平繁無忙の何でも書くブログ

  • 代表監督による強化がもたらす影響

    特定の誰かを擁護あるいは非難する内容ではないことを先に断っておきます。

    森保ジャパンがカタールワールドカップ出場権を獲得したものの、そのサッカーの内容については悪い評価をする人がずっと絶えません。その批評自体はまあ理解出来なくもないですし、各人それぞれ理想のサッカーはあるでしょうけれど、即交代を求めるのはいかがなものかとも思ってしまいます。

    代表監督を替えれば強くなる、という意見はもちろん真っ当なものですが、じゃあ強くなったらどうなるか。直近のワールドカップなりアジアカップなりでの好成績はもたらされるでしょうけれど、それが継続的な強化と言えるかどうか。

    海外からすごく優秀な監督を高額で招いても、あくまで一時的な結果しかもたらさないはずです。大金払って有名どころの監督を連れてきたとしても、ワールドカップで好成績を収められなければそれこそ台無しになってしまいます。

    代表監督による強化は一時的であり表層的なものであり、その国のサッカーの重層的な強化とは別物です。

    また、特別な代表監督によって特別強くなったとしても、その強さは継続されません。かつて、ボラ・ミルティノビッチが率いて好成績を収めた各国代表を見れば分かります。メキシコは良いものの、コスタリカ・アメリカ・ナイジェリア・中国らはその後、強さを継続し続けていると言えるでしょうか?

    最新の戦術を代表監督がもたらしてくれる、というのもあえて言うなら幻想でしょう。年間20〜30日程度しか活動できない代表チームでそんな高度な戦術をやれるはずもありません。それをやるならJリーグのクラブの方です。Jリーグの選手育成、戦術の発展、経済的成功などの方が代表強化に貢献できるはずです。

    最新の戦術を採用しているヨーロッパの各クラブでプレーしている日本人選手が増えれば、代表で集まって数日でも戦術を落とし込めるでしょうけれど、結局はそれもJリーグクラブを含めた育成年代での強化育成が成功して、さらにJリーグでプレーしてヨーロッパに移籍する選手がどんどん増えてきての話です。そして今はそのトレンドに乗っている状態です。

    そう考えると、代表監督を最新の戦術を持ってくる外国人監督である必然性をあまり感じません。日本とよく比較されがちなメキシコ代表の監督だって基本的にメキシコ人がほとんどです。

    日本サッカーの日本化という、イビチャ・オシムが挙げた命題を試行錯誤しながらも、長期的には少しずつではあるものの解答に近付いている気はします。もちろん3歩進んで2歩下がることもありますが。

    また、オシムは本来は日本人が日本代表の監督をするべきとも言っていました。その日本人監督を選ぶなら、Jリーグクラブの監督として成功した人たちの中から選ぶのが当然でもあります。

    今回の森保監督は、Jリーグで優勝した日本人監督がA代表の監督になった代表例です。ロシア大会での西野監督ももちろんJリーグで素晴らしい実績を持っていますが、あの時は強化委員長からスライドしたのでJリーグでの結果が評価されたわけではありません。

    ハンス・オフト、イビチャ・オシムの2人も日本リーグ・Jリーグでの指揮を評価されての就任でしたが、森保監督は日本人であることが最初の例になりました。

    五輪代表の方は、反町・関塚・手倉森・大岩と続いた流れはJリーグでの監督としての成功によるものでした。

    Jリーグで好成績を収めた日本人監督が、A代表や五輪代表の監督をする流れは断つべきではないと思います。目の前の試合だけを考えれば目の前の試合に勝てる監督をどこからでも連れてくるべきなんでしょうけれど、10年先、20年先、そして50年先を見据えた強化としては、今の代表監督選びの方針は間違っていないはずです。

    日本のサッカーとはなんでしょうか?

  • ワールドカップ本大会出場を逃した強豪国についてのいつもの議論

    ワールドカップ本大会での組み合わせ抽選会が行われました。その前に本大会出場国を眺めてみると、ヨーロッパ予選では昨年のEURO優勝国であるイタリアがプレーオフでの予選敗退となりました。まさかと言えばまさかですが、2018年大会でも出場権を逃したことを思えば、またかと言えばまたか、という結果でもあります。その他、スウェーデンやナイジェリアやエジプトやコロンビアなども予選敗退となりました。

    イタリアのような強豪国がW杯出場権を逃すと、ヨーロッパや南米の予選は過酷で、アジアは枠が多すぎる、そしてその楽なはずな予選でなぜ日本代表は苦戦するのか、という意見が出てきます。

    強豪国が多い地域に出場国枠を増やせば、もちろんそれだけ大会におけるサッカーの質・レベルが高くなる、という理屈は分かります。とはいえ、サッカーワールドカップを見る人がそこまでサッカーの質そのものを絶対視しているかというとそうでもないでしょう。ワールドカップだから普段見ない人が見るということを考えると、高度な戦術や個人技を持つチームだけがでるべきと言う意見は一定の理解を得られても全体の理解とまではいきません。

