カテゴリー: 未分類

  • 印鑑を偽造したとしても即証拠にはならないかも

    田久保前伊東市長の東洋大学卒業証書疑惑については、私自身は伊東市民でも静岡県民でもないので、あんまり是非を言うつもりはありませんでした。ぶっちゃけ関係ないし。

    出直し市長選で敗れ、前市長になった後、現在は警察・検察での操作が進んでいる状況ですけれど、実際に送検されてからのマスコミにリークされてきた情報で、自身のクレジットカードを使って東洋大学の代表印を作ったとかいうブッ飛んだ情報も出てきたので俄然、赤の他人にも興味深く感じるようになってきてしまいました。

    あの、チラ見せした卒業証書(卒業したとは限らない)は人から渡されたものと言っていましたけれど、実際は余人を介入させずに自分で発注して自分で作成した可能性が出てきました。

    市長の仕事なんて暇なものじゃないと思うのですが、夜な夜な印刷してかあるいは筆ペンで手書きしたのか、その証書もどきにネット通販で届いたハンコを押したものを後生大事に証拠品として頑なに提出を拒み続けているとしたら、一体何を守りたいのかという気にもなってきます。

    個人的には、疑惑が出始めたところでさっさと議会で「すみません、見栄張って嘘つきました」と謝罪してしまえば、こんな大事にもならなかったと思うんですよね。

    大学関係者の方には悪いですけれど、正直な話、
    「東洋大卒なら伊東市のために辣腕を振るって優れた政策を実行するに違いない」
    と思って投票した人なんてそうそういないでしょうに。東大法学部とかフランスのグランゼコールとかだったら話は違うかも知れませんが。カイロ大学はどうでしょうかね。

    ともかく、学歴にこだわって投票する有権者なんてそんなにいないでしょう。東洋大卒を守るためにしたかった政策や伊東市の税金を無駄遣いした形になってしまったのは残念なことです。

    刑事告訴されてさらに、色んなものを失う可能性が出てきていますけれど、現時点では状況証拠しか揃っていません。印鑑偽造の可能性が出てきたとしても、現物の卒業証書っぽいもの自体を、代理人弁護士が提出せずに守りおおせたらまだわからないでしょう。偽造印鑑が一つしかないとも限らず、実際にチラ見せした証書っぽいものに押されていた印鑑と、偽造したとされる印鑑が一致しない限りは。

    極端な話、印鑑を100個作って、99個は捜査機関が印影を確認できたとしても、見つかっていない残り1個が使われていたら、偽造したと断言できる証拠にはなりません。

    直接的な物的証拠が見つからない限りは難しい裁判になるでしょうし、例え有罪になったとしても、田久保前市長と代理人弁護士は冤罪を主張し続けるでしょう。もしかしたら将来的に法曹界がシッチャカメッチャカになったり、某室でなんやかんやあって恩赦があったりするかも知れませんしね。

  • 桜好きというナラティブ

    大阪では桜が満開です。もう散り始めているところも増えてきました。

    さて、日本人は桜が好きです。もちろん100%ではないのでしょうし、桜が好きじゃない、桜が嫌いだ、という人も多分いると思います。

    しかし、日本人の大半が桜が好きだということを否定する人はまずいないでしょう。

    この「桜が好きな日本人」という状態は、いつからなのでしょうか?

    多分江戸時代なんだろうなと調べる前に軽く考えてみましたが、お花見自体は江戸時代途中らしいですけれど、平安時代の国風文化の中で愛でる対象が梅から桜に代わったことが源流らしいです。

    とはいえ、今の花見の主流であるソメイヨシノが日本全国に広がったのは明治以降であり、3月後半〜4月にかけてゴザやブルーシートを桜の下に敷いて飲み食いして楽しむことが一般化したのは、そう遠いことではないようです。

    ということは、「日本人は桜が好き」という事実も、せいぜいこの100年、200年程度のことです。江戸時代の地方の水呑み百姓が桜を愛でながら飲み食い騒ぐ余裕があったとも思えませんし。

    さて、その一方で200年前のアメリカにも桜はありました。初代大統領ジョージ・ワシントンの子供の頃の逸話にも出てきます。明治期に尾崎行雄東京市長がワシントンD.C.に送った桜は今でも友好のシンボルとされています。

    別に日本人だけが桜が好きということでもないでしょうし、むちゃくちゃ昔から桜が好きな日本人が多かったわけでもないでしょう。

    「桜が好きな日本人」「日本人は桜が好き」というのは作られたナラティブかも知れません。ただ、人工的なナラティブではあるにせよ、人為的なナラティブではないのなら、それはそれで首肯できるものです。

    ごちゃごちゃ言わずに桜を楽しめば良いだけですけれど、そう言えば、先日大阪にやってきて今は能勢にいる鹿さんも、桜を見ているでしょうか?

