平繁無忙の何でも書くブログ

  • 島国は他国との役割分担が難しい

    今さら言うことでもないですが、日本は島国です。大陸とは陸地でつながってはいません。人や物の移動は船か飛行機で運ぶしかありません。大陸国家間での移動に比べると、移動のしやすさ、費用、時間はかなり異なります。

    例えば、アメリカでは移民を陸地経由で中南米から大量に受け入れることが出来ました。今ではそれが政治・社会問題になっていますが。イギリスもEU加盟時代はヨーロッパ大陸中から多くの移民労働者をたやすく受け入れることが出来ました。これも反EU運動を招いてEU離脱が行われ、その結果ブルーカラー労働者が減って社会活動に支障をきたすという結果になってしまっています。

    物資の移動に関しては、大量に運べるコンテナ船を使えば費用の面では陸路も海路も大差なくなりますが、現代世界では重要なエネルギーに関しては、パイプラインで石油や天然ガスを運べる陸路と、タンカーによる海路では費用も速度も差があります。また、電力供給そのものでも、例えばドイツは原発を廃止してもフランスの原発から電力供給を受けることが出来ます。

    このように、例え距離があったとしても、陸でつながっている(英仏間は海面下ですが)メリットは非常に大きいもので、鉄道や自動車・バスによって安くてそこそこのスピードで頻繁に移動出来ます。島国では飛行機か船舶で行き来するしかありません。

    もちろん、シンガポールや香港のようにインフラの一部あるいは大部分を大陸側に依存している島国も存在します。シンガポールは今では隣国マレーシアとの国家関係は悪くないですが、かつては険悪だった時期もありました。今の香港の問題については言うまでもないでしょう。

    ヒト・モノ・カネ・サービスの需要と供給は、現代世界ではどの国も相互に依存し合っていますが、依存の度合いや許容範囲は大陸国と島国では違いがあって当然です。日本は、ヒト・モノ・カネ・サービスのやり取りに関しては、大陸国家間に比べるとスムーズさに欠けるのはしようがありません。

    日本は日本なりにやっていくしかないのです。日本と大陸の間は、英仏海峡よりも広いのです。すぐに大陸とつながれない以上は、島国としての国家戦略を立てて進めざるを得ません。

    だからと言って、日韓トンネルを作るべきだと言うつもりはありません。本当に建設可能なのか、費用がどれだけかかって負担はどうするのか、という問題もさることながら、そもそも日本と韓国がつながるだけでは大陸につながることには「現時点では」ならないのです。北朝鮮によって、韓国は大陸から半分切り離されているようなものですから。

    むしろ、間宮海峡とサハリン島をつなぎ、さらにサハリン島から北海道に宗谷海峡経由でつなげるルートの方が、日本と大陸との接続の可能性は高いのかも知れません。それだってロシアとの関係性という大問題が立ちはだかります。

    ただ、日韓トンネルにしろ日露トンネルにしろ、政治と経済の問題でまだまだ構想の具体化すら無理です。作った良いかどうかすら分かりませんし。

    ともかく、日本はこれまでも島国で、おそらく50年100年は島国であり続けるでしょうから、大陸国家的な政策や社会的在り方をそのまま持ち込んでも上手く行かないでしょう。参考にしてエッセンスを取り入れるのはもちろん大いにあり得べきことですが、環境も歴史も異なる国の理屈をそのまま日本でもやれ、というのは乱暴に過ぎるでしょう。

  • Mac miniでの映像出力時の著作権保護による視聴制限の場合分け調査結果

    音楽サービスは、iTunesを始めデジタル著作権保護が廃れましたが、映像作品に関してはストリーミング時代においてもまだまだ制限がかかっている場面に出くわします。

    今、自分がメインマシンとして使っているMacは、個人的にはWindowsよりもデジタル著作権保護が厳しい印象がありますし、実際にその保護によって鑑賞出来ないこともあります。

    MacBookやiMacのような、本体・モニター・スピーカーが一体となっているマシンでそのマシンのみで鑑賞する場合は著作権保護による制限がかかることはまず無いでしょうけれど、Mac miniのように本体・モニター・スピーカーを別々で用意して組み合わせる場合は、結構制限が出てきます。

    なんで見られないのかな?と思うことがたびたびあったので、自分の環境下で分かる限りを調べてまとめて見ました。

    (本体)
    M1 Mac mini 2020 Monterey 12.3.1

    (モニター)
    USB-CからDisplay Portに出力している4Kモニター
    HDMIポートからつないでいるフルHDモニター

    (サウンド)
    Mac mini本体内蔵スピーカー
    USB-C出力側のモニターの音声出力ポート
    HDMI出力側のモニター内蔵スピーカー
    AirPods 3
    Bluetooth接続のGoogleHome miniスピーカー

    (動画配信サービスなど)
    DAZN
    Amazon Prime Video
    Torne mobile(iOSアプリをM1 Macにインストール)

    (使用ブラウザ)
    Safari バージョン 15.4

    これらを組み合わせて調べた結果がこちら。

    名称未設定

    Torneは音声をHDMI出力するのが鬼門だということがまず分かります。あとはUSB-C出力側のモニターのみだと、ストリーミングはダメと言うことですね。DAZNとAmazon Prime Videoで全く同じ挙動ではなかったので、もしかするとNetflixやHuluなどでは結果が異なるかも知れません。

