平繁無忙の何でも書くブログ

  • 2020年1月9日日本代表U23対サウジアラビア戦のテレビ観戦の感想

    今回のAFC U-23アジア選手権は、23歳以下のアジアナンバーワンを決めるだけでなく、今年の東京五輪サッカーアジア代表の出場権をかけた戦いでもあります。

    当然ながら日本は開催国として出場権を持っていますので、ここで失敗しても地獄を見ることはないのですが、最近急に評価が落ち気味の森保監督としてはベスト4が最低ラインと言われそうな気がします。私自身はそこまで森保監督を悪くは思っていないのですけどね。ただ、カップ戦決勝は勝てない人なんだろうなというイメージはあります。2013年天皇杯とか、2014年ナビスコカップとか、一昨年のアジア大会とか、去年のアジアカップとか。

    日本はグループリーグではサウジアラビア・カタール・シリアと同組で、ありがたいことにNHK-BSでは日本とは別の組合せの試合もやってくれるようです。今日は日本対サウジアラビアの試合の前に、カタール対シリアの試合も生中継となりました。

    そのカタール対シリアは前半の早い時間にGKのミスとDFのオウンゴールであっさり2点差となりましたが、その後シリアが攻めて1点返し、終了間際に同点に追いつくという試合展開でした。

    両チームともつなごうとしてミスをするのでつながずに前にある程度アバウトなボールを蹴った方が良い攻撃につながっていたような気がします。ただどちらのチームも完成度としては高くないように見えました。日本代表が普通に戦えばまず負けることはないくらいのレベルだったと思います。

    さて、日本代表は個人的に注目の食野がしっかりスタメンでした。唯一の海外組として(ガンバ出身として)頑張って欲しいものです。GKでは残念ながら谷は控えでしたが、J1での経験を考えるとファーストチョイスが大迫になるのは当たり前ですね。2連勝してターンオーバーが出来れば3試合目に出番があるかも知れません。

    序盤はサウジに攻められるシーンが多く、鋭いミドルを打たれたりもしましたが落ち着いている感じは見られました。ボールが落ち着いてからは、サウジはつないで攻め、日本はクロス・サイドチェンジ・縦パスで攻める意志が見られました。

    っていうか食野がコーナーキック蹴るのか・・・。ガンバで蹴ったことあるんかいな。

    大迫のシュートストップすごいですね。

    GKとの一対一になった旗手は何をやっているんだ。

    食野ばっかりシュート打ってるな。

    前半の感想としてはこんな感じでしょうか。お互いに序盤以外は様子見の雰囲気もあったような気もします。

    そして後半キックオフ。旗手が豪快にシュートを外した後に、バイタルでのプレスがかからずエリア内にドリブルで侵入されてシュートを決められて失点。取られ方も取られた時間帯も悪い。

    食野のCKに可能性を感じないのですが、どういう理由で選んだんだろう、と思った瞬間にビッグチャンスが来たもののシュートがブロックされました。

    その後、杉岡からパスを受けた食野が得意な角度からミドルを放ち、相手に当たってゴールになりました。やはり食野はあの角度なら一人交わしてシュートを打つ動作はピカイチですね。

    さてこれで同点。もう一度落ち着いて戦えます。じわじわと日本のポゼッション率が高くなっていったようで、後半の真ん中あたりからは攻める日本、守るサウジという図式になりました。

    サウジは足をつる選手も出てきて、攻撃に重心を置けなくなってきましたが、一発カウンター・セットプレーが怖いのは昔から変わりません。

    むしろ固く守られた方が、堂安や久保のようにドリブルで単騎突破出来る選手がいない日本のパスが相手守備網に引っかかったときが怖いです。

    と思っていたら単純なミスからPK!・・・当然ながらVARで主審のビデオチェックまで行きましたが判定は変わらずPK。岡崎が後ろから蹴っていましたね。大迫はすんでのところで止まったのに。

    PKで結局残り少ない時間帯で勝ち越されてしまいました。結局そのまま試合終了。初戦でいきなり敗戦です。

    グループリーグ敗退となると森保監督の進退問題や、フル代表・五輪代表兼任解除という流れが出てくるでしょうね。

    良い感じの時にミスから失点するのはシステムやフォーメーションの問題でもないと思いますが、どうも3バックが選手層とミスマッチな気がしてならないですね。世界の潮流が3バックではあるのですが。

  • 電気シェーバーから安全カミソリに変更

    数年間使っていた電気シェーバーが壊れました。

    正確に言うと、シェーバー自体はご健在なのですが、自動洗浄装置の洗浄機能だけが使えなくなりました。乾燥と充電はやってくれます。音はすれども洗浄だけがされない状態になってしまいました。

    そのため、しばらくはいちいち洗っていたのですがだんだん面倒になってきました。自動洗浄が付いていないものを使っていた昔はそうしていたはずなのですが、便利に慣れた人間は不便に耐えられないものです。その上、自動洗浄に比べると汚れもあまり綺麗に取れていない気がします。

    こうなるとどうせ面倒がかかるのであればいっそのこと安全カミソリにしてしまえ、という気にもなってしまいます。今の電気シェーバーを買うまでは十数年も安全カミソリを使っていたので、その頃に戻るわけですがもう一つの問題があります。