  • 2026年4月4日J1百年構想リーグ第9節ガンバ大阪対京都サンガDAZN観戦の感想

    結局3月の試合は全て、体調不良がグズグズ続いていたために全部ネット観戦になってしまいました。ほぼ快復していますが、念の為に行かないことにしました。水曜のACL2に全力を注ぎます。

    さて、雨の大阪はパナスタに隣県から京都サンガを迎えたガンバ大阪は、WESTの2位3位対決で勝利して首位神戸を追いたいところ。

    代表ウィークでようやくお休みを得てリフレッシュしたガンバはいつものスタメンですが、鈴木の代わりに美藤が入っているのが目立ちますね。

    試合は7分、カウンター時のウェルトンのへなちょこシュートに反応したジェバリが相手GKのファウルを誘って早くもガンバがPKゲットです。

    キッカーはジェバリでしたが、ガッツリ読まれて失敗。何しとんねん。

    しかし13分、自陣からつないだボールが相手に当たってこぼれたところをヒュメットが冷静に決めてガンバが先制。ヒュメットはさすがですねえ。

    この試合もいつも通り、前半はボールを支配して敵陣でプレーする時間がながく、チャンスを何度も作れています。後半にペースダウンして失点する癖のあるガンバとしては、早く点差を広げられるかが重要なのですが、24分〜27分での波状攻撃で決まらなかったのがもったいない。

    44分の安部のシュートも、直後の美藤のヘッドも相手に防がれゴールならず。前半は1-0と物足りなさのあるリードで終了。

    今日、スタメンでボランチに入った美藤が体で相手を抑えてボールを守って前に持ち出せるので安部の負担が減った感じはします。鈴木がいれば前線へのスルーパスでチャンスを作れるので、どっちも良さはあるのですが。

    ヒュメットは良いのだけれど・・・それ以外に決定力のある選手がいないのが攻撃の課題ですが、ぶっちゃけ左サイドのウェルトン・初瀬の二人が左サイドの二人に比べると試合にフィットしていないことを考えると、どこかで交代させてチームにスイッチを入れることは出来るはず。

    そして後半はウェルトンから食野に代わりました。カードももらいましたし。京都も1人交代です。

    京都がフォーメーションを変えてきたこともあり、ガンバのボール保持率は前半ほどではなくなりましたがチャンスはあり、53分には美藤・山下の連続シュートも決まらず。今日はゴール期待値がすごいことになりそう。

    少し京都に押されているところで、ジェバリを下げて倉田を投入。前線の守備活性化優先ですかね。

    しかしいつものように後半途中からオープンな展開になってくると、防戦する場面が増えてきます。70分には大ピンチもなんとかしのぎました。

    74分、鈴木と南野が入り、安部とヒュメットが下がりました。南野はこういう時に決めてほしい。

    と思っていたら、決めたのは食野! 75分に左サイドで切り替えしてからファーサイドへのゴラッソを決めて、待望の追加点をゲットしました。やはり今のチームだとウェルトンよりは食野の方がフィットしている・・・。

    85分、山下から唐山に同ポジションで交代。今日はさすがにリフレッシュしてスタミナが残っているためか、危ないシーンはあまりありません。

    5分超のアディショナルタイムでホイッスルが鳴り、試合終了。今日は2-0での完勝でした。後半途中にあったピンチくらいでしたが、あそこを守りきったのが後半一番のターニングポイントだったでしょう。

    ガンバはACL2で準決勝まで勝ち上がっているため、今日から11連戦になってしまいました。幸先の良い勝利となり、水曜のACL2準決勝第1戦のバンコク・ユナイテッド相手にも良い入りが出来るでしょう。

    とにかく、もう切り替えて次の試合ですね。

  • バクスターのことって今の若いサッカーファンは知らんよね・・・

    テッドマール・クラマー氏が1964年の東京五輪に向けた強化のために招聘され、後のメキシコ五輪の銅メダルという栄光の礎を築いたことは広く知られています。東京五輪・メキシコ五輪の日本代表チームの躍進と、選手との関係性をドラマチックに描くノンフィクション、ドキュメンタリーなどでたびたび取り上げられていますので、60年代のサッカーを見ていない人でもよく知られています。