    デュアルモニターではない場合は、Mac miniからの出力はHDMIの方が良いですね。USB-C出力は怪しい。

    あくまでこれは私の環境のみでの話ですので、どんな機器でも同じ結果になるとは限りません。M1 Macは画面出力周りで結構挙動が怪しいことが多いようですし、OSのバージョン、使用ブラウザ、配信サービスによっては全く違う結果になる可能性もあると思います。

    問題は、デバイスごと、配信サービスごとにこういう組み合わせがあり得ることですよね。

  • テレビがニッチになる未来

    普段は丸一日テレビを見ない日が多いのですが、見たい番組がある時は当然ながら見ます。それでも、CM直前に過剰な煽りを入れたり、20時ちょうどではなく19時58分に始まったりと、番組の内容とは直接関係ないところで視聴者を引きつけようとするテクニックはまだ存在しています。

    かつてテレビが娯楽の王様、暇つぶしの王様だったときには紛れもなく有効な視聴率アップ技術だったのでしょう。家にいるときには基本的にテレビをずっと付けているような人が、ダラダラとリモコンでチャンネルを切り替えてザッピングする際に、その番組に惹きつけるには非常に有効な手段だということは理解出来ます。

    しかし、今の時代のように趣味が多様化し、ネットが使えるITデバイスがテレビの天敵になってしまうと、見たいときに見たいテレビ番組だけを見ようとしてテレビを付ける人にとっては、邪魔な感じがする無駄な技術となってしまっています。

    それに嫌気が差したら、録画して後でCMをスキップして見るか、TVerなどのネット配信で見る手段を取るか、あるいはテレビ自体に興味を持たなくなるかのいずれかとなるでしょう。

    とはいえ、そういうライフスタイルの人間に向けた番組作りをしても、そもそも普段からテレビをずっと付けているわけでもないので、テレビ局側にもメリットはありません。結局のところ、テレビ好き・テレビを付けっぱなしの人を対象にした番組作りになるので、これからもこれまでと変わらぬテレビ番組になるはずです。

    問題は、テレビを付けっぱなしの人がどんどん減ってくることですが、いずれはテレビがある一つのニッチな娯楽にまでなると、当然ながら視聴者が減ります。そうなると誰もが見ることが前提のゴールデンタイム・プライムタイムのCM料金と、もともとニッチな他の時間帯のCM料金の差が狭まるはずで、今のような経済規模を維持できなくなります。

    そのうち、地上波やBSの大規模な再編・合併などありそうな気がしますが、むしろチャンネル数は増えていきます。この3月から、松竹東急・吉本・ジャパネットたかたがBSデジタルでの放送局を開始しました。

    https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1379529.html

    松竹東急と吉本は元々エンタメ業界ですから、コンテンツを配信する手段でしょうけれど、ジャパネットたかたは通販のためのテレビ局ということになりますね。アタック25の復活は面白そうです。

    https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1381307.html

    惜しまれつつも地上波では色々な理由で出来なくなったニッチな人気番組を、非エンタメ企業が復活させるという意味は、結構多くの問題を含んでいるような気がします。まさか、既存のエンタメ業界が視聴者の需要を見誤ったとは思いませんが、まさかのまさかということがあれば、テレビ業界への重大な示唆になっているかも知れません。

  • デジタルのオリジナルをそのまま鑑賞するには

    私はnoteを書くネタはGoogle Keepにまとめています。未完成のネタを一旦、MacのCot Editorにコピーして、完成したらまたGoogle Keepにコピーして保存、同じ文章をnoteにアップロードして下書きに保存か、すぐに公開する流れです。

    直でnoteに書けばコピーする手間は減りますが、一応別の場所にも残しておきたいのでそうしているだけです。

    当然ながら、Google KeepやCot Editorで書いているテキストの状態と、noteで公開した画面では表示は全く同じではありません。プレーンテキストベースのものですので大差はないのですが、これがもっと装飾したり、画像・動画・音声などマルチメディアよりになったりすると、作成・編集している画面と公開された画面ではまるきり異なることになります。

    HTMLのソースコードと実際の表示の違いを見れば分かりやすいでしょう。

    昔と比べてそういった装飾されたページを作るにしても、作成編集機能が付いたアイデア保存サービスも増えました。第一人者はEvernoteでしたが、Google KeepもOne Noteが猛追し、最近ではNotionやCraftなどどんどん機能が豊かなサービスも現れています。単なるメモ書きから、アウトラインエディタとして、またはプレゼンの原稿にしたり、他人に共有や共同編集も出来ます。

    そのサービス内で作成している画面そのままが公開されるようになれば、
    「あれ? 思ってた感じに表示されていない?」
    というトラブルもなくなりますが、まだまだそこまでは進化していません。いずれはするのでしょうけれど。

    パソコンが一般的に普及した頃に、WYSIWYGという言葉が流行りました。

    What you see is what you get. の略ですが、今後は、What you made is what you upload. という時代になってくれるでしょうか。

    話が変わりますが、創作物は大昔は一点物で、当然ながら作ったそのままが鑑賞されました。絵画や彫刻などは当然ですが、制作者が作ってそれを鑑賞者がそのまま見ます。見るだけではなく、音楽にしても演奏者の演奏を目の前で鑑賞するものでした。