    私自身のヒゲが濃いのに皮膚が弱いというめんどくさい肌をしていることです。ビジネスホテルのアメニティのカミソリなんかだと血まみれになるくらいです。

    5枚刃のカミソリならまあまあ剃れますが、それでも綺麗に剃ろうと何度もやると皮膚を傷つけて血が出ます。剃って顔を洗ってからタオルで拭くと血がタオルに付くくらいです。そのため、剃った後は冷たい水で顔を引き締め、さらにタオルでは拭かずにティッシュペーパーで叩くように水分を拭き取らないといけません。だからと言って剃るのを手加減するとヒゲが残ります。それが嫌で電気シェーバーに移行していたのですが、ドラッグストアでカミソリを探していると、数年前には存在しなかった製品がありました。

    ジレット スキンガード
    https://gillette.jp/ja-jp/about-gillette/skinguard-sensitive-skin

    「ジレット史上究極に肌にやさしい」
    という謳い文句に引かれて思わず買ってしまいました。

    剃り残しが残るような、ソフト過ぎたらどうしようと思いつつも使ってみると意外と剃れます。さすがに5枚刃など深剃り目的のカミソリに比べれば残りますが、それでも血が全く出ないというのは私にとってはありがたいものです。当面はこれでやっていくかな。

  • 汚れを落とす道具が汚れる問題

    年末に自宅の大掃除をしていて思ったのですが、汚れを落とすためのもの自体が汚れるというのは面倒ですよね。

    例えば雑巾で掃除をすると汚れが取れたとしても雑巾が汚れます。汚れた雑巾も水の中でこすって綺麗にしようとしますが完全に綺麗にはなりません。ちょっとずつ汚れていきます。

    洗濯機でも同じことで、日々使用していくうちに洗濯機の内側というかドラムの見えない部分にカビなどが溜まっていきます。

    空気清浄機のフィルターなんかはそのままズバリですよね。空気を綺麗にする代わりにフィルターがどんどん汚れていきます。

    これを根本的に解決しようと思えば、

    ・そもそも汚さない
    ・汚れが目立たない模様にする
    ・汚れが付かない素材にする

    といったところでしょうか。

    一つ目の
    ・そもそも汚さない
    という対策ですが、それこそそもそもまあ無理ですよね。人が生きていれば周りの物は汚れていきます。ただ汚してしまったときにすぐに綺麗にしたりするのと、ずっと放置して後から綺麗にするのとでは難易度が異なります。すぐに汚れを取っておけば綺麗になるんですよね・・・なかなか出来ないんですが。

    いわゆるミニマリストのような、モノが少ない状態で過ごしていればあまりホコリも出ないでしょうし、どこかに片寄ってホコリや汚れが存在するようなこともないでしょうね。

    二つ目の
    ・家具などを汚れが目立たない模様にするという対策は、ただ単に汚れていることに気付かなくなるだけですね。汚れていくことには変わりません。いっそのこと汚れを味わい深いものだとみなして(諦めて)放置するという手もありますが。

    逆に白い机、白いシーツなどでは汚したときにすぐに目立ちます。目立つからこそ綺麗にしようとする意識が働くでしょうけれど、本当に汚してしまったときの物理的なダメージと、それを目にしたときの精神的なダメージが結構大きいのがまた別の問題を生みますね。真っ白な服を着てカレーうどんを食べても全く汚さないくらい行動が落ち着いている人であれば大丈夫かも知れませんが。

    最後の
    ・汚れが付かない素材にする
    という対策ですが、汚れにくい素材というのは今では結構増えていると思います。処理されていない木や布などですと汚れやすいですが、汚れにくくなる処理をしたものであれば掃除も簡単になります。

    さらに、掃除道具側も同じように汚れにくい素材にしてしまえば、掃除道具のメンテナンスも簡単になりますね。問題は、そもそも道具側が汚れにくい場合にしっかりと汚れを取ってくれるかどうかということになりますが、その辺はテクノロジーで。今は汚れをしっかりキャッチして、それでいて水につけたらすぐに綺麗になる雑巾なんかも売っています。こういう仕組みのモノが雑巾以外の掃除用具分野に広がっていけば、ますますぐーたら、もとい便利になりますね。

  • 「全て」を視聴したければテレビを見ない?

    音楽番組で歌手やバンドが持ち歌を披露するときに、曲の本来の長さではなく、短くして歌うことがあります。いわゆるテレビサイズというやつです。

    また、映画がテレビで放送されるときにも、一部をカットしていることが結構あります。

    これらは本来のサイズで流してしまうと、視聴者が録画・録音して所有することで元の曲・映画の販売に影響が出てしまうことを懸念してのことだと思います。また、編成上の時間の都合ということもあるでしょう。

    これによって著作権者の権利も一応は保護されるわけですが、今の時代には不要な気がします。今のテレビ番組は録画に関して制限をかけています。音楽も映画(動画コンテンツ)もストリーミング配信が当たり前になっています。正規の料金を払って鑑賞する人はそれでいいですし、端から違法に視聴しようと思う人間はわざわざ録画・録音もしないでしょう。少し検索すればいくらでも違法に視聴することが出来るようになってしまっています。音楽に関して言うと、大半の曲は無料のSpotifyで、音質や広告を気にしなければ聞くことが出来るくらいです。