    その一方で、Jリーグ黎明期にサンフレッチェ広島、次いでヴィッセル神戸の監督に就任し、ゾーンプレスの指導と多くの選手、後の指導者に大きな影響を与えたスチュアート・バクスター氏については、90年代からJリーグを見ている人でないと知らないくらいの知名度です。古参の広島サポや神戸サポからしたら、「何を言っているんだ!?」と怒られそうです。

    バクスター氏と同じチームにいた日本人選手・指導者は後のJリーグや日本代表にも大きな影響を与えました。

    現日本代表監督の森保一氏は、バクスター時代の広島でボランチとして攻守両面を支えた選手でしたし、その教えが今も生きていると言っていいでしょう。

    2022年のガンバ大阪を救った松田浩氏も、バクスター監督時代の広島でコーチをしていましたし、後にゾーンプレスの書籍も出しましたね。私も買いましたが、読んだときには後にガンバの監督になるとは思ってもいませんでした。

    https://www.amazon.co.jp/dp/B01DOXYUXM

    他にも、川崎フロンターレの監督として後の黄金時代の基礎を作った風間八宏氏、横浜FCやV・ファーレン長崎をJ1昇格に導いた高木琢也氏も、バクスター門下生です。

    もちろん、バクスター氏以外にも数多くの指導者と選手がJリーグを作り上げてきたことは間違いありません。それこそ、ハンス・オフト氏やジーコ氏のように、Jリーグクラブにも日本代表にも大きな影響を与えた人もいます。

    しかし、バクスター氏の功績の大きさの割にその事績の知名度が低いのはちょっと残念です。

    将来的には、バクスター氏の事績を取り上げるメディアも続出するかも知れませんけれど、今のところはまだまだでしょう。

    今年のワールドカップで日本代表が過去最高の成績を納めることになれば、森保監督つながりでバクスター氏のことも取り上げられるようになるかも知れませんね。

    #Jリーグ #サッカー #日本代表 #クラマー #バクスター #ゾーンプレス #サンフレッチェ広島 #ヴィッセル神戸 #指導者 #監督 #松田浩 #森保一 #風間八宏 #高木琢也 #ハンスオフト #ジーコ

  • 情報爆発の4つの時代と、AIがもたらす新たな岐路

    人類史において、人類が扱う情報の量が技術革新によって劇的に増大する「情報爆発」は四度ありました。

    その四回のタイミングではそれぞれ、人類が情報を保存し、拡散し、双方向化し、自動化するという観点での革新的な発展が行われました。


    1. 文字(情報の保存:記憶の外部化)

    文字の発明以前、情報は「口伝」でしか伝わらず、伝えられなければ保持する人の死とともに失われる不安定なものでした。

    • 変化: 情報が肉体から切り離され、石板やパピルスに「固定」されました。

    • 影響: 時間と空間を超えて情報を伝えることが可能になり、文明や法律、歴史が蓄積されるようになりました。しかし、この時代の情報はまだ「一点もの」であり、王侯貴族や宗教関係者など一部の特権階級が独占していました。

    2. 印刷(情報の拡散:知の民主化)

    ヨーロッパでは15世紀、グーテンベルクによる活版印刷の実用化が、最初の本格的な「爆発」を引き起こしました。また東アジアでも木版印刷が同様に発展しました。

    • 変化: 手書きの写本に頼っていた複製が、「大量生産」可能になりました。

    • 影響: 聖書や学術書が安価に普及し、宗教改革や科学革命の火種となりました。情報は「特権階級のもの」から「市民のもの」へと広がり、人類全体の識字率と知識レベルを底上げしました。近世日本でも江戸期における木版印刷が、非特権階級への情報の拡散をもたらしました。

    3. インターネット(情報の収集:双方向・リアルタイム化)

    20世紀末からのIT革命は、情報の物理的な制約(重さ・距離)をゼロにしました。

    • 変化: 情報がデジタル化され、「世界中が網の目(ネットワーク)で結合」されました。

    • 影響: 地球の裏側で公開された情報を、1秒足らずで手に入れられるようになり、逆に自分が世界中に対して公開することの障害も無くなりました。また、誰もが発信者(Web 2.0)になり、SNSや動画サイトを通じて、1日に流通する情報量が数百年分に匹敵するほど膨れ上がりました。ここで初めて「情報が多すぎて選べない」という現代的な意味での情報爆発が社会問題化しました。