    活版あるいは木版での印刷による大量生産が出来るようになると、制作者のオリジナルそのものではなくて、編集された上でのコピー品が鑑賞者の元に届きます。そのコピーにしても、アナログ時代での大量生産はどうしても劣化コピーとなってしまいます。

    20世紀末にデジタル時代が到来しても、先に書いたように、制作者が制作しているそのものが、実際には画面上では違って見えます。HTMLの解釈レベルなら仕方ないにしても、実際には、鑑賞者が使用しているデバイスの画面サイズも色表現もバラバラです。

    制作者が27インチの高級ディスプレイで制作した微妙な色合いもある作品が、鑑賞者が5インチのスマートフォンで見たときも全く同じ作品と言えるでしょうか?

    音楽の方がもっと分かりやすいはずです。実際に演奏した音と、高品質な機材で編集した音楽データと、そこそこのビットレートで配信されるストリーミングサービスで聞く音と、全て異なります。

    これが例えば油絵なら、画家の筆致そのものが絵に残りそれを見ることが出来ます。

    アナログとデジタルでは、非劣化コピーの恩恵とオリジナルとの隔絶がトレードオフになっています。

    デジタルでのオリジナルの貴重さは、まさに2021年に流行したNFTの原動力になっていますが、唯一性を売りにするよりも、オリジナルをオリジナルとして無限の人が見ることが出来る方が、デジタルの本質に沿っているのではないでしょうか。

    とは言っても、デジタルのオリジナルを制作者と同じように鑑賞する術は今のところは存在しません。

    メタバースが普及すれば、制作者がメタバース内で作成し、鑑賞者もメタバース内で見ることが出来るはずです。

    What you made is what others see in metaverse. といったところですかね。

    それが楽しいかどうかは別の話でしょうけれど。

  • 2022年4月10日静岡日帰り旅行and清水エスパルス対ガンバ大阪戦観戦記

    ガンバサポーターでありながら、現地観戦ではまだ今年のガンバ戦をホームで1試合しか見てない状況です。仕事のスケジュールと合わない不運が続いていますが、せっかく合った休みの日にアウェイ清水戦に向かうことにしました。

    アウェイ遠征客の味方、JR東海ツアーズの日帰り企画切符で静岡日帰りです。ひかり号で約2時間ですが、乗り込んだ13号車はガラガラでした。新大阪から2名しかいないというのは、コロナ禍によって久し振りの旅となった私にとっても結構な衝撃です。春休み明けですから、旅行客も減っているのでしょうか。

    朝食を新大阪駅で購入した駅弁にしたので、周りに人がいない環境はありがたかったのですが、本当に観光業やその周辺産業は相当に厳しいことを実感します。

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    8時37分静岡駅到着。降りる際には同じ車両内にはそこそこ乗客がいました。

    駅前のバス乗り場から登呂遺跡までバスで向かいます。10分ほどで到着。運賃190円でした。

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    犬の散歩をしている人もいましたが、こういう遺跡が生活に溶け込み、日常の公園になっているのは良いですね。

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    博物館含め、ゆっくり見れば1時間はかかります。

    バスで静岡駅に戻り、JRで清水駅、そしてシャトルバスでIAIスタジアムへ。

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    現地は快晴微風。素晴らしく清々しく心地良い気象条件ですが、それは観客側であって選手にとっては暑すぎるコンディションに思われます。

    購入したチケットは、アウェイ側ゴール裏の1階席端で前寄りの席で屋根が無く、容赦無く直射日光にさらされます。日焼け止めを持ってくるべきだったと後悔しました。

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    13時開始の試合ですと、昼食はスタジアムグルメ頼りになります。オムソバと牛串という静岡感の無い食事を摂って、いざキックオフ。

    最初から清水の攻撃を止められず、決定機は空振りに助けられたものの、やはり試合の入り方に難があります。清水の前線、中盤、DFラインでのボールキープを許し、劣勢が続きました。

    しかし、片野坂監督が修正したのか20分過ぎ辺りからガンバも攻める機会が増えてきました。
    清水の攻撃も連続的ではなくなり、五分での戦いにはなり、お互いに攻めては守り、という戦況のまま、スコアレスで前半終了。

    後半はお互いに選手を1人入れ替え挑むも、効果が出たのは清水でした。右サイドからのクロスに頭で合わせ、こぼれ球を押し込んで先制。ガンバは後半も試合の入り方への問題が顕在化しました。

    片野坂監督も途中で3人交代させるも得点は奪えず、最後に高尾を下げてレアンドロペレイラを投入。

    パトリックとペレイラに目がけて放り込むパワープレーに切り替えました。皮肉なことにこの攻撃パターンが今日は一番効果的でした。

    ペレイラのヘディングシュートは惜しくもポストに阻まれますが、さらにクロスを入れ続け、ペレイラが倒されて得たアディショナルタイム5分でのフリーキックのこぼれ球を小野瀬が蹴り込んで遂にガンバが同点に追い付きました。このシーンでは、最初に山本のキックが壁にいた清水の選手に当たった時にガンバの選手がハンドのアピールをしていて、清水側も一瞬それにつられて反応が遅れた感がありました。何より、アピールよりもシュートをしっかり打った小野瀬が誉められるべきでしょう。