    今のテレビが行うべきは、その音楽や映画などの芸術性を出来るだけ損なわずに視聴者に提供することで、正規ルートでの販売増を著作権者にもたらし、かつ、テレビ自体の魅力も復活させることではないかと思います。

    逆に言うと、テレビサイズで提供することでかえって
    「だからテレビは・・・」
    と言われかねません。

    かなり極端な例えですが、美術館で絵画の一部分を隠して展示するでしょうか? 巻物のように長すぎるのならともかく、常識的なサイズの絵画であればそのまま展示するはずです。

    音楽や映像作品も芸術だと思えば、そのまま放送した方がいいに決まっています。著作権者の権利や放送局の都合ももちろんわかるのですが、果たしてそれがソフトの普及や最終的な売り上げの貢献になるのか微妙だと思います。かつてのappleがiTunesでDRMなしの音楽配信に乗り出し、一気にデジタル化が進みました。音楽業界はCD→ダウンロード→ストリーミングという変化がこの20年弱で起き、全世界的にストリーミング+ライブというビジネスモデルに移行しつつあります。テレビもこれまで通りの抜粋中心ではやっていけないのではないでしょうか。

    思えば、インターネットの普及によってあらゆる情報の発信にマスメディアを頼らなくてもよくなりました。記者会見やインタビューでも、メディアの切り取り方によっては意図したものと異なる伝えられ方をしたことで揉めることも多くなりました。

    私個人としては、サッカー日本代表の監督だったフィリップ・トルシエの記者会見に関する報道内容と、スポーツナビなどで読むことができた記者会見の全文との違いによって、マスメディアが伝える内容はマスメディアが伝えたい内容なのだ、ということに気がつきました。その傾向は20年経ってもあまり変わらないですね。相変わらずニュース番組でも発言を切り張りして印象操作やフェイクニュースが作られ続けています。

    テレビサイズで伝えられる音楽や映画も、あくまでテレビ局の都合によって伝えたい形で改変されています。本当のサイズ、本当の作品をすぐに検索して視聴することができる時代に、これまで通りのやり方では既存のマスメディアは信頼を失い続けていくのではないかと思います。

  • 新しいロシアが生まれるのか

    プーチン大統領が現在の任期満了によってその職から退くことを先日示唆しました。

    プーチン大統領、2024年の退任示唆 年末記者会見
    https://www.afpbb.com/articles/-/3260395

    はっきり辞める、といったわけではないようですし、メドベージェフ大統領を挟んでの復帰という手段を用いた過去を考えると鵜呑みには出来ませんが、今のロシアの行き詰まりも頭にあるのかも知れません。

    怒れるロシア市民、プーチン氏支持率に陰り
    公共サービスの悪化に対する不満の声が噴出
    https://jp.wsj.com/articles/SB11015226514967544603204586098871284350378

    アメリカによるシェールガス革命によって原油価格はずっと低いままです。それによって石油資源国家はどこも経済的に苦しい状態が続いています。とはいっても資源がない国から見たら石油を掘って輸出することで外貨を得られるというのは国家経営的にかなり楽を出来るはずです。それでも上手く行かないのであれば、国家として利益の再分配が適切に行われていないことが原因です。

    もちろん国際社会による経済制裁によって簡単に輸出できなくなる場合もありますが、イランのように産油国なのに国民がガソリンを楽に手に入れられないというのは国家としては破綻寸前とも言えるでしょう。

    ロシアの場合はイランほど苦境に立っているわけではありませんが、それでも国民の抗議行動は年々増えています。

    大統領ではなくロシア政府や首相に対する非難もあるでしょうが、ロシア共和国の究極の責任はプーチン大統領に帰します。石油による利益を国民サービスやインフラに適切に分配せず、国際社会における発言力・影響力のために軍事費に回している以上は、国内だけで完結する生活を送っている国民が不満を訴えるのは当たり前でしょう。

    冷戦時代のソ連は軍需産業にリソースを集中させることによって、巨大な経済力を持つアメリカ合衆国と渡り合っていましたが、70年代には限界が訪れました。80年代に入ると行き詰まりは顕著になり、ブレジネフ→アンドロポフ→チェルネンコといった高齢すぎる指導者が相次いで交代しました。どうしようもなくなり改革派のゴルバチョフが出てきて、ペレストロイカ・グラスノスチといったキーワードを掲げて何とかしようとしましたが結局どうもならず、ソ連は崩壊していきました。

    今のロシアも経済的に苦しんでいる状態なのに、ウクライナやシリアなどにも軍事的圧力をかけています。また新型の超高速ミサイル兵器の開発も行い、アメリカやその同盟国への脅しも健在です。しかし、それらの軍事力は当然ながら莫大な国費によってもたらされるものです。さらに言うと、アメリカの半導体産業のように兵器開発がもたらすイノベーションを民間が活用出来るような柔軟な社会でもありません。ロシアが軍事力にお金を使えば使うほどジリ貧になっていくのは目に見えています。

