力以外の国々も、今回のベネズエラ侵攻作戦には反対を表明しています。まあそりゃそうだろと思いますし、中国・ロシア・北朝鮮への牽制にもなる以上は日本の高市政権がトランプ非難も出来ないでしょう。

    意外なのはドイツの反応ですね。

    https://www.jiji.com/jc/article?k=2026010400170&g=int

    直前に話を通していたのかも知れませんけれど。

  • 中国人インバウンドバブルもどきの崩壊

    すべてのバブルは弾けます。

    これは誰もが知っているはずなのですが、バブルの渦中で夢中になっていると、誰もが忘れてしまうという不思議な公理であり、摂理であり、論理であります。

    現在の日本社会における外国人観光客によるインバウンド需要はバブル経済とまでは見なされていません。しかし、高市発言以前の中国人観光客を含めた、ヤバすぎるオーバーツーリズムにはバブルではないまでも「常態」とは言えないと思わざるを得ません。

    ちなみに、バブルが成り立つ条件と特徴はこのようになっています。
    (条件)
    ・過剰な流動性(カネ余り)
    ・「新しい物語(ナラティブ)」の誕生
    ・信用膨張(レバレッジ)の容易さ
    ・参入障壁の低下
    ・規制の遅れまたは緩和
    (特徴)
    ・ファンダメンタルズ(実体)との乖離
    ・「持たざるリスク」への恐怖
    ・投機目的の蔓延
    ・警告者の排除と楽観主義
    ・不正と腐敗の横行
    ・「今回は違う」という言葉

    現代日本のオーバーツーリズムと観光業に通じるものもあれば、無関係なものもありますので、完全にバブルとは言えませんが、「バブルもどき」くらいにはなるかも知れません。

    日本国内の観光地だけではなく、純粋なビジネス街のビジネスホテルや、地方の駅前の小さなホテルまで埋まっている状況が永劫続くわけがありません。

    どこかで息切れしてしまっていたはずですが、今回のオーバーツーリズムバブルもどきは、高市発言がきっかけで一息ついた格好になりました。

    中国人観光客に依存していた事業者は大損かも知れませんが、それ以前には儲かっていたわけで、短期的にこの1ヶ月で大赤字だと騒がず、トータルで見た上で損か得かを判断すべきでしょう。

    だいたい、中国人が経営する違法白タクや違法民泊を利用している観光客が減るのなら大歓迎なわけで、むしろ喜ばしいものです。もちろん、まっとうに稼いでいた業者には打撃でしょうけれど、バブルもどきのオーバーツーリズムに依存している方が問題でしょう。

    そもそも、オーバーツーリズムで稼ぐ人もいれば苦しむ人もいたわけです。「最大多数の最大幸福」という観点から見れば、本当に今回の高市発言で、日本は損したのでしょうか?

    儲かっていた人はバブルの再開を求めるのは、インバウンドバブルも不動産バブルも同じです。儲かる人がいる一方で、損をする人もいます。不動産バブルでは、単に住む家に困った人だけではなく、ターゲットになったために地上げ屋に殺される人までいました。オーバーツーリズムで多くの人が迷惑を被っているのも、儲けている人たちからは想像もつかないのかも知れません。

    ちなみに、12月下旬と、あと元日にも大阪城公園に行ってきました。

    12月27日の大阪城天守閣前
    1月1日の大阪城天守閣前

    構図が若干異なりますけれど、どちらも時間帯としては午後1時か2時あたりです。

    いずれの画像でも人が少ないように見えますけれど、天守閣には行列が出来ていましたし、OBP側から登ってくる道には人が多かったです。

    エグいほど外国人観光客がいた以前に比べると、大混雑から混雑くらいにグレードダウンした感じでしたね。もしかしたら商売している人からしたら違う印象になるかも知れませんが。

  • 不穏な一年になりませんように

    戦争は、起きないと思っているタイミングで突如起きるものです。

    緊張が最大限に高まっているとき、すなわち戦争が起きそうなタイミングではなく、「まだ大丈夫だろう」「もう起きないだろう」というタイミングで、開戦されるのです。第二次世界大戦時のナチスドイツのポーランド侵攻、日本による真珠湾攻撃、イラクによるクウェート侵攻、ロシアによるウクライナ侵攻などなど、緊張状態にあるが今のタイミングではまだ起きないだろうと思われるタイミングで、発生してきました。

    現在、台湾を巡る安全保障上の問題は、中国軍が果たして台湾侵攻するのか、という点にあります。中国は台湾近海に海軍を展開して包囲するように演習を行っている状況であり、これがそのまま軍事侵攻に回るには準備が足りないでしょうけれど、いつでも攻め込めるぞという威嚇だけで済ますのか、果たしてそれ以上の行使になるのか。

    高市発言で日中間で緊張状態が生まれたとされていますが、中国がここまで強硬に出てくる理由に、近々台湾侵攻の意図があるからという妄想を重ねると、あの過剰な反応は宜なるかなと思わざるを得ません。

    アメリカが台湾に武器の売却を行うことを承認したのも、米軍が中国軍の侵攻準備の情報を掴んでいるからかも知れません。

    同様に、高市首相が年始の外遊をキャンセルして日本に留まるのも、日本政府にも確度の高い台湾情勢の情報が入っているのかも知れません。

    この1月4日から7日まで、韓国の李在明大統領が訪中する予定ですので、こんなタイミングで台湾危機が起きるわけがない、という「常識」こそ、中国軍から見れば狙い目でしょう。

    こんな懸念が単なる思い過ごし、邪推として笑われるのであれば良いのですが・・・。

  • 来年の元日は国立競技場で迎えたい

    サッカーの天皇杯決勝が元日開催で無くなってから久しくなりました。最後は2021年1月1日、川崎フロンターレ対ガンバ大阪による決勝で、三苫薫のゴールで川崎がJ1リーグとの二冠を達成した試合です。

    ガンバサポーターの私にとっては悔しい記憶ではありますが、多くのJリーグファンにとっては元日決勝の懐かしい記憶なのかも知れません。

    その元日決勝も途絶えて5年が経ちました。今年は女子サッカーの皇后杯決勝は行われていますので、サッカーと無縁の元日というわけではないものの、天皇杯の元日決勝がおなじみだった頃を知るオッサンとしては、寂しいものがあります。

    そう思っていたら、クリスマスにJFAが発表したのが、2027年元日に天皇杯決勝を行うというニュースでした。

    https://www.jfa.jp/news/00035896/

    2026年8月開幕で元日決勝というのはかなりの過密スケジュールとなりますが、ルヴァンカップの試合を後回しにするのでしょうか? 2026/27シーズンのリーグ戦日程はまだ発表されていませんので、どうなるか分からないですね。選手の負担が大きいスケジュールでなければ良いのですが。

    ガンバとしては、6年前(2021年1月1日)に逃したタイトルを同日に獲り返すチャンスだと思って、ぜひこの日は国立競技場で迎えたいものです。