    ほぼラストのプレーで強引にガンバが勝ち点1を掴み取ったような結果となりました。内容的には良いとはとても言えないようなサッカーでした。3連戦やらアウェイ連戦ということはあれど、厳しく言ってしまうと、パワープレーを始めるまでは、どうやってゴールを奪うかという企図を体現できていなかったです。

    試合終了後、シャトルバス乗り場までの行列、乗ってからは渋滞でかなり時間がかかり、試合を見ていた時間と同じくらいかけて最寄り駅に着いたのは16時45分頃。

    さらに着いてからも東海道線が遅延していたため、静岡駅に戻れたのは17時12分でした。初めてのスタジアムでは予定を立てづらいものですが、郊外から市街地にむかうシャトルバスを利用するスタジアムは尚更ですね。

    元々の予定では静岡市美術館に行ってみるつもりでしたがそんな気力も時間もなく、駅ビル内のお店で夕食((小声)さほど美味しくもなかった)を食べ、お土産を買い、乗る新幹線の時間までは、荷物を抱えて行き交うガンバサポーターをスターバックスから眺めながらコーヒーで一休み。

    後はまた、ひかり号で新大阪まで帰るだけでしたが、疲労感の大半は試合終了後にスタジアムから駅に戻るところで生まれたような一日でした。

    昨年最終節の湘南戦、今年開幕戦の鹿島戦、そしてこの清水戦と、私の観戦時の未勝利が続きます。次に見に行く試合では勝ってほしいなあ……。

  • 100%ど真ん中の不偏不党な中立を主張する人の胡散臭さ

    個人的には思想が偏らないように、色々な本や情報を得ようとはしているつもりですが、それでも多分、偏っているところはあるのだと思います。それはそれで仕方がないですし、自分は公平平等不偏不党を体現したような人間だと主張する方が信用できないでしょう。

    ロシアによるウクライナ侵攻においても、日本は中立であるべきだとか、ロシアだけではなくウクライナも悪いとか、喧嘩両成敗だとか、日本のロシア制裁や西側寄りの姿勢を批判する人がいます。

    日本はそういう意見を公にしても処罰されない時点で、明らかにロシアやあるいは中国・北朝鮮よりもはるかにまともな国のはずですが、それはともかく、ウクライナがロシア系住民を虐殺していたから、あるいはロシアを挑発していたからロシアが軍事侵攻するのは当然、とまで言わんばかりのロシア擁護をする人に対しては、今後結構な色眼鏡を掛けて見てしまいそうな気がします。

    ウクライナでのロシアの軍事行動をフェイクニュースだと論じるロシア国営メディアを引用しているのも同じことです。大本営発表をそのまま報じるメディアは信用できないと言うことは、まさに日本人が知っているはずのことなのですけれど、そういう人たちは多分記憶力があまりよろしくないのでしょう。

    自分は中立な立場でゼロベースで物事を考えられる、と自負する人は裸の王様のようです。完全にど真ん中の中間にポジションを取って物事を論じているという自信がどこから来るか分かりません。極左や極右など完全に片方に寄りすぎている寄りはマシ、と言えなくもないですが、中立というのは難しいものです。

    自分が得ている情報を全て同じくらい信用できる、あるいは信用できないと考えると、そもそも何も判断出来なくなります。

    ある事例に関して、一方の考え方とその逆の考え方がある場合、その事例に関する得られる全ての情報を得たとして、質も量も双方同じ情報を得たのなら、その事例に関して判断を下せるでしょうか?

    実際は全ての情報を得ることも出来ませんし、質も量も双方同じだけ得ることも出来ません。必ず誰もがどんな時でも情報の取捨選択をしています。その取捨選択の度合いで自分の意見が作られていきます。

    情報の取捨選択する前に、得た情報に関して重み付けを行います。全く信用できないフェイクだと判断すればそのウェイトはゼロになります。得た情報の全てに対して、均等にウェイトを載せてしまったら、情報自体が存在しないのと同じです。判断することが出来なくなります。

    最初から偏った情報収集はもちろんダメですが、判断するための重み付けは必要、というか必ず誰もが行うものです。その取捨選択・重み付けの根拠としては、その情報のソース、時期、内容、影響を考慮して行われるでしょうけれど、一番影響力があるのは、その人が事前に得ている過去の情報や自分の判断の記憶です。

    それにより、徐々に意見が偏っていくことになりますので、その偏りを自分で出来るだけ意識して、あまりにも偏らないようにしていれば、「極〜」とまでは行かないでしょう。

    中立の立場に立つ人はもちろん重要で必要です。対立を仲裁するには欠かせません。ただ、その中立の立場というのは非常に難しいことを自覚していないと、どちらからも信用されないでしょう。

    自分が「偏った」考えなどなく、中立な意見を言っているという人は、とてつもなく奇跡的な存在であるか、勘違いしているかどちらかである思っておけば、そういう人の「偏った」意見には惑わされないでしょう。

  • 核兵器・放射線被害の経験を生かす国、学ばない国

    ウクライナの戦況はウクライナ側の多大な損害、被害を生みながらも、ロシア軍の苦戦が続いています。そんな中でもロシア政府はロシアが生存の危機に立てば核兵器使用も辞さないとほのめかしています。しかし、そもそも今回の軍事侵攻(ロシアの言う「特殊作戦」)自体がロシアが始めたものであり、そもそもウクライナの存在を消そうとしておいて、ロシアが糾弾され政権や国体を転覆される場合に核兵器を持ち出すのは身勝手極まりない話です。

    個人的に気になったのが、核兵器を持ち出して脅す側も脅される側も、本当の核兵器による被害をどこまで理解出来ているか、ということです。もちろん、軍事関係者や医療関係者は詳しいでしょうし、ちゃんと学んでいれば職業や立場に関係なしに理解出来るはずですが、とてつもなく強大な威力を持った爆弾という認識に止まっていたりしていないでしょうか?