    だからといって、一気に今さら方針転換も出来ないのでしょう。90年代にエリツィンの元で苦しんだ国民は強いロシアを復活させるというプーチンに夢を見ました。彼の手腕もさることながら、ロシア経済の復活は世界的な原油価格の高騰にも支えられてたのであり、原油価格が低迷すればまたロシア経済が低迷するのも当然なのでしょう。

    ここで必要なのは強いロシアをもたらすプーチンではなく、新しいロシアを作る指導者のはずですが、スムーズに移行できるのか、それとも冷戦崩壊後のような混乱がまた繰り返されるのか。

    ロシアの圧力が弱まれば中国の出方も変わるでしょうし、北朝鮮の頼る先が減ることにもなります。日本にとっては北方領土のみならず、それ以外でも関係してくることは多いはずです。

    ロシアは自国領土を大きくし続けてきた国です。ソ連時代に最大の領土を得て、ソ連崩壊後はヨーロッパ・中央アジアにおいて広い地域を失いました。その失地回復の一手がクリミア半島併合・ウクライナ東部での傀儡国家の建設でした。バルト三国やベラルーシなどにも手を出しかねないことを考えると、かつての日本が性急に北方領土の二島返還に合意しなかったのはかえって良かったのかも知れません。

    四島返還を諦めるにしろ諦めないにしろ、二島返還という選択肢はありました。ただ、そこでもし二島返還をしていると今のクリミア半島のように、住民投票→独立宣言→軍隊展開→ロシア併合というシナリオが進んでいたかも知れません。

    失った領土に対するこだわりは強いのがロシアです。ロシアが極東において北方領土以上に国境を伸長させる可能性は低いでしょう。それよりも中央アジアや中東やヨーロッパの方にこだわりがあるはずです。

    プーチン後の新しい指導者がロシアにもたらすのは、経済崩壊しながらも軍事力を無理して維持する国家なのか、民主主義に基づく開放的で自由な社会なのか。日本にとっても無関係な話ではないでしょう。

  • 大学入試改革・オリンピックの選手選考の公平性

    大学入試の改革が結局、英語民間試験の見送りに加えて記述式解答の見送りも決まったことで、実質今とあまり変わらないということになりました。

    計画倒れというか見通しの甘さというか、文科省や改革推進してきた人達の失敗として非難されていますが、最悪の事態は避けられたという見方も出来るかと思います。

    思い出すのはゆとり教育の失敗です。ゆとり教育の掲げた理念自体は良いものだと思いますが、現実に適用する中で理念がゆがんで骨抜きになったことで結果的に失敗と見なされて撤回されることになりました。

    結局ゆとり教育が導入されていた長い期間はなんだったのでしょうか。

    特定の誰かが責任を取ることもなく、結局のところ何十年もかけた失敗として歴史に残るだけとなってしまいました。

    今回の大学入試改革も一歩間違えればそうなっていたかも知れません。実際に動き始めてしまうと、やっぱりダメかも、と思っても中止するのも大変です。英語民間試験にしろ記述式解答にしろ、導入前のギリギリのタイミングで何とか中止出来たのは良かったと思います。

    もちろん、それらのための対策を立てていた受験生やその保護者、高校や私教育現場などは急な方針転換にはたまったものではないでしょう。それらの人達は文科省らに文句を言う権利はあると思います。

    ただ、あくまで全国統一の試験で採用されなかっただけで、英語4技能や記述式解答などの勉強をして損になることはありません。英語の必要性は言うに及ばず、記述問題も国公立大学二次試験や一部の私立大学の試験では存在するわけですから、受験生・大学生として大事なものです。

    もう、決まった以上はあれこれブーたれるよりも勉強したもの勝ちになるでしょう。

    今回の入試改革撤回については「不公平」が理由とされました。英語民間試験については都会と地方での受検しやすさに差があるとされ、記述問題についても採点基準の一貫性を取れないということで、不公平だから撤回するべき、という理屈でした。

    不公平な入試は確かに問題ですが、完全に公平かつ平等な試験というのも非常に難しい問題です。昨年の医学部入試の不正事件もありましたが、試験を複雑化すれば不公平さが出てきますし、不正が入りやすくなります。

    一番不正のしようがないのは、全員が一回だけのマークシート式の試験を受けて全ての合否結果を決定する仕組みでしょう。記述問題の曖昧な採点や、面接による下駄や恣意的な基準も存在しなくなります。もちろん、それによって測定できる能力に限りが出てしまうので痛し痒しです。

    オリンピックの選手選考なんかでも、一発勝負で決めてしまえばその結果自体で揉めることはないでしょう。逆に複数回の選考大会で総合的に判断するとか、選考大会の結果を参考にしてどこかの組織で決定するとか、単純な結果だけでは決定しないことによってむしろ不公平感や不透明感が増してしまいます。

    そのタイミングで怪我していたとか、一発勝負での選考による弊害も確かにあるとは思いますが、そもそもオリンピックも一発勝負の大会なのですから、選考も一発勝負とするのは理にかなっていると思います。実際に選ばれる立場の人にとってはそうではないかも知れませんが。