    その一方で、ではなぜ南米・欧州以外の地域の出場国枠がそれなりの数を確保されているかというと、良く言えば強豪国が少ない地域にも一定の枠を確保することでサッカーを世界中に普及するため、悪く言えばFIFAの金儲けのためです。

    アジア・アフリカ・北中米は南米・欧州と比べてワールドカップ本大会で上位進出出来る国は当然ながら少ないです。それでも出場国枠は増えてきました。ワールドカップが何のために開催されるのか、ということを考えると、世界ナンバーワンの国を決めるためだけではなくて、世間の注目を浴びるビッグスポーツイベントとして開催して、サッカーそのものをより一層世界に普及させる、というお題目が前提として存在します。

    その一方で、アメリカ・日本・韓国といった先進各国が支払う多額の放映権料もFIFAにとっては魅力であることは否めません。それらの国が確実に出場権を確保出来るよう、枠を増やしてきたという事実もあります。新興国も多いアジア・アフリカのマネーを目当てにしていると言っても過言ではありません。

    ただ、そういったアジア・アフリカ・北中米における出場国枠の数は、強豪国の割合から言えば過剰ですが、その地域における国家の数・人口比で言えば少ないくらいです。

    何を持って公平かというと難しいものです。単純に人口比率だけで言えばヨーロッパの数を減らして、アジアを倍以上にしないと釣り合いが取れません。その一方で全32ヶ国中でアジアが10ヶ国だと結構とんでもない結果・内容になりかねません。その辺は政治的な駆け引き込みでの調整の結果、今の出場国枠になったわけです。

    どんな選び方をしても文句は出てきます。国会議員の選挙区・議員数の割当の問題や、高校野球の春夏の出場校の選び方だってずっと議論は絶えません。

    今回のカタールワールドカップを含めると、アジアでは韓国が10大会連続、日本は7大会連続での出場です。参加国が32チームになったフランス大会以降では、他のアジアの出場国は

    サウジアラビア 5回
    イラン 5回
    オーストラリア 4回(プレーオフを勝ち抜けば5回)
    中国 1回
    北朝鮮 1回

    となっています。オーストラリアの2006年大会はオセアニア連盟からの出場でしたが、ともかく、日本・韓国・サウジアラビア・イラン・オーストラリアの5ヶ国がアジアでは飛び抜けています。今のアジア枠の4.5という数字は妥当なところに落ち着いていると言えます。

    2026年大会からは、本大会出場国が48ヶ国になって、アジアも8ヶ国が出場可能です。予選方式は変わるかも知れませんが、今回のアジア最終予選に当てはめれば、韓国・イラン・日本・サウジアラビアに加えて、UAE・イラク・オーストラリア・オマーンあたりまでは可能ということになります。

    これでも入ってこられない中国やインドのマネーをFIFAは欲しいはずですが、数十年後には64ヶ国や96ヶ国が本大会に出られるようになったりするかも……。

  • 無謬性という誤謬

    ここにきて、プーチン大統領がどうやら本当に正しい情報を部下から報告されていないのではないか、というニュースが流れ始めました。これだってウクライナ・西側諸国のプロパガンダやプーチン政権内部崩壊のための策略の可能性はありますが、ロシア軍のウクライナ侵攻が事前の想定通りには行っていないことは間違いありませんので、少なくとも開戦前にプーチン大統領が受けていた戦況予想が完全に誤っていたことは明らかです。

    事前の予想自体が、ロシアにとって相当に楽観的なもので、それを信じて軍事侵攻を指示したのだとしたら、プーチン大統領はとんだ裸の王様だったことになりますが、今の自分やロシアの立ち位置を正確に理解しているかどうかも怪しいでしょう。ロシアの総兵力をウクライナにぶち込めば一時的にウクライナを占領と言うよりは破壊することは可能でしょうけれど、そこまで行くと何のためにやっているのかが分からなくなります。

    ロシアに利益がある形でウクライナを占領あるいは屈服させ、国際的な経済制裁を撤回させることが唯一かつ全ての目標でしょうけれど、実現の可能性は日々小さくなっています。プーチン大統領が部下や軍部に騙されていたのか、あるいは正確な報告を上げさせないほどの恐怖を与えていたからか、どちらにせよ今回の軍事侵攻が失敗に終われば、プーチン大統領が間違っていたことになります。

    古今東西、独裁者というものは自らの無謬性を神格化させます。言い換えると、自分が正しいから何も言わずに付いてこい、という理屈です。意見も反論も認めず、もし部下や政敵が互角の議論などしようものなら良くて失脚悪くて処刑です。反対意見を軒並み潰せば、あとは絶対に間違わないという独裁者、その周りを腰巾着と太鼓持ちが固める政権中枢の出来上がりです。