    もしかしたら、攻撃側も核兵器を使用するということがどれほどの破壊的な被害を使用地域にもたらすか、ということが不正確にしか認識できていないのであれば、これはとてつもなく凄惨な悲劇になりかねません。少なくとも、核兵器を使用してもしようがないと思っている一般人がいるとすれば、理解出来ていないでしょう。

    この点に関しては、専門家はともかく一般人、普通の国民レベルにおいて、日本人は紛れもなく世界で最も詳しく、核兵器の悲惨さを子供のうちから学んでいる国民でしょう。

    ロシアが使用をほのめかす核兵器は広島、長崎の原爆よりも遥かに強大な威力を持っています。地域が限定されていても使用された地域は何も無くなります。

    もし使用すれば、プーチン大統領及びロシア軍関係者は相当な罪を背負うことになります。

    日本への原爆投下を行ったアメリカ合衆国への非難もプーチン大統領はしていましたが、そもそもの被害国の日本自体が対露制裁において欧米諸国と並んで行っていますので、言ったプーチンが空虚な勇ましさを世界中にさらけ出しただけに終わりました。

    プーチン自身が広島長崎に言及しながら、いざとなったら核攻撃するぞ、と発言するのは矛盾の塊でしょう。

    核武装による核抑止について日本も加わるべきと言う議論もあります。ただ、日本人には核兵器に対する嫌悪感も、おそらくは世界的には高いレベルでしょう。

    広島、長崎の原爆投下とその悲惨さは、日本では誰もが知る話であり、世界的にも広がってきました。

    ただ、どうしても広島・長崎への原爆投下にクローズアップしてしまいますが、日本人が核兵器による被爆をしたのは3回です。

    日本の領土内での核兵器使用はその2回ですが、朝鮮戦争の停戦翌年にあたる1954年、第五福竜丸がマーシャル諸島でのアメリカ軍の水爆実験に巻き込まれて、乗員全てが大量の放射線を浴びました。このことも忘れてはなりません。

    また、日本人も核兵器による被害を受けたのは日本だけだと思いがちですが、当時日本の植民地だった台湾、朝鮮半島、満州や中国各地から日本に来たそれら地域の住民の中にも被爆者はいます。戦前は一応は日本国民でしたが、戦後はその大半は日本国籍を失い外国人とされました。その人たちの被爆も忘れてはいけないものです。

    さらに、前述の第五福竜丸が受けた水爆実験による放射線は、マーシャル諸島の住民にも同様に降り注ぎました。核兵器使用による被害を受けたのは日本だけではないことも、頭に入れておくべきです。

    だからこそ、核兵器でなくともチョルノービリ原発事故の被害をウクライナと共有していたはずのロシア軍が、その地で塹壕を掘って被爆したという話はあまりに酷い話と思わざるを得ません。

  • 地名を記憶させるサッカーと戦争ニュース

    ロシアによるウクライナ侵攻によって、ウクライナやその周辺の地理についてはニュースを見聞きするだけで結構詳しくなってしまいました。もちろん、耳で聞いたことと実際に知っていることとは大きな差がありますが、見たことも聞いたこともない地名よりは、多少なりとも知っている方が情勢についての理解は深まります、

    そんな中でも耳馴染みの無い地域名として個人的に一番なのが、「沿ドニエストル共和国」です。モルドバ共和国内のドニエストル川とウクライナ国境に挟まれた、北西から南東に細長く広がる地域の住民が独立を宣言したものの、どこにも承認されていない未承認国家です。

    正確には、アブハジア・アルツァフ・南オセチアの国際的に承認されていない3つの地域からしか承認されていない国です。アブハジアと南オセチアがどちらもロシアがジョージアと揉めて出来た国ですから、沿ドニエストルもロシアの影響力が非常に強い地域であることは容易に想像できます。

    さて、この沿ドニエストルの名前を聞いて思いだしたのが、数年前に読んだ
    「東欧サッカークロニクル」
    という名著です。

    https://www.kanzen.jp/book/b361258.html

    この本以外では多分目にしたことがない「沿ドニエストル共和国」に加えて、ウクライナ、ジョージア、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、フィンランドなどなど、ロシア周辺にありこのウクライナ問題でも何度も目にする国々のサッカーも取り上げられています。

    サッカーを通じて遠い異国の地名を覚える、ということはよくあります。サッカークラブはたいてい地名がそのチーム名に入っていますので、サッカーに詳しくなれば自然と、自分が行ったこともない地名を覚えることになります。

    趣味を通じて覚えていくのは楽しいものであり、忘れにくくもなりますが、今のウクライナやその周辺地域のニュースによる地名の記憶は、戦争による被害と結びついてしまいます。

    日本のサッカーファンとしては、イビチャ・オシムに関する本を読んだときにも、旧ユーゴスラビアにおける惨禍と地名を合わせて頭に入れることになりました。

    サッカーファンに限らず誰もが、ウクライナとその周りの地名を、戦争ではなく文化を通じて記憶できる時代が早く来ることを祈ります。

  • リモートVARなんてどうでしょう?