    公平性を重視するのか、多様な選考を認めるのかというのは、そもそも対立的な概念だと思います。一発勝負オンリーではそれでこぼれてしまう有能な人を逃してしまいますが公平性は確保できます。一方で多様な選考方法を認めれば、ややこしさが増すだけではなく、不正や合否の操作をしかねません。そこまで考えると大学入試だけでなく、例えばオリンピックの選手選考なんかもそう。
    に関してはこれはもはや文科省レベルの問題ではなく、日本という国はどうあるべきか、という国家戦略的な問題になってくるような気がします。

  • バブル期のゴルフ場から現在のトレーニングジムへ

    私は元々ゴルフを一度もやったことがなく、しようともあまり思わないのですが、亡くなった父は元気なときは仕事関係の人とよく行っていました。父がゴルフそのものが好きだったかどうかはもはや分かりませんが、一緒に行っていた人が言うには、ろくに練習しないのに結構上手だったらしいです。

    そんなゴルフも今は楽しむ人が減っていって、バブル期の頃と比べるとかなり衰退していっていると言われています。

    バブル期に出来た会員権目当てのゴルフ場が潰れるのはしょうがないというか当たり前ではありますが、それ以前にも存在していたところや、スポーツとして純粋に楽しめるような場所が減っていくのはゴルフが好きな人にとっては残念なことでしょう。

    ゴルフが廃れた理由としてよく言われるのが、
    ・金銭的余裕が無くなった
    ・時間的余裕が無くなった
    ・趣味やスポーツが多様化した
    ・自動車が必須なこと
    ・接待ゴルフが嫌
    ・休日に早朝から移動しないといけない
    ・会社の付き合い自体が嫌
    といったものが少し検索するだけで出てくるのですが、気になるのがそもそものゴルフのスポーツとしての魅力云々ということが全く触れられていないことです。

    ゴルフを出世やコミュニケーションの道具として利用している人は今も昔もいるのでしょうけれど、それはそれでゴルフをスポーツとして楽しんでいる人からすれば本意なことではないでしょう。

    ゴルフは対戦相手やボールとの身体的接触がありません。それでいて誰かと競うというメジャースポーツの中では稀な特性を持っています。またゴルフは自分でスコアを付けますしプレー中でも不正をするかどうかは自分次第、という面があります。

    ゴルフは自分との戦い、という人もいます。自分のスコアだけで過去の自分と戦うことが出来るのですから、まさにその言葉通りです。自分がミスしても相手がそれ以上にミスをすれば勝つことが出来るのはどんなスポーツでも同じですが、過去の自分はそれ以上にミスをしません。今の自分が過去の自分を超えるのは努力と自己管理しかないわけです。

    他人と戦うとは限らず自己管理が重要、ということがゴルフの特徴とするなら、現代人は自己管理しなくなったのか、というわけでもないでしょう。その自己管理・自己抑制の一環で体を動かしたい人は、ゴルフではなくトレーニングジムに行っているのではないでしょうか?

    たいていの大きな駅のそばには小さめのジムが出来ていますし、24時間空いている業態のところもあります。まずほとんどのところが月極めでの料金体系ですので必要な費用の上限が決まります。

    前述のゴルフが廃れた理由のほとんどを覆せることになります。

    ・金銭的余裕が無くなった → 上限が決まっている
    ・時間的余裕が無くなった → いつでも行ける
    ・自動車が必須なこと → 交通至便なところにある
    ・接待ゴルフが嫌 → 一人でトレーニング出来る
    ・休日に早朝から移動しないといけない → いつでも行ける&交通至便なところにある
    ・会社の付き合い自体が嫌 → 一人でトレーニング出来る

    こう書くと、ゴルフに未来がないかのごとくになってしまいますが、さすがにある程度のゴルフ場は残るでしょう。本当の意味でのゴルフファンがいるはずですし、バブル期に日本中の山という山を切り開いて出来た過剰なゴルフ場が整理されて、必要な分だけが残るのではないでしょうか。

    その代わり、街中に過剰なトレーニングジムが出来ていくのかも知れませんが・・・。

  • Amazon Flexという小売側の配送網の時代、そしてその先の時代

    Amazonが独自の配送に力を入れていますね。

    私の住んでいる地域では、Amazonからの配送については、かつては地方の中堅運送業者(Prime会員の期日指定配送でヤマト運輸)を使っていました。そのさらに昔は佐川急便が一手に引き受けていた時期もありました。

    ただ、採算に合わないので佐川が抜け、そして最近はヤマトも抜けていきました。それと同じくらいのタイミングで、Amazon自体が独自の配送網を築きはじめました。これはアメリカの本家Amazonでも同じだった思いますが、結局のところ、どこかに委託すると高く付くか、あるいは大口契約で安く出来たとしても委託先が根を上げてしまうことになります。Amazonジャパンの場合は後者だったわけですね。

    結局は膨大な荷物を配送するなら、自社で配送システムを構えてしまうのが一番安くてコントロールできる、ということになり、Amazon Flexという配達システムを構築してしまいました。