    世界中の人も組織も既に支配下に入れているのなら、何もかも思い通りに出来るでしょうけれど、支配しているのが一国家だけなら当然ですが国際間の揉め事や情勢の変化によって、かつての自分の方針を変える必要が出てきます。

    その時に柔軟に変えることが出来ればまだマシですが、かつての自分の発言や行動に縛られて変えられず、現実を無視してしまえば待っているのは悲劇です。それははるか昔のことでもなく、スターリンの計画経済の失敗と大粛清、毛沢東の大躍進計画と文化大革命などは半世紀ちょっと前の話です。

    無謬性など幻想です。間違わない人間など一人も存在しないのですが、自分は間違っていないと思いがちなのも人間です。だからこそ、間違っている人間を指摘し、修正させ、あるいは撤回させる相手が必要で、それでも考えを変えないなら、地位から下ろさねばなりません。その点において、民主主義に優る政治制度は存在しません。

    民主主義や自由選挙は強権的な全体主義国家は否定し、あざけり、ともすれば非効率だとも言いますが、失敗したときのリカバーの方法としては民主主義しかあり得ません。上手く行くときは上手く行くが失敗したときに暴走する独裁政治は、上手く行き続けた試しが無いのです。

    間違いを指摘する人も、間違っている人を更迭する仕組みも存在しない国は必ず失敗するのだという教訓は、歴史上多くの人間が経験してきました。そしてまた、人間は歴史を繰り返し歴史に学ばないことも忘れてはならない教訓であります。

  • ウクライナ侵攻に見る日中戦争・太平洋戦争の既視感

    ウクライナ情勢は予断を許さない状況が1ヶ月以上続いています。これまでの、そして侵攻後のロシアを見るに、過去の日本特に日中戦争から太平洋戦争当たりの軍国主義時代の日本を思い起こさずにはいられません。

    今のロシアとかつての日本を比較してみるなら、色々挙げられます。

    今のドネツク人民共和国・ルガンスク人民共和国は、満州国・華北華中の傀儡政権とも比較できます。

    ウクライナ侵攻後にプーチンが掲げた、ロシア人とウクライナ人は同じ民族だという大スラブ主義は、満州国が掲げた五族協和、あるいは日満華を包含した東亜新秩序のスローガンと似ています。

    国内における報道機関への締め付け、反戦運動への弾圧は言うまでもありません。このウクライナ侵攻を「戦争」とは呼ばずに「特殊作戦」と呼んでいるのは、「日中戦争」ではなく「支那事変」と呼んだのとまさに同じです。

    今回のウクライナ侵攻では、どうやら数日でキエフを陥落させてウクライナを支配下に出来るという甘い見通しを持っていたようですが、かつての日本でも一撃を与えたら中国は簡単に屈服すると思っていましたし、真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争でも考え方は同じでした。

    日中戦争の緊迫化が対日禁輸措置を生み、ウクライナ侵攻がSWIFT排除をもたらしました。

    あくまで、似ている部分だけを恣意的に取り出したものですので、もちろん似ていない部分もたくさんあります。我田引水の恐れは多分にありますが、全体主義国家が軍事侵攻する場合は結局は似た経緯を辿るものなのかも知れません。戦時下の日本と今のロシアではもちろん異なる点も多いですが、戦争の出口を完全に見誤いながらの戦争をしているのは同じでしょう。

    とすると、今後のウクライナ情勢はプーチンが諦めない限りは戦局の泥沼化は間違いないですが、恐れるのは南京事件のような虐殺事件が、ウクライナのどこかで起きないか。もしかしたら既に起きているかということです。

    あと経済的な面から言えば、少し前に、外国企業がロシアから撤退する場合に、条件を満たさなければ資産を没収するとプーチン大統領が宣言しています。これにより、もしも停戦合意して西側各国による経済制裁が解除されたとしても、痛い目を見た外国資本は少なくともしばらくの間は、ロシアに入ってこなくなるでしょう。ジンバブエやベネズエラのように外国資本の企業を国粋主義の下に政府が接収してしまえば、その後はその資本が入っていた産業の維持が出来なくなります。世界的なエネルギー不足はまだ続くでしょうから、原油・天然ガスの売却により外貨は多少は得られるでしょうが、中国資本にロシア経済を牛耳られるのではないでしょうか。

    いざという時に政府に接収されるような市場にもかかわらず、入り込んでくる外国資本というのは、オープンで公平な資本と言うよりは、現地政府・独裁者と結びついたマネーになってしまいます。当然ながら本来は設備投資・人件費に回されるべき資本が独裁権力(独裁者・軍部・政商)などに流れてしまいますので、長期的な発展は望めなくなります。まあ、その点は今のオリガルヒも似たようなものですが。