    4月3日(日)に行われたJ2リーグ第8節モンテディオ山形対ファジアーノ岡山の試合で、バックパスを手で弾いてオウンゴールを防いだ山形GK後藤選手のプレーに対して、主審が一発退場処分を下したことが相当に物議を醸しています。

    ただ単に誤審だ誤審だと騒いでいるだけではなくて、Jリーグが競技規則適用ミスとして、日本サッカー協会が国際サッカー評議会に確認するとのことで、競技規則の解釈や適用そのものの問題になってきました。

    https://aboutj.jleague.jp/corporate/release/25222/

    https://www.jleague.jp/news/article/22134/

    結果的に、再試合ということになりました。専門家の人がいろいろ協議して決めることですから、この試合の取り扱いについて素人がどうこう言うつもりもありませんが、同じようなことが今後起こらないに越したことはありません。ではどうすればいいのでしょうか?

    今回の件では、線審や第4審が主審に助言を言えなかったのか、とか、マッチコミッショナーはなにしているんだといった意見もありますが、あくまで主審がジャッジの最終権限を持っています。他の審判が違うのでは?と言っていたとしてもその場で競技規則の確認をするわけにもいかないでしょう。

    競技規則やJリーグの実施要項を見ても、マッチコミッショナーには試合中に主審のジャッジに意見を言う権限もないはずです。

    ではVARがあれば、と思ってしまいますが、今回はJ2でのゲームだったため、VARが無い試合でした。VARが利用される4基準は、

    a. 得点か得点でないか。
    b. ペナルティーキックかペナルティーキックでないか。
    c. 退場(2つ目の警告(イエローカード)によるものではない)。
    d. 人間違い(主審が、反則をしたチームの別の競技者に対して警告する、または退
    場を命じる)。

    ですので、今回のケースではVARからの助言があり得たはずです。ただそれでも主審が完全に勘違いしていたら、やはり退けていたかも知れませんが。

    それ以外にも色々と、J2やJ3でも議論を呼ぶようなジャッジはあり、VARがあればいいのに、というシーンは当然ながらあります。

    VARがJ1リーグのみとなっているのは、経費の問題や、スタジアムにVAR用の部屋を用意しないといけないとか、VARを任せるに足る人員確保の面とか、いろいろ制約があるからですが、下部リーグでもリーズナブルに導入できる仕組みもそのうち考え出されるかも知れません。

    例えば、VARは90分間全ての時間でレビューされるわけではないので、複数試合・複数スタジアムとリモートで共有したりしてはどうかと愚考します。

    いわゆる「リモートVAR」のようなものですね。複数の試合のVARを、一つのVARチームで担当するのなら、費用面でも設備面でも大幅にハードルは下がるはずです。

    駅員がいない駅のトラブル対応を主要駅や本社にいる駅員・社員がインターホンで対応するような感じとなりますが当然ながら現行の規則では不可能です。

    世界的な議論検討が必要でしょうし、実際に信頼に足る通信設備がないと話になりませんから、全体のシステムでは今のVAR設備よりも要求が高くなるでしょうけれど、あり得ない話でもないでしょう。

    VARさえあれば一切誤審はありません、ということではないですし、そんな万能のものでもありませんが、少しでも主審の判断の手助けをする手段が増えるのであれば、進歩し続けるテクノロジーを導入すべきでしょう。

    昔、こんなnoteを書いたことがありますが、

    https://hrsgmb.com/n/nb26403cd8ecf

    選手の身体能力が昔よりはるかに優れたものになり、使用されるボールも昔よりも高反発なものになっている以上、ジャッジは年々難しくなっています。テクノロジーによるジャッジ(の手助け)を認めないのなら、選手の筋トレを禁止したりボールを昔のような重い革の素材に戻してサッカーのスピードを落とさないといけないでしょう。

    テクノロジーは困難を克服するためのものです。ジャッジに困難が生じているならテクノロジーで解決することは至極当然なはずです。

  • 選手を守ること、観客を守ること、サッカーを守ること

    ===========4月6日昼に追記================
    このnoteをアップして数時間も経たずに、ピトゥカ選手への処分として、Jリーグから4試合出場停止、鹿島アントラーズから追加で2試合出場停止と発表されました。個人的に非常に納得出来る、妥当な処分だと思いますし、ピトゥカ選手からのコメントも出ていましたので、今回の件への私の意見はもうありません。以下に書いた内容はそのまま残しておきますが、この件に関する鹿島アントラーズのクラブとしての対応は良かったと思います。
    ==================================

    こないだの週末からJリーグ界隈では、モンテディオ山形対ファジアーノ岡山の試合の試合での退場処分に関して持ちきりです。山形や岡山の選手、関係者やサポーターにとっては気が気でない数日間でしたし、再試合決定が下ったことで岡山の関係者はそれはそれでいろいろ思うところがあるでしょう。