    Amazon Flex
    https://flex.amazon.co.jp

    配達に使える自動車を所有する個人事業主に委託するサービスであり、Uber EATSのAmazon版と考えたら分かりやすいですかね。

    採用している地域はまだ一部のようですので、委託先の地方中堅運送業者が採算が取れなくなってギブアップした地域から始めているのではないかと推測しています。Amazonだけではなく、流通業に関わる全ての業種、企業関係者が今の運送業の問題は認識しているでしょうけれど、自社物流網を整えられる規模の企業はそうそうないでしょうね。

    Amazonジャパンもいろいろと考えてのローンチだったようで、以下のインタビュー記事は結構面白いですね。

    アマゾンの自社物流「Amazon Flex」は誤解されている–ジェフ・ハヤシダ社長インタビュー
    https://japan.cnet.com/article/35146454/

    「地域によっては月額37万~44万円以上の報酬」というのは、大手運送業者の下請けで働いている人からしたらすごい金額と思えるのではないでしょうか。

    もちろんこの記事はあくまでAmazon経営側からのものですから、実際にAmazon Flexで働いている人は別の意見があるかも知れません。Amazon倉庫での過酷な業務というのは世界中で問題視されていますし。

    さて、荷物を受け取る側はどうなんでしょうね。私の住む大阪ではまだ始まっていませんが、最近は大阪でも京都でもAmazonからの配送は受け取り時に押印が要らなくなっています。口頭での本人確認をして終わり、という形です。すぐに済むので配送側も受取側も楽で短時間で済むので良いのですが、誤配や受け取ったのに受け取ってないと言い張る悪いユーザーの問題とかはどうやって対処しているんでしょうかね。さっさと再配送するのでしょうか。

    おそらく、そのような問題が起きてAmazon側が損をして再配送するデメリットと、簡単に受け渡しすることによるメリットを天秤にかけて後者の方が大きいのでしょう。「置き配」によるメリットとデメリットも同じ理屈でしょうね。

    さらにいずれは、自動運転車&ドローンによる無人配送でラストワンマイルを完結させてしまうことも考えているでしょう。そうなったら今のAmazon Flexで稼いでいる人は食えなくなるわけですが、それらが実現する頃には他の仕事もAIやロボットに置き換えられているでしょうから、Amazonだけの問題でもなくなりますね。最終的には人間は何のために生きるのかという哲学的な命題に哲学者以外の全人類も直面する歴史上初めての時代を迎えます。

    そのような命題を思索するための書籍をAmazonで購入し、さらに非人類の仕事が増えて人類の仕事が減り・・・という循環が続いていくのですかね。

  • カラヴァッジョ展を観てきました

    大阪天王寺はあべのハルカス美術館で開催中の
    「カラヴァッジョ展」
    を観てきました。
    昨年中に札幌、名古屋と巡回してきて最後が大阪だったみたいです。

    カラヴァッジョ展
    http://m-caravaggio.jp/index.html

    1月2日から美術館に行くのは初めてです。開催日前に前売りのオンラインチケットを購入済みだったのでサッと入場。最近は美術館の特別展でこういったQRコードでのデジタルチケットが増えてきましたね。便利でありがたいのですが、美術館というか主催ごとによるのかチケットサービスが異なることが多いので、場合によっては新しいサイトで登録が必要だったりします。日本国内の全ての美術館・博物館共通のQRコードを発行できるサービスがあれば一番いいんですけどね。

    さて、あべのハルカスの16階に行くと展望台行きエレベーターは混んでいましたが、美術館の方はそれほどでもなく、前売り券売り場も空いていました。

    画像1

    QRコードのチケットでしたが半券だけはもらえます。これもほとんどのケースでそうですね。

    カラヴァッジョのことはあまりよく知りませんでしたが、破天荒な生涯だったようで展示されていた年表では毎年のように事件・逮捕・投獄・裁判などが書かれていたくらいです。

    絵画としては半券のデザインにも選ばれている「法悦のマグダラのマリア」は有名かと思います。

    ちなみに最初に載せた写真にもあった絵のタイトルは「歯を抜く人」だそうです。そのまんまやん、というのはともかく、周りのオッサンどもが見守っているだけなのもジワジワきますね。

    見終わって美術館を出た後、展望台には行かずに同じフロアの庭園に出て撮った写真がこちら。

    画像2

    あべのハルカスから北側を撮ったものですが、なんか似たような形のタワーマンション多いですね。てっぺんにヘリポートがあるような。

    正月も二日となると普通の休日並みに結構人手がありますね。今日は晴れていたからなおさらだったかも知れません。

    昨年はそこそこ美術館にも行きましたが、今年は何回行けるかな。とりあえず次は神戸でのゴッホ展を予定。

  • 2020年1月1日天皇杯決勝テレビ観戦の感想

    ガンバのいない天皇杯決勝をがっつり見るのは寂しい限りなのですが、新国立競技場の事実上のこけら落としですから見てみました。

    最初、ということで太鼓の演奏があったり、書道家が「神戸」「鹿島」を書いたりと、開始前セレモニーとしては良かったんじゃないでしょうか。

    2019年のJリーグは、横浜Fマリノスが久し振りの優勝をポステコグルーの攻撃サッカーによって勝ち取りました。優勝を争ったのがどちらかというと守備を重視する長谷川健太率いるFC東京だったということも対照的で面白かったですね。