    産業が発展せず、経済も中国に根っこを掴まれた状態のロシアに残るのは軍事力の切り売りとなり、反西側勢力を軍事的支援で影響力を持ちつつ、国内統治をさらに締め上げていくことになっていくでしょう。

    もともと自由主義も民主主義もプーチン体制下では中途半端なものでしたが、戦時中の日本における大政翼賛会・新体制運動や国家主義的な国民動員・監視体制に近いものが今後のロシアで出てくるきても不思議ではありません。

    経済制裁によりロシア国民の不満が頂点に達して暴動が頻発し政権打倒に至る、というシナリオを思い描いている人は、日本に限らずアメリカや西欧にもいるでしょうけれど、経済制裁そのものが独裁権力を倒すことはまずありません。北朝鮮、イラン、ベネズエラなどを見れば明らかです。

    むしろ経済制裁によって物資や外貨の欠乏が起きれば、贅沢品に加えて生活必需品を独占しうる権力者の独裁権力は強大化します。民主的な選挙によって政権交代しうる国家であれば、経済制裁が政権交代を生み出すでしょうけれど、そんな選挙が行われていないのであれば、国民はひたすら我慢を強いられるだけです。

    戦時中の日本では「贅沢は敵だ」「欲しがりません勝つまでは」という節約強制を生み配給制でしのごうとしましたが、今度のロシアでもそのうちソ連時代からお馴染みの配給制に戻るでしょう。ソ連末期や90年代の経済破綻を経験している中年以上のロシア人にとっては、結構忍耐強いかも知れません。

    日中戦争時の中国共産党・国民党軍は広大な奥地まで転戦することにより、日本軍の攻勢をしのぎ続けることが出来ました。今のウクライナは領土面積では中国ほどの広さはありませんが、西側諸国を味方につけることで広く豊富な支援を受けることができています。

    かつての日本は戦局の泥沼化から脱することなく、さらに戦線が広がってABCD包囲網に最後はソ連参戦で決定的な敗北を喫しました。そこまでは至らずに、どこかで双方合意して状況の固定化が図られる可能性はあると思います。

    この後のロシアは、どこかで踏みとどまってウクライナと停戦し、NATO諸国との関係を復活させることが出来れば、日中戦争・太平洋戦争をどこかでストップした場合の日本の別の世界線を見ることになるのかも知れません。

  • 大阪城の人出に思う、憩いの場としての都市公園

    大阪城をぶらぶら歩いてきましたが、桜の開花は満開間近でした。4月初め頃が満開でしょうね。今年は大阪造幣局の桜の通り抜けも3年振りに開催されるそうですし、コロナの脅威は続くものの少しずつかつての日常が戻ってきた気がします。

    画像2

    花見目当ての人が多かったのか、結構な人出でした。意外だったのが結構若い人が多かったことです。学校が春休みですので、子供連れや学生のグループ、恋人同士などなど、平日の割にはお年寄りの割合が少なくて、平均年齢を採ったら結構低めだったのではないかと思います。

    画像3

    人が多いからか、屋台もこの2年では見ないレベルで一番多かったのではないかと思うくらい出ていました。数年前から大阪城公園では、維新の施策もあって、ローソンやスターバックスを始めたくさんのショップ・飲食店が営業していますが、屋台もまだまだ健在ですね。

    画像1

    結婚式終わりなのか、写真撮影している若い夫婦もいました。羽織袴・色打掛の新婦もいれば、ウェディングドレスの新婦もいました。時期的にも良いですね。曇天でしたが桜の華やかさの方が目立ちますし。

    コロナ禍前の大阪城公園は、いつ行っても外国人観光客、特に中国から来たであろう観光客で一杯でしたが、この2年の間では当然ながら非常に減りました。

    今の大阪城でも全く外国人観光客がいないわけではないですが、以前と比べて少ないです。アジア系も白人もいましたが、割合としては日本人の観光客、自分含めた近隣住民などが圧倒的でした。

    花見にしろ散歩にしろ、都市に存在する大きな公園としての地位がコロナ禍によって戻ってきたのでしょうか。

    これはこれで嬉しいことではありますが、外貨を稼ぐことを考えると外国人観光客によるインバウンド需要は手放すことはできません。いずれはかつての賑わいが戻ってくるはずです。戻ってきてもらわないと、とんでもない円安で苦しみ始めている日本としてはたまったものではありません。

    それでも、新型コロナウイルスの脅威が消え去り、外国人観光客が戻ってくるまでのしばしの間だけは、静かな公園を市民の憩いの場として享受できるでしょう。

  • 2022年3月30日W杯アジア最終予選第10節日本対ベトナム戦DAZN観戦の感想

    初戦、そして第3節でも敗戦を喫して98年大会予選並みに厳しい状況に置かれたものの、その後は6連勝で一気に本大会出場を決定した森保ジャパンは、この最終予選の最後の試合をホームで迎えました。