    4. AI(情報の生成:自動化と新たなフェーズ)

    そして、現在進行中の革命がこちらです。これまでの爆発は「人間が作った情報」の増大でしたが、AIによる情報爆発は質量ともに、良くも悪くも次元が異なります。

    • 変化: 情報が「検索するもの」から、「生成されるもの」へと変化しました。

    • 影響:

      • 爆発の加速: 人間が書く速度を遥かに超えるスピードで、テキスト、画像、動画が自動生成されます。

      • 質の変容: 偽情報(ディープフェイク)や低品質なコンテンツも大量生産されるため、「真偽の判断」が極めて困難になります。

      • 知能の外部化: 知識を覚えて人間が生み出すことよりも、AIに「どう問うか(プロンプト)」が重要視される時代になりました。


    まとめ:私たちはどこへ向かうのか

    この4つのステップを辿ると、情報の進化は以下の方向へ進んでいます。

    1. 静的から動的へ: 固定された文字から、常に書き換わるネット、作り出し続けるAIへ。

    2. 独占から解放へ: 権力者のものから、全人類のものへ。

    3. 人間から機械へ: 人間が書く時代から、機械が生成する時代へ。

    現代の課題:
    AIによる情報爆発の時代において、「情報の量」「情報の拡散」「情報の双方向性」が不足する心配は無くなりました。これからは、情報の質、すなわち「情報の意味」や「信頼性」をどう担保するかという点が課題になっています。

    文字が「記憶」を助け、印刷が「思考」を広げ、ネットが「共有」を加速させたように、AIは私たちの「創造性」を拡張して人類の発展に寄与するのか、それとも人類を質の低い情報の濁流に飲み込ませて翻弄するのか。その分岐点に私たちは立っています。

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  • 前漢と現代中国を比してみる

    古代の中国を記した歴史書などでは、慎ましい善政とされた皇帝の治世に関して、民の賦役を減らし、帝自ら質素を旨とし、国の倉は満たされ、納められた銭を束ねる紐は腐る(ほど使用されなかった)と言った表現が用いられました。

    華美や奢侈を戒めるのは良いことではありますが、国庫が満たされすぎてしまうのは、経済的には市場に出回るマネーが減るはずで、正直そういう治世ではデフレになっていたはずです。民に課される税も少なくしたといっても、そもそも市場に金が回っていないのだから、納税そのものが苦しいはずなんですよね。国家財政を動かす点で消極的だったと言えます。

    こういう皇帝が名君とされたのは、あくまで後代の儒教的価値観における名君の在り方ということです。

    まあ、そうは言っても苛斂誅求、大増税を繰り返すような暴君暗君に比べれば何をどう考えても遥かにマシなわけで、そこまでいかなくても、臣下の諌めも聞かず、外征を繰り返し、国庫を空にする皇帝は、前述のような控えめな皇帝と比較されると、国を傾ける原因となったと非難されます。

    消極的な皇帝と、積極的な皇帝が連続した点で、比較しやすいのは前漢中頃です。

    創始者の高祖劉邦の子であったものの影の薄い存在だったことが幸いして、呂后の専横とその後の政変を逃れ、皇帝に推戴された文帝は、大規模な工事をせず、減税も行い、目立った業績は後世に残りませんでした。

    その後を継いだ子の景帝も前帝の治世を継承し、国力を蓄積していきましたが、他の劉氏一門の反発を招いて呉楚七国の乱に苦しめられました。

    文帝と景帝の時代は、民衆を安撫した功績から、後に「文景の治」と讃えられる世とされました。

    そして景帝の子の武帝が、前代・前々代とは打って変わって、
    ・匈奴遠征
    ・西域外交
    ・南越征服
    ・朝鮮征服
    と東西南北全てで勢力を広げ、内政でも塩鉄専売制、均輸法、平準法の導入や、中央集権を進めました。

    武帝の時代は紀元前において最も中華政権が繁栄を極めた時代でありました。治世は54年に及び、約1800年後の清朝の康熙帝・乾隆帝が現れるまで中国歴代皇帝で最長でした。

    ただ、治世末期は乱によって自らの太子を死なせ、匈奴遠征させた将軍が匈奴に降伏する混乱の中で崩御し、その後の前漢は武帝時代の栄華もなく、文帝・景帝時代のような安定もない状態が繰り返され、最終的には王莽によって帝位を簒奪されて滅びました。