    サッカーの世界は日進月歩、戦術が日々アップデートされていきますが日本、Jリーグはそれについていけているのか。現代サッカーは攻撃と守備は不可分のものになり、良い攻撃は良い守備から生まれ、良い守備は良い攻撃から生まれる関係性は増しています。

    サッカーの戦術に関しては素人な私ですが、今年のサッカー観戦はもうちょっとテクニカルな部分を少しでも理解が深まれば良いなと思います。

    さて、今日の天皇杯決勝は神戸対鹿島でした。

    神戸は初の決勝進出。鹿島は常連ですね。今大会の決勝はVARもあり、新国立も含めて初めてなところも多い決勝です。

    神戸はビジャが控えに回りました。切り札的に使うのでしょうね。藤本がワントップに入ります。藤本は佐川印刷、鹿児島から大分を経て神戸での天皇杯決勝ですからね。
    (小声)ガンバのアカデミー出身でもあります。

    スタメン発表時の神戸の西への鹿島サポからのブーイングもまあ当然ですね。NHKアナは「鹿島サポーターの歓声」と控えめな表現をしていましたが。

    新国立競技場のテレビ中継の感じはまあ、大きな陸上競技場って感じですかね。日産スタジアムやヤンマースタジアム、味の素スタジアムと似たようなカメラワークだと思います。

    神戸は前線からプレスを積極的にかけ、鹿島はある程度深い位置に入って来てから守備を始めてますが、鹿島は中盤でのプレスがあまり効いていないようで、酒井高徳とポドルスキーで左サイドを突破してクロスを鹿島のクォンスンテが弾くものの犬飼か藤本に当たってコロコロとゴールインとなってしまいました。守備のプランが鹿島は後手に回った感じがします。

    その鹿島は失点後、すぐに前線からプレスを始めるようになりました。なんかちぐはぐな気もします。攻撃も縦に速く持っていこうとしますが、神戸の守備の網にすぐに引っかかることも多いですね。

    神戸は逆に守備に少しだけ重点をずらしつつも攻撃も効果的に仕掛けているように見えます。

    鹿島は攻撃も守備も今ひとつピリッとしません。こぼれ球や競り合ったボールも神戸が拾うケースが多く、鹿島らしさと全く異なるサッカーに見えます。そうこうしているうちに、クロスのクリアをミスして藤本が押し込み 2−0 となりました。

    ビジャの代わりに起用された藤本ですが、代わりなどとは言えないような素晴らしい活躍ですね。一方の鹿島が非常に悪い。試合展開も最悪に近いものでしょうが、それ以上にやっているサッカーの内容が悪いです。

    鹿島はガンバと同じく昨シーズン中に主力選手の移籍が相次いだのでチーム作りが難しいところがあるのでしょうけれど、ここまで決勝で思い通りに出来ない「弱い」鹿島はなかなか見られるもんじゃないですね。

    神戸は上出来というか前半を2−0で折り返すプランなんて持ってなかったのではないでしょうか。ここまで出来ていれば後半は鹿島が特攻を仕掛けて成功しない限り、神戸は45分を消費し続ければカップを獲れそうです。

    後半は鹿島が圧力を増してきましたが決定的なレベルで神戸を上回ることはありません。神戸がうまくさばいている印象を受けました。

    解説の山本氏が神戸は逆転負けが多いと言っていましたが、今日の神戸は試合運びが全く危なげなく、逆転負けの可能性が全く感じられない試合でした。良い意味で神戸らしくないサッカーでした。

    一方の鹿島は悪い意味で鹿島らしくない試合でした。試合展開としては前半の前半部分の戦い方が悔やまれますが、そもそものメンバーのやりくりが大変だったことが一番の敗因かもしれません。

    マンオブザマッチは藤本ですかね。守備面では山口蛍も完璧でした。

    そしてこの歴史的な天皇杯決勝の最中にガンバ公式Twitterから流れてくる、毎年恒例ウルトラマンDASHへの遠藤の出演情報。

    いや悲しすぎませんかね、ガンバサポーターとして。

  • 自然を管理するという不自然がもたらす胡散臭さ

    植物は栄養・水・太陽があれば勝手に成長していきます。ほどほどの大きさにとどめようとすると当然ながら人間が管理する必要があります。

    例えば街路樹は道にはみ出たり電線を覆ったりしないように定期的に刈る必要があります。庭に芝生を植えている人も芝刈り機で手入れするでしょう。生え放題にする人はいないはずです。

    あるいは日本庭園やイングリッシュガーデンにしたって、専門知識を持った管理人が日々、丹念に管理することで美しさを維持できます。

    もっと大きな環境で言うと、森林も人間が間伐や下草の処理をきちんと行わないと木々の生長を妨げてしまい、結果として森や山の維持が出来なくなってしまいます。

    それらは全て、最終的には人のために行う管理です。あくまで森や木々、植生などがそのまま存在し続けるための管理なのですが、果たしてそうやって人間が管理した自然環境は、「自然」と言えるのでしょうか?