    対戦するベトナムはグループ最下位で日本はグループ首位に位置しますが、お互いにプレッシャーが無い状態ですし、サッカーは何が起こるか分かりません。日本は大幅にメンバーを入れ替えるため、出場機会がこれまで少なかった選手が発奮して大勝する可能性もあれば、実戦での連携不足を突かれてやらかしてしまう可能性だってあります。

    今できることをしっかりやって勝った上で、本大会までの準備期間に入ってほしいものです。

    さてスタメンは当然のように大幅入れ替え。GKは谷ではなくまさかの川島でした。まさかというと失礼ではありますが、川島の実力は分かっているはずなのに谷をフル代表で試さなくていいのですかね。

    その他はまあ予想通り。ガンバファンの私としては堂安にここに居て欲しかったのですが、今さら言ってもしょうがないですね。本大会メンバーに入ればいいのです。

    注目されるのはやはり久保建英でしょうけれど、まだまだA代表ではそれほどチームに溶け込めていないというか、五輪代表のように久保(と堂安)のチームというわけではないので、「チームの中の久保」という地位を確立できていないように個人的には思えます。

    前半、キックオフからずっとベトナムペースで、あわやという場面も結構作られています。DFラインも今までプレーしていなかった組み合わせでもないので、まあまあ不安が先に立ってしまいます。

    ベトナムの前からのプレスを交わせれば日本のチャンスになりますが、むしろプレスに苦しみ正確に前につないでいけないシーンも散見されます。

    日本は調子を取り戻せないまま、ベトナムのコーナーキックから綺麗に合わされて失点。マークもずれていてかなり問題がある試合運びになっています。

    ベストのメンバーから2,3人代わるだけならチームとしてのクオリティを下げずに維持できますが、9人も代えればコンビネーション含め、クオリティが下がるのは分かります。クラブチームでもよくある話ですが、この森保ジャパンに関しては、4−3−3の中盤3人(遠藤・守田・田中)のセットが強力すぎて、3人を入れ替えてしまうとかなり違うチームになってしまっています。

    多分、いつもの中盤トリオがいないなら4−3−3はあまり向いていないのではないかと感じます。

    それでも前掛かりのプレスを交わしてシュートまで持っていくシーンが徐々に増えていきます。しかし得点は奪えないまま時間は過ぎていき、結局前半は0−1というスコアで終わりました。

    先日のオーストラリア戦での三笘の2得点が衝撃的すぎたために、三笘をスタメンにしていないことをもって監督の無能さをあげつらう人もいますが、三笘だってどんな時どんな相手でも簡単に相手を抜き去って得点出来るわけではありません。今の代表チームでの三笘の使い方にはそれなりに理由があることは、この試合を見てもある程度は推測できるはずです。

    もちろん、三笘だけ悪かったわけではなく、誰が良かったと言えるか分からないくらいの前半でした。

    そして日本は後半から伊東を右サイドに入れ、フォーメーションを変更して4−2−3−1でスタートします。やはり4−3−3はいつもの中盤3人がいないと今の森保ジャパンでは無理でしょうね。

    後半は日本が最初から攻め続け、吉田が中盤でパスカットから攻め上がってそのまま残り、原口のシュートのこぼれ球を吉田が詰めて同点に追いつきます。

    吉田の技術と言うよりも、「こんなサッカーをしていて悔しくないのか、恥ずかしくないのかお前ら」と言わんばかりの魂がこもったゴールでした。セットプレーではなく流れの中での吉田のゴールって代表では記憶にないですね。もしかしたらあるのかも知れませんが。

    さらに攻勢を掛け続ける日本は、61分に久保・原口・柴崎を下げて、守田・田中・南野を投入。少しずつ先日の豪州戦スタメンに近付いてきます。

    もう後半はほとんどの時間でベトナム陣内でのプレーが続いています。枠内シュートも前半よりはるかに多くなりました。

    70分、細かくつないで中央突破し、上田のシュートが南野の顔面に当たり、こぼれたところを田中がシュートして遂に逆転、と思いきや南野のハンドが取られて得点取り消し。

    ただ、やることはずっとこのままでいいはずで、あとはフィニッシュの精度だけです。

    78分にはコーナーキックからつないで最後はフリーで吉田がシュートも枠を惜しくも外れました。これが決まらないのも不思議な話ですが、吉田に頼り過ぎと言えなくもありません。

    88分には上田のシュートが決まったと思いきや、その前の縦パスを受けた田中がオフサイドでノーゴール。

    結局1−1のまま試合終了となりました。

    試合前にはアジア以外の予選結果次第では、日本が本大会でポッド2に入り強豪国との試合が減る可能性についても論じられていましたが、それどころではないですね。グループ最下位のベトナム相手にホームで引き分けてしまうのに、本大会のグループ4チーム内で2番手だとは言えないです。