    前漢の創始、安定、繁栄、衰退、滅亡という流れは、この後の多くの王朝でも繰り返され、最終的には袁世凱が清朝を終わらせて、皇帝制はなくなりました。しかし、まさにこの現代における中華人民共和国、共産党政権はこの事績をなぞっているかのように思えます。

    前漢の皇帝と出来事を、1950年代以降の中国政権になぞらえてみましょう。

    今の中華人民共和国は栄華を極めています。そしてその内部では、衰退が始まり修正が効かなくなっている状態でもあります。

    上記の表で?????と表した箇所は、
    ・後継と見なされていた共産党幹部の更迭
    ・中国軍制服組の相次ぐ逮捕
    がまさに当てはまるでしょう。

    今後の中国もしばらくは世界的な影響力を広げ続けるでしょう。ただ、習近平の後あるいは習近平政権がレームダックになってしまったら、日本以上のペースで進む少子高齢化を抱える中国が、中興の時代を迎えられるとは思えません。まあ、それ以前に日本のほうが厳しい状態に陥らないとも限りませんが、政策を修正できない独裁政権よりは失敗する可能性は低いですよね。

  • 事実上の通貨乱立問題

    日本って、電子マネーが多すぎると思いませんか?

    なんか意識高い系のクソブログみたいな冒頭になってしまいましたが、買い物や支払いをするたびに、
    ・クレジットのタッチ決済
    ・プリペイド型の電子マネー(フェリカ)
    ・ポストペイ型の電子マネー(フェリカ)
    ・QRコード型の電子マネー
    を使い分けています。時々、すっごく面倒に感じます。

    ヨーロッパは通貨を統合したが、現代日本では円ベースの事実上の通貨が大量に存在しています。レートの上下もないし等価交換でしかないので、違う通貨ではないのですが、PayPayしか使えないお店では、楽天Edyで支払うことはどうやっても無理です。

    決済会社各社、それと支払いを受ける側の各社(コンビニとか)が、ポイントやクーポンで囲い込みを行っていますので、結局、「このお店ではあの電子マネー」というバラバラの使い方になってしまいます。

    いっそのこと決済手段を一つに絞れば、とは思うものの、全ての店舗で統一できる決済手段がないのです。

    正確には、現ナマでしたらほぼ全て支払えます。ただ、昨年の大阪万博に代表されるように、現金が使えないキャッシュレス決済オンリーの場所も増えてきました。そう考えると、もういっそのこと政府主導で共通の決済手段を作れよ、と言いたくなります。

    そうは言ってもやるとしたらデジタル円しかなくて、紐付けるとしたらマイナンバーとで、マイナンバーにチャージもしくはポストペイでカードやスマホで支払う形ですかね。実現するかどうか知りませんが。

  • 日本にイランへの賠償金肩代りを要求されたらどうする?

    トランプとネタニヤフが始めたイラン戦争は、終わりが見えなくなってきました。

    当初はイランの最高指導者ハメネイ師を、ベネズエラ同様にあっという間に排除できたことで、イラン側の屈服も時間の問題かと思われましたが、ベネズエラよりも大国であり、遥かに長い歴史を持つイランは、真っ向からアメリカ軍・イスラエル軍と戦う選択を行いました。

    アメリカ軍に協力している周辺諸国にも攻撃を仕掛けたことで、元々孤立気味だったイランが完全に孤立することになりましたが、そうは言っても中東の大国であるイランの戦争遂行能力はまだしばらく続きそうです。

    イランもアメリカも、相手が降伏するなら認めてやる、くらいのメッセージは出していますが、当然ですが現時点ではどちら側も負けを認めるわけがありません。

    ということで落とし所は難しいのですけれど、もしあり得るとしたら、双方が現状是認した上で、ホルムズ海峡の開放、そしてイランへの賠償金の支払いとアメリカ・イスラエルの対イラン不可侵の約束くらいでしょうか。

    それにしたって超絶困難だと思いますが、もしも合意がまとまった場合、アメリカ合衆国、というかトランプ大統領が素直に賠償金を支払うわけがありません。

    イランにしてみたらチンケな賠償金で終わらせられるわけもなく、といってトランプが大金をすんなり渡すわけもなく。

    ということで、困ったときは同盟国に全てを押し付けてしまえ、ということで、NATO及び日本及び中東の同盟諸国に、賠償金肩代わり
    を要求するはずです。

    その場合、高市首相(健康問題がヤバそうな気がしますけれど、その時点で継続していればですが)は要求を飲むでしょうか?