    別にこういった森林管理などを批判するつもりはありません。むしろこういった管理がなされないと人間社会は成り立たなくなってしまいます。人類にとっては欠かせないものです。

    ただ、この自然環境の管理はどこまですべきでしょうか? 単純な東洋・西洋論を持ち出せば、西洋的思想から言えば人類が植物を完全にコントロールする方向に進みそうですが、東洋的思想、特に中国の道教のような考えですと、そもそも人間が自然に干渉すること自体を否定して、ただ自然があるがままに存在するように管理せず、何か災害が起きても受け入れるような考えになりそうです。

    完全に管理するか完全に放置するか、両極端な考えとなってしまいましたが、現状はその中間に存在しますし、多分、理想もその中間にあるのでしょう。ほどほどに管理するのがコスト的にも無理がないはずです。

    環境保護は大切ですが、それはあくまで究極的には人類のためのものです。人類が全てをコントロールするのは無理がありますし、人間がいようがいまいが自然は生まれて消えていき、また生まれてきます。

    環境保護活動に胡散臭さを感じている人は、「地球のため」とか「自然のため」という言葉が引っかかっているような気がします。

    環境保護は「人類」のため、はっきり言えば「自分」のためのものです。

    46億年前に地球が誕生して、海が出来て原始生物が生まれ、植物や動物が少しずつ増えていき、絶滅したり新種が現れたり進化したり退化したりした結果、今の地球が出来上がっています。この地球に強い影響を人類が及ぼしていますが、地球で生まれた人類が地球を破壊したところで困るのは地球だけです。もちろんそのあおりで滅ぶ動植物にとってはたまったものではありませんが、人類がいなくてもいずれは滅びますし、50億年くらいしたら地球は巨大化した太陽に飲み込まれて消滅します。宇宙から見たら地球の人類が「環境保護」を謳ったところで大した影響力はありません。

    人類が人類のために環境保護をするというお題目を掲げ、これまでの虚飾も建前も取り去って議論していくべきではないでしょうか。

  • 変わらないことが強みになりつつあるWindows、毎年変わることで弱みが出てきたMac

    MicrosoftはWindows10のリリース以降、新しい名前のWindowsを出さないことを明言していて、実際、毎年2回のメジャーバージョンアップはあってもWindows10としてリリースし続けています。現状、Microsoftのサポート内のWindowsは

    Windows7
    Windows8.1
    Windows10

    の3つのみです。サーバー用とか法人向けの特殊なものは別ですが。さらに年明けにはWindows7がサポート切れになりますので、一般的に使用されるWindowsのバージョンは8.1と10のみになります。

    さて、一方Appleは、毎年macOSに新しい名前を付けてリリースしています。無料でバージョンアップするようになったのはAppleの方がはるかに先で、この点ではMicrosoftに先んじていたのですが、メジャーバージョンアップによる混乱を減らすという点ではAppleの方が遅れている格好になります。

    特に今年リリースのmacOS 10.15 Catalinaでは同時期リリースのiOS13と合わせて不具合が多く、色々文句も出ていました。

    もちろん、Windows10のバージョンアップが安定しているか、というとそれも問題で、春と秋のバージョンアップではしばしば大きな不具合を出してしまっています。これについては大きな課題だと思いますが、大きなバージョンの違いを売る側も使う側も気にしなくなる、ということは将来的に大きなメリットを生むのでしょう。

    もはや、MicrosoftはWindowsを売って儲けるビジネスには注力しない、ということでもあります。もちろん、新品のWindowsPCが売れる度にMicrosoftにもお金が入るわけですが、かつてはバージョンアップでも売上を上げていたわけですから、その売上・利益を自ら放棄するというのは大英断だったと思います。モバイル端末のOS争いでは完全に敗北しましたが、PCの不要な人が増えてきたことも合わせて、OSレベルで儲けるのではなく、クラウド・サブスクリプションモデルで利益を上げる方向に完全に舵を切ったと思われます。

    Appleは元々ハードウェアを売ってきた会社で、そのハードウェアを完璧に利用するためのソフトウェアを作ってきました。そのことがハード・ソフト利用における経験の高い満足度を生み出して、いわゆる「Apple信者」をたくさん生み、そしてその人達がさらにApple製品を購入することで高い利益を上げ続けてきました。

    このAppleのビジネスモデルは、MacとiPhoneだけではなく、iPadやApple Watch、AirPods、Apple Musicなどを合わせて、顧客囲い込みを世界一のレベルで実現しています。

    このMicrosoftとAppleのビジネスモデルのどっちがどうこうというつもりはありません。元々はソフトウェアを売っていたMicrosoftと、最初からソフトウェア込みのハードウェアを売っていたAppleの企業としての歴史の違いでもあるのでしょう。

    ただ、ことしのApple製OSの混乱を見るに、年々複雑化・巨大化していくソフトウェアを毎年のメジャーバージョンアップにおいて管理出来なくなってきたのであれば、Microsoftのようにメジャーバージョンは固定して小刻みにアップデートしていくか、2年や3年の間隔でのメジャーバージョンアップにするか、のどちらかを選ばざるを得ないのではないかと思います。