    ヤケドはしていないですが冷や水は浴びせられたようなベトナム戦となりました。

    さて、日本対ベトナムの試合はかくの如く終了しましたが、このアジア最終予選最終節の注目はグループAの3位争いでした。グループBは3位オーストラリアが確定していますので、プレーオフでのその対戦相手となります。

    3位 UAE
    4位 イラク
    5位 レバノン

    試合前はこのような状況で、なぜか先にイラン対レバノンだけ日本時間20時30分開始で、残りのUAE対韓国、シリア対イラクが日本時間22時45分開始となっています。

    得失点差を考えるとレバノンの可能性は低く、UAEかイラクが3位になりそうですが、さすがにどちらが相手でもオーストラリアが勝つかなあとは思います。とは言え、昨年の欧州王者イタリアが北マケドニアに負けるのがサッカーの一発勝負です。

    それは、勝ち上がったアジア第5代表が戦う大陸間プレーオフでも同じで、南米5位にペルー・コロンビア・チリのどこが来ても、どちらが勝つかは分からないものです。

    日本も本大会でポッド2に入ることよりも、重要なことは多分あるはずです。

  • 自衛手段としてのセキュリティソフト選び

    ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、IT業界でも対ロシア制裁と無縁ではありません。一般人でも使用しているソフトウェアにもその制裁は及んできました。

    セキュリティソフトの業界でもそれなりに知名度も利用者もあるカスペルスキーを、アメリカ連邦通信委員会が「国家安全保障上の脅威」に認定したことを発表しました。

    実際にカスペルスキーを使用しているだけで個人や組織の情報がプーチン大統領にまで筒抜けになる状態ではないのとは思いますが、アメリカとしてもあくまでその予防的な措置を講じたのでしょう。切羽詰まったロシア政府がカスペルスキー製品の悪用を強要したときに、カスペルスキー社が対抗できないことを見越しているとも言えます。

    今回はアメリカ政府とカスペルスキーの問題ですが、セキュリティソフトに関しては日本人としても気にせざるを得ません。日本国内でも利用者は結構いるはずです。ロシアやウクライナに渡航もせず、国家機密にも関わらない一般人は例えプーチンに情報を抜き取られたとしても平気でしょうけれど、気にならないと言えば嘘になるでしょう。

    そもそも、日本の国産セキュリティソフトが「ほぼ」存在しないということが日本人にとってセキュリティソフトの選択肢に問題が出てきます。セキュリティソフトは世界中に数多くの種類が存在していますが、

    ウイルスバスター:台湾(アメリカ)
    Norton:アメリカ
    マカフィー:アメリカ
    ESET:スロバキア
    G DATA:ドイツ
    Bitdefender:ルーマニア(ソースネクストのスーパーセキュリティZEROのエンジン)
    Avast:チェコ
    カスペルスキー
    V3:韓国
    F-Secure:フィンランド
    キングソフト:中国
    K7:インド(ソースネクストのウイルスセキュリティZEROのエンジン)
    SOPHOS:イギリス

    こんな風に外国製です。

    あえて言うなら、ウイルスバスターを開発販売しているトレンドマイクロは、元は台湾出身の創業者がアメリカで立ち上げた会社ですが今は本社所在地は東京となっています。これを国産セキュリティソフトと呼んで良いかどうか微妙なところです。

    一切存在しないわけではなくて、
    ハミングヘッズのDeP
    FFRIのyarai
    は日本の会社が作った国産セキュリティソフトです。ただ、どちらも個人向けと言うよりは法人向けですね。個人向けセキュリティソフトとして、ウイルスバスターやNortonと戦えるシェアを持ってはいません。Macでは使えないので私にとっても無縁です。

    そもそもWindows10以降ならWindowsに標準搭載されている、Microsoft謹製のWindows Defenderで個人利用なら十分な防御力があります。もし、Windows Defenderでは防御力が足りないような使い方をする人は、自己責任でちゃんと調べて買えばいいと思います。どんな使い方をするのか分かりませんが。

    Macでもノーガードは危険な時代になりました。昔はコンピュータウイルスはWindowsばかり標的にするからMacは大丈夫!なんていうノーガード戦法もそこそこ通用しましたが、Macのシェアも増えると当然ながらMacも標的になってきます。ファイアウォールや暗号化はOS標準で付いてきますのでその点は安心ですが、ウイルス検知となると何かのソフトウェアを入れる必要があります。

    私のMac miniには、Parallelsを購入したときにバンドルキャンペーンがあったので、それに付いていたIntegoを使っています。フランスで設立されてアメリカに本社を置きイギリス企業に買収されたセキュリティソフトです。当面、日本がアメリカ・イギリス・フランスと決定的な対立をすることもないでしょうから、これでいいかなと思っています。