    NATO諸国は飲めないでしょう。そもそもイラン戦争に反対している上、ウクライナ戦争もありますし。

    湾岸諸国、アラブ諸国はある程度は拠出するでしょうが、やっぱりホルムズ海峡に依存する日本、韓国への要求が厳しくなるでしょう。完全にホルムズ海峡経由の原油が手に入らないことを思えば、かつ、極東における日米安保の枠組みを失うわけにはいかない以上、メチャクチャ理不尽な要求であってもある程度は飲まざるを得ません。いっそのこと米国債売り払って調達します、と言ったらどうなるんでしょうね。

    ついでに言うと、中国にも要求しそうですけれど、中国がその際に台湾侵攻と引き換えに裏ディールを持ちかけてきたら、トランプは断るでしょうか?

    仮定の話ばかりになってしまいましたが、そんなにありえない話でもないと思っています。金で買える和平を選ぶか、それとも・・・?

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  • 鹿間万事塞翁が鹿

    おそらくは奈良から生駒山を超えて大阪までやってきたであろう鹿は、鹿県知事、もとい奈良県知事が、奈良の鹿と断定できないという理由で戻されることはなく、結局能勢で保護されることになりました。

    奈良県知事が冷たいとか無責任とか責める人もいますけれど、奈良の鹿にビーコンやタグをつけているわけでもなく、DNA鑑定をするわけにもいかないでしょうから、やむを得ない判断ではあるでしょう。実際のところは、増えすぎて困っているところに逃げ出した鹿を戻しても問題が増えるだけだ、という判断もあるかも知れませんが。

    第一、理由(あるいは原因)があって奈良から大阪に来た鹿を奈良に戻したところで、問題が解決されていなければまた逃げ出すはずです。これはこれでしょうがない措置だと思いますけれどね。

    鹿も新天地でかえって良い思いをするかも知れません。しないかも知れませんけれど。

    今は能勢温泉で保護されているそうで、一つの観光資源にもなりそうですね。

    多くて困っているのでしたら、いっそのこと「奈良の鹿」ブランドで、他の都府県に貸し出したり売り出したりしたら良いんじゃないでしょうか? 中国ブランドのパンダもいなくなってしまいましたし。

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  • 寄付はお好きなように、納税もお好きなように?

    みなさん、何か寄付していますか?

    寄付する余裕なんて無いわ!と言われたらそれまでですが、私だって余裕ありまくりという豊かな生活を送っているわけではないですし、将来の不安だってなくはないですが、それでも、自分に無理のない範囲で出来ることはしておこうと思っています。

    「無理のない」範囲というのは、金額的な負担に加えて、精神的にも負担にならない範囲、ということです。寄付することで自分や家族が生活に苦しむのは駄目ですし、寄付によって自分が苦しい思いをすることも良くありません。

    災害や事故の救助活動で真っ先に必要なのが救助する側の安全確保であるように、寄付する側が不幸・不便・不自由になってはいかんのですよ。

    また、寄付を神聖視しすぎているのか、寄付した人を偽善者とか売名とか言う人も出てきますけれど、寄付せずに寄付したと言っているのならともかく、実際に寄付している人を偽善というのはおかしいだろう。寄付を受けた人の前で、「あなたがもらった寄付は偽善によるものですよ」と言えるのか。偽善だったからと言って、その寄付の価値が10分の1になったりするのか。

    また、「寄付をしない」選択肢は、「寄付をする」選択肢と同等であるべきです。寄付なんてやりたい人がやれば良いのです。誰かが寄付をしたからと言って、別の誰かに寄付を強要してはならない。それを強要してしまえば税金みたいなものです。

    税金は見返りに政府・自治体による公共サービスとして何らかの形で戻ってきますが、一般的な寄付は見返りがないのが当たり前です。最近は寄付と言いつつ、何らかの見返りがあるのもありますね。寄付を受けた側からの報告だけではなくて、物質的な見返りがあったら、それは寄付ではなくて単なる商売やんと思うのですが。

    商売と言うと、納税地の移転という名のネットショッピングに近くなってきた、ふるさと納税は制度の曲がり角に来ているのではないかと思っています。

    2008年から開始されたこの制度は、地方税の偏在を是正するために設けられたもので、具体的には首都圏や京阪神などの大都市圏に住む人が、生まれ故郷や所縁のある地方に自ら支払う地方税を納める、ということが想定されていました。