    しかし、個人的にもっと気になったのが、J1での鹿島アントラーズ対清水エスパルスの試合で、途中交代となった鹿島のピトゥカ選手が交代させられたからか、怒りにまかせてライン際にあったドリンクを観客席にまでフルスイングで蹴り上げてしまったことです。

    ボトルは観客席の柵に幸運にも当たって水が飛び散ったくらいで、おそらく怪我したような人はいなかったでしょう。ピトゥカもすぐに主審がレッドカードを掲げて退場処分となりました。

    交代時の退場のため、交代相手の上田綺世が入るべきではなかったのではないか、ということはDAZNのJリーグジャッジリプレイでも取り上げられています。

    交代の可否や試合結果に対して不満を言えるのは、対戦相手の清水エスパルス関係者やサポーターだけでしょうけれど、観客を怪我させかねない行為をしたピトゥカの行為に関しては相当な問題だと思います。

    試合当日、鹿島アントラーズのホームページにはこう書かれていました。

    https://www.antlers.co.jp/news/release/87164

    ピトゥカ選手には試合後、クラブより厳重注意を行いました。今後につきましては、再発防止に向けて選手への指導を徹底し、本行為の影響範囲について調査を進めるとともに、Jリーグと連携して適切に対応してまいります。

    ・・・、まさか厳重注意だけでは終わらないですよね? 結構大きな問題だと思っていたのですが、現時点ではまだ何か新規の処分が下った様子は見えません。数試合は出場させないということがあってしかるべきなんじゃないかと思います。

    また古い話になりますが、2010年ガンバ大阪にいたペドロジュニオールが、途中出場したものの途中交代させられたことでそれまでの鬱憤と合わせて不満を爆発させてしまい、ユニフォームを脱いで地面に投げつけてしまいました。

    確か私も試合を現地で見ていた記憶がありますが、経緯や気持ちは少しは理解出来るものの、アカンことはアカンのです。結局出場停止処分をクラブから下され、ペドロは謝罪したものの、厳格に選手に臨む当時の西野監督は彼を今後の試合で起用しないことを明言し、結局移籍となりました。

    これはクラブや監督に対しての反発で、観客に危険を与えたわけではないですし、これと同じことを鹿島にもしろとは言いませんが、選手を守るのも大事ですが観客を守ることも同じかそれ以上に大事なんじゃないですかね。

    鹿島対清水の試合では、こんなこともありました。

    https://www.antlers.co.jp/news/release/87194

    実際にどうだったのか、両クラブ間での調査の結果ということですが、清水エスパルスのニュースリリースを見ると若干温度差を感じます。

    https://www.s-pulse.co.jp/news/detail/49291

    これもまた、当事者以外があれこれ言うのも野次馬根性でしかないのですけれど、鹿島アントラーズには少し失望しかけています。

    Jリーグ開幕時から強豪であり続け、確固たるクラブ哲学に基づいて30年運営してきた鹿島アントラーズは尊敬に値するのですが、最近はどうなのかなあと思わざるを得ません。

    私はガンバ大阪サポーターですから、開幕戦でのパトリック退場劇を根に持っていると思われかねないですが、

    https://hrsgmb.com/n/n6f5208204013

    https://hrsgmb.com/n/na5abaf20911e

    ここに書いたように、あの件については、の数分前に主審に注意を受けていたことを考えるとパトリックにも多少の理由はあったと思います。どちらかというと鈴木優磨の問題ではなく、パトリックと主審のコミュニケーションの問題だったでしょう。

    ただ、それ以外にも色々ありますし、今回のピトゥカの件での扱いによっては、ガンバ大阪サポーターとしてではなく、Jリーグサポーター、サッカーファンとしてさらに鹿島アントラーズに対してのイメージに影響があることを心配してしまいます。鹿島の人からしたら余計なお世話でしょうけれど。

  • スマホ内の辞典のかさばらないという便利さ

    先日、iOSで使える物書堂の辞典のほとんどが安売りセールをしていたので、思わず
    「日本語シソーラス 第2版 類語検索辞典」を買ってしまいました。
    通常価格5,140円のところが4,040円に値引きされていたので、1,100円お得でした。

    https://www.monokakido.jp/ja/news_release/2022/sale2022.html

    2022年4月25日までのセールですのでまだ間に合いますよ!

    物書堂の辞典では、他に精選版日本国語大辞典、漢辞海3、オックスフォード現代英英辞典を購入しています。精選版日本国語大辞典も発売キャンペーン価格で購入しました。

    精選版日本国語大辞典も、オックスフォード現代英英辞典も、リアルな紙の辞典ですとかなりの大きさになり、机や本棚のかなりのスペースを占有してしまいます。もちろんそれに見合う価値はあるのですけれど、かさばるよりはかさばらない方がありがたいので、こういうアプリで使用出来るのは良い時代ですね。

    この物書堂アプリで購入した辞典は、同じApple IDで使用しているiOS・macOSデバイスで共有出来ますので、MacでもiPadでもiPhoneでも、購入済みの辞典を自由に使えます。