    ロシアの軍事侵攻がセキュリティソフト業界に影響を与えることになりましたが、プーチンが諦めない限りは色んな分野でこういうことは今後も出てくるでしょうね。

  • アウェイでのサッカー日本代表戦が地上波放送無しになった話題について

    過日のサッカーワールドカップアジア最終予選のオーストラリア対日本の試合が、本大会出場決定がかかる試合なのに日本のテレビ局が放映権を獲得できなかったことからDAZN独占放送になったことで、色々とニュースになっていました。

    DAZNだってボランティアでやっているわけではなく、売上・利益のために放映権を獲得して会員から料金を受け取っているわけで、それを地上波放送で無料で開放されてしまうわけにはいかないのは当然です。

    JFAの田嶋会長はずっと未練がましく未定とか調整中とか交渉中とか言っていましたが、結局は当然の如く当初の予定通りDAZNのみでの配信となりました。

    ただ、ニッポン放送がラジオ中継をすることになったため、音声のみでの放送は無料でされることになりました。これが田嶋会長の交渉だったんでしょうか?

    ともかく、動画での放送が有料ストリーミングサービスであるDAZNのみになったため、サッカーのテレビ視聴率が低迷しているからとか、あるいはテレビ局に余裕が無くなったからとか、DAZNが儲けを貪っているとか様々な角度でアレコレ言われていましたが、究極的にはどれも的外れでなんですよね。

    今回の地上波中継なしという事態が発生した一番の原因は、アジアサッカー連盟(AFC)が代理店と決めた日本国内での放映権料が急騰しすぎたことです。日本だったらどんだけ値上げしても高い価格で買うだろうと、思いっきり足下を見られたわけです。

    日本のテレビ局がとてつもない勢いで売上や利益が爆上げすれば、高騰しすぎた放映権料でも購入出来るでしょうけれど、今のテレビ局の経営状態を考えると難しいどころか無理でしょう。

    4年後の北米(アメリカ・カナダ・メキシコ)ワールドカップの時に放映権の価格が下がっているのか上がっているのか分かりませんが、そうそう急激に下がることはないでしょう。

    格安ではないとしても、せめて適切と言えるくらいの価格にまでは落としてもらわないと、今後の日本代表戦がテレビではほぼ観られないという時代が来ることになります。

    アジアサッカー連盟内での日本の立場をより一層高めていかないといけないのでしょう。AFC内での政治力ということになりますが、今の日本サッカー界でそういう人材をAFCに送り込めるでしょうか?

    Jリーグ前チェアマンの村井満氏や、あるいは昨年途中までガンバ大阪の監督だった宮本恒靖氏なんかを個人的に勝手に妄想してしまいますが、個人の動きよりも他国との連携の方が重要かも知れません。AFC内での放映権料を適正にする動きを他国を巻き込んででも作っていくことの方が、遠いようで近い道なのだと思っています。

  • ソフトパワーでロシアを敗北させたとしての戦後のあり方

    ウクライナのゼレンスキー大統領による国会演説が3月23日に行われましたが、イタリア国会での演説を合わせ、G7の全ての国で議会演説を行ったことになりました。

    彼の演説内容は各国それぞれに対して静かに煽る技巧が含まれていて、優秀なスピーチライターが付いているのではないかとも言われています。それがウクライナ政府内の人なのか、それともこの演説に当たって欧米のどこかから雇った人なのかは知りませんが、戦争では最前線にいる人だけが戦っているのではないということを思い知らされます。

    議会演説の原稿を書くことでもロシアの軍事侵攻への対抗手段になり得ます。

    冷戦崩壊後、アメリカのソフトパワーによる世界への影響力は強大なものでしたが、それは単なる言葉尻だけの「パワー」ではなく、軍事力以外の経済力や文化によって他国に影響力を及ぼしうるということを証明していました。

    そして今、まさに軍事力というハードパワーでゴリ押しの侵攻をしてきたロシアに対して、ウクライナが国内では同じ軍事力で対抗しつつ、国外では演説によるソフトパワーで対ロシア包囲網の結束を固めようとしています。このウクライナ危機は、20世紀前半の戦い方をするロシアと、21世紀の戦い方のウクライナの戦争でもあります。

    ロシアがこの戦争に完全勝利(ウクライナが政府も国民も完全にロシアに屈服して従属する状態)を勝ち取れるとは思えません。もしそうなったらなったでロシアの隣国はベラルーシ以外がNATOに緊急加盟しかねないので、それはそれでさらなる軍事危機が訪れてしまいます。

    むしろロシアは良くて現状の膠着状態、悪ければ敗北してプーチン政権崩壊という事態も当然起こり得ます。私としてはプーチンやその同盟者が世界を支配する未来を見たくないのでそうなって欲しいのですが、そうなったらなったでロシア国内では価値観の逆転現象が起きるでしょう。

    かつて第二次世界大戦後にナチスドイツの加担者がドイツなどで糾弾され罰せられた(今もって行われていますが)ように、ロシアでもプーチンとその戦争に協力していた人や組織は厳しい追及を受けることになります。