    納める自治体は自由に選べるため、税金の見返りとして手に入れられる「返礼品」を魅力的なものにした自治体が、それだけ多くの地方税を獲得できることになります。

    それが加熱していくと、アマゾンギフト券で総務省と揉めたり、返礼品の原価率の計算を誤ってしまったり、業者が産地偽装したために返って税金を失ってしまったり、といった大小様々なトラブルが起きてしまうようになりました。

    最初の仕組みは面白いものだと思いますが、現在では納税者が節税できるネットショッピングになってしまっているため、結局総務省は何がしたかったのだろうという気がします。

    そもそも、オトクな返礼品目当てになってしまっている時点で、もう「ふるさと」もへったくれもないでしょうに。都会から地方への税収移転させるなら、いっそのこと住民票の移動時に移転先から移転元に対して一人あたりいくらでお金払ったら良いんじゃないですかね。もっと大反発が出てきそうですけれど。

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  • 変わることで成長してきた西洋、変わらないことで成長してきた東洋

    現代社会において、文化的な価値観の多様性がますます注目されています。特に、西洋と東洋という二つの大きな文化圏における考え方の違いは、しばしば議論の対象となります。もちろん、世界の文明、文化はもっと多種多様ではありますが、キリスト教文化圏が元になっている西洋と、中国発祥の漢字文化圏を元にした東洋という、この二つの文化圏が異なる発展の道を辿ってきた背景を理解することは大雑把ながら分かりやすい分類だと思います。

    西洋文明は、常に変化し続けることで成長してきました。科学技術の進歩や社会制度の改革など、歴史の中で様々な変革を受け入れ、それによって新たな価値観を生み出してきました。例えば、西暦やアラビア数字(もちろん発祥はアラビア世界ですが)といった数体系、法体系、政治制度、経済理論などは、西洋文明が積極的に取り入れ、発展させてきたものです。これらの変化は、西洋社会において一定の秩序と効率性を生み出し、社会全体の進歩に貢献してきたと言えるでしょう。

    しかしながら、この変化への積極的な姿勢が、時に自己否定につながることもあります。現代の西洋社会では、「自分自身を否定する」という状況が見受けられます。それは、常に新しいものを追い求めるあまり、既存の価値観や伝統を軽視してしまうことによって生じるのではないでしょうか。実際、現在の西洋社会において、過去から連なる価値観や伝統を平然と破壊することが「正しい」ことだとすら考えている節があります。

    一方、東洋文化圏においては、変わらないもの、つまり根源的な価値観を守りながら、変化に対応してきたと考えられます。例えば、家族や地域社会における絆、自然への敬意、精神性といったものは、時代を超えて受け継がれてきました。もちろん、東洋文化圏においても、西洋文化の影響を受け入れ、取り入れることはあります。しかし、それは単に「便利だから」という理由だけでなく、自らの文化と調和させながら、より良い社会を築くための選択として行われることが多いのではないでしょうか。

    現代の東洋社会の多くにおいて、ジェンダーの平等、差別禁止、公平性といった価値観を受け入れてきているのは事実です。これら自体はおそらく「絶対的に正しい」とみなして良いでしょう。しかし、東洋が受け入れている西洋文化が全て、「絶対的に正しい」から受け入れられたわけではありません。西洋社会においてこれらの価値観が受け入れられているのは、西洋社会でそれらが「良い」とされているからです。つまり、西洋社会の価値観に合わせた形で、これらの価値観を取り入れるという形になっているのです。

    例えば、スーツを着る習慣は、西洋社会におけるビジネスマンのイメージを反映したものであり、それを日本人が真似て広めた背景には、西洋社会で認められることを目指す意図があったと考えられます。これは、単に西洋文化が優れているから受け入れたのではなく、西洋社会で受け入れられることで、自身の価値を高めようとする心理が働いた結果と言えるでしょう。明治維新後の鹿鳴館も同様です。

    もちろん、人類共通の普遍的な価値観も、西洋文明から生まれたものが多くあります。しかし、それは全てではなく一部であり、西洋文明全体を無条件に正しいと考えることは適切ではありません。

    そして、非西洋社会から見れば、西洋人が信じる「西洋の無謬性」は理解しがたいものです。西洋文化は、多様性を尊重し、常に新しいものを追求する傾向がありますが、それは時に、既存の価値観や伝統を無視した軽率な行動につながることもあります。