    シソーラスで見つけた類語を日本国語大辞典で意味を調べ、さらにその中の漢字を長押しして漢辞海で文字の成り立ちを調べる、という風に、それぞれを連携して使えますので、この点は紙の辞典よりも明らかに便利です。

    その一方で、紙の辞書の良さは確かにあります。その辞典で引いた言葉の周囲にある言葉も目に入りますし、その辞典全体の中のだいたいの場所、見開いた2ページのうちのどの辺にその単語があったか、ということまで覚えていると、まず間違いなく意味までちゃんと覚えられますので、入試勉強には紙の辞書の方が良いような気がします。

    しかし、自分の記憶だけに頼る必要が無い社会人になってみると、仕事でも趣味でも辞典を使うのは記憶や試験のためではないので、必要になったときに必要な分だけ辞書を引くことになります。こうなると、辞典の重さ・大きさ・かさばりなどを気にしなくていいデジタル形式のほうが便利ということになります。

    20も30も多くの辞典が内蔵されている電子辞書でも良いのですが、今の時代では仕事でも趣味でも辞典を使用するときに、パソコンやスマホを使っていない方が珍しいでしょうから、専用電子辞書よりもパソコン・スマホ内で利用出来る辞典の方が、コピーアンドペーストの楽さや目線・手の移動も不要というメリットが出てきます。

    辞典自体にも違いはたくさんあります。収録語数や単語ごとの詳しさ、検索方法の種類とその数などはもちろん違いますし、新明解国語辞典のように非常に特徴的な語釈が載っている辞典もあります。初心者向けと中上級者向けの違い
    もあります。
    ただ、紙の本なら非常に大きくなる辞典でもスマホに入るなら気にしなくて良いので、基本的には語数や詳細さが多いものを使う方がより便利ではないかと思います。それぞれの辞典にはそれぞれの良さはありますが、どの辞典を買おうか迷っているのなら、語数の多さだけで選んでも大きな失敗はしないでしょう。

    紙の辞典を机に置いたり持ち運んだりすることを考えたら、何を買ってもスマホで使える時点で満足できるのですけどね。

  • リスクテークする人が政府に集まると政府のリスクが増えてしまう

    ものすごく大雑把に人間を2つに分けるとします。

    ・リスクを取って勝負する人
    ・リスクを避ける手堅い人

    そして、その2種類の人が政府と民間の2種類の仕事に就くとしたら、自由資本主義国家であれば、民間に対する制約も抑圧も少ないため、リスクを取って大儲けしたい人は民間企業に勤めます。残る手堅い人が政府の公的な仕事に就くことになります。

    逆に、共産主義国家・自由が抑圧されている国であれば民間レベルでのリスクテークの許容度は非常に低いため、ビッグになりたい人は漏れなく政府に行くことになります。そうなると政府がリスクを取って勝負することになります。

    中国政府が民間での仮想通貨・暗号資産を全て禁止する命令を出し、デジタル通貨をデジタル人民元のみにすることになりました。民間レベルでのリスクテークを認めないのですから、全てのリスクは国家に掛かってきます。これが吉と出るか凶と出るか。ただ単純に、政府が把握出来ない仮想通貨の流れを一切断ち切りたいのでしょうけれど、反政府勢力の資金源になることを避けたいという思惑は誰にでも分かります。

    逆に、資本主義・自由主義・民主主義国家なら、民間がリスクを取って政府が規制をかけたり緩めたりするだけです。中央銀行発行のデジタル通貨で、IT先進国だった欧米各国よりも中国が先駆けとなったのは、政府がリスクを取ることになる国家体制だったからではないかと推察します。アメリカも日本もイギリスもフランスもドイツもイタリアもカナダも、別に政府が急いでデジタル通貨を作り出さねばならない状況ではありません。

    実際のところは、反政府組織対策だけではなく、中国国内の経済事情も大きいのでしょう。現金決済の割合が大きく減少してきたのは、アリババやテンセントなどの巨大IT企業の金融サービスが大きな役割を果たしていますが、シニョリッジや信用創造の甘い利益を民間に渡すのではなく、国家が全てを管理するのだという考え方は、習近平体制の方針としては腑に落ちやすいものです。

    デジタル人民元による決済で国内経済が回るようになるとしたら、現金を使っていた商取引も全て政府がチェックすることが可能になります。反政府的な考えの持ち主のみならず、不正な取引や賄賂でウハウハだった政府役人や国有企業の幹部も怯えることでしょう。

    公明正大ではないお金のやり取りの記録がデジタルで残るとしたら、賄賂もへったくれもありません。収賄で死刑になる国でそんなリスクは取れないでしょう。賄賂を防ぐデジタル人民元を導入した習近平同士は偉大なる主席なのだ・・・という理論に持っていけそうです。

    とは言っても、最初に述べたように、民間への締め付けが厳しい国家では大儲けしたい人は役人になります。そういう人が自分の薄給に満足できなければ、不正や賄賂に手を染めるのは当然の成り行きです。鄧小平の改革開放路線で民間企業でリスクを取って大金持ちになるルートが出来上がっていたのに、そのルートを閉ざし始めた習近平体制で、リスクを取ってでも賄賂で大儲けする役人は減るどころか増えるのではないでしょうか。

    なにせ、「上に政策あれば下に対策あり」ということわざがある国なのですから。