    よく言われる、多様性こそが善であるという考え方を一方的に押し付けるという問題も、一つのその現れでしょう。多様性を大事にしつつ、非西洋社会独自の考え方を否定し、無視し、冒涜する西洋が正しいと思っているのは西洋の中の人だけです。

    東洋が西洋に優るという傲慢な考えを持っているわけではありません。変わらない東洋もまた、しばしば失敗してきました。一番の悲劇的な失敗は、清朝が世界の変化についていけず、死せる豚扱いされた中国が列強(日本も含みます)に搾取、分割されたことは、現代中国の習近平国家主席と支持者のコンプレックスになっていて、それが戦狼外交の一因にもなっています。

    日本も出遅れた帝国主義、植民地主義の発露の結果、太平洋戦争における悲劇と敗戦がもたらされました。西洋文化を受け入れても受け入れなくても、東洋が失敗することはあるのです。

    西洋文明は、変化を恐れず、常に新しいものを追求することで成長してきました。しかし、その過程で自己否定に陥ってしまうこともあります。東洋文化圏は、変わらないものを守りながら、時に出遅れつつ、世界の変化にちょっとずつ対応してきました。

    現代社会においては、東洋で最も早く西洋を受け入れて先進国入りした日本、西洋の受け入れは遅く限定的ながら元々のスケールメリットを活かして西洋の脅威になってきた中国、という分かりやすい関係性が生まれています。東洋内での覇権争いがどういう結果になるかは不明ですが、一方で西洋においては、多分今後もずっと、西洋の中だけでの改革と自己否定が繰り返されていくのでしょう。東洋を受け入れて発展するということはなさそうです。

    むしろ今の西洋が大量に受け入れているのはイスラム社会なので、西洋のイスラム化の方が未来予測としては近そうです。そうなった場合、西洋と東洋という構図から、イスラム対東洋という構図に移り変わっていくのでしょうか?

    重要なのは、特定の文化圏の価値観を絶対的なものとして捉えず、多様な視点から物事を考えることではないでしょうか。そして、それぞれの文化圏が持つ良い側面を取り入れながら、自らの文化を大切にすることこそが、持続可能な社会を築くための鍵となるのではないでしょうか。

  • ポーチパイレーツ対策がいずれ必要になるか?

    YouTubeを見ていると、おそらくアメリカであろう住宅街の一軒家の軒先から、置き配されているAmazonなどの荷物を盗む(この場合も置き引きなんでしょうか?)人に対して、ダミーの荷物を置いて、盗んで持っていこうとする途中で爆発してペイントが全身や車に降りかかる、という動画が流れてきます。

    そういう窃盗のことを、ポーチパイレーツ「porch pirates」と呼ぶそうです。もちろん俗称ですが、陸上なのにパイレーツなの?と思ったんですが、そもそもpirateには海賊以外に「略奪者」という意味もあるようです。

    https://eow.alc.co.jp/search?q=pirate&ref=wl

    一軒家の玄関に段ボール箱そのままで置き配され、家々の間隔がむっちゃ空いているアメリカ郊外だからこそ、容易に盗むことを企む人も多いのでしょう。アメリカだったら住宅密集地でもやりそうな偏見もありますけれど。

    日本でも置き配トラブルはちょくちょくニュースやSNSで目にします。私も以前、マンションの宅配ボックスがあるのにその近くに放置されていたことがありますので、宅配ボックスがあっても油断出来ないですね。

    ポーチパイレーツ対策と言っても、冒頭に書いたようなペイント爆弾を日本でやったら大問題になることは間違いありません。

    アメリカは訴訟大国なのにこういう過剰防衛みたいなことをやって、さらには動画を公開しても平気なんですかね。まあ、歴史的に私刑によって自らの安全と社会の秩序を保ってきた国だからかも知れませんけど。

    日本だとちゃんとロックのかかる宅配ボックスを使いましょうね、ということくらいしか無いですよね。駅やスーパーに置き配やPUDOのための設備もありますが、利用している人を見たことが無いです。私は偶に使うのですが。

    以前、Amazonが、ドローンで玄関ではなく、ベランダに置くという実験がありましたけれど、あれってどうなったんでしょうね。ポーチパイレーツの問題を考えると、2階のベランダにドローンで運べば盗まれる懸念も無くなりますが、そもそも配達の都合よりも置き配窃盗対策が主だったんじゃないですかね。