    日本でも、太平洋戦争中は「鬼畜米英」と叫んでいた人が、戦後は教科書を黒塗りし、子どもは「ギブミーチョコレート」と米兵にお菓子をねだるようになりました。

    その時に、重大な戦犯はもちろん裁かれるべきですが、ある程度のラインからは寛大に許すしかないでしょう。かつてナチスに強制されたとしてユダヤ人差別に加担した中東欧のヨーロッパ人や、憲兵や特高を恐れて戦争を賛美していた日本人が全員裁かれたわけではないように。

    ある程度の寛大さは、戦後の安定化には必要です。それによって旧勢力や旧思想が残る恐れはあるのですが、少しでも加担した人間全てに重罪を与えてしまうと逆に敵対勢力が大きくなってしまいます。

    問題はそれが出来るかどうか。寛容さを失いつつある西側諸国が、ウクライナ戦争の後の歴史に試されることになります。

  • 国際的ポジショントークを生み出す国際交流という自衛手段

    ロシアによるウクライナへの軍事侵攻に対して、日本でもロシア非難する人が多いのですが、その一方でロシア寄りの立場を取ったり、ウクライナを批判する人もいます。

    もちろん、言論も思想も自由であるべきですからそれはそれで勝手なのですが、じゃあなんでそういうポジショントークをその人がしているのかと考えると、半分くらいのケースではその人自身がロシアとのつながりがあります。

    ロシアに留学していたとか、ロシアで働いていたとか、あるいはロシアと日本の間での経済的なつながりに関わっているとか、そういう人がロシア寄りの言説をするのは理屈としてはおかしくはありません。そういう立場でもロシア批判をしている人は確かにいますが、そうでない人もいます。

    全てがその人の善意と良心からではなくて、その人の立場や経済的利益に基づく言動というケースはあり得ます。

    そういうポジショントークそのものは、どこにでも誰にでもあり得ることですのでそのこと自体は批判するつもりはありません。むしろ日本が当事国になった時のことを考えると、日本寄りのポジショントークをする人を世界中に作っておくべきでしょう。

    日本とどこかの国が揉めたときに、第三者の立場である他の国々からの日本支持を得るためには、いわゆる「日本シンパ」な人が多い方が良いのは当然です。

    日本と揉めている国が実行するプロパガンダに対抗するには、日本の味方となる人たちを国外に作っておかないといけないのです。そのためには日本が日本のみに閉じこもらず外国人を差別せずに多く受け入れる一方で、日本人を外国に送り出す国際交流が一番効果的です。日本は日本だけでやっていけばいいという考え方は、孤高と言えば聞こえはいいですが、いざという時には世界中に日本の味方がない状態を作りかねません。

    日本が正しければ支持する人や国はたくさんいるはず、というのはあまりにナイーブな考え方でしょう。揉め事にしろ戦争にしろ、双方自分が正しいと思っているから発生します。日本と揉める国だって自分たちが正しいと思っているはずで、係争状態になればどちらが正しいかを当事国だけでは決着することは出来ません。

    その係争を軍事力で解決してはいけませんよ、というのが国連憲章に入っていたはずなのですが、常任理事国が絡む戦争においてはその憲章は無視されてきました。

    いざという時に国連は役に立たない、という意見がありますが、より正確に言うと、国連が役に立つ場合と役に立たない場合があるということです。常任理事国・国連創立時の大国が絡んでいる係争案件では国連は紛争解決にあまり役に立ちません。

    朝鮮戦争・ベトナム戦争・ソ連のアフガン侵攻・アメリカの911後のアフガンイラク戦争など、常任理事国が直接軍事行動を起こしている場合は常任理事国は機能せず、国連総会でもせいぜいが非難決議止まりです。

    今回のウクライナ侵攻でもロシアを押しとどめようとしているのは国連ではなくNATOとアメリカの同盟国です。将来的には今回破壊されたウクライナ各所を復興させるのに国連が関与できることはあるでしょうけれど、戦争真っ只中では出来ることはほぼありません。

    国際問題が起きたときに国連を頼ろうとする人と、国連など頼りにならないと切り捨てる人が出てきますが、そもそも現在の国連=国際連合は元々国際的な組織ではなく、第二次世界大戦時のUnited Nations=連合国が母体です。枢軸国に対抗する国家間の軍事同盟でしたから、連合国(米英ソ中)内部での紛争である冷戦や、連合国の一部が当事国となる各種紛争を国際連合は止めることが出来ませんでした。

    今さらUnited Nationsを国際連合(国連)と訳したのが間違いだったとか言うつもりもないですが、前身の国際連盟はLeague of Nationsなのでこれは直訳に当たります。ウィルソン米大統領が提唱して国際組織として立ち上がりましたが、これもまた国家間紛争に関しては常任理事国である英仏伊日が当事国の場合は役に立ちませんでした。

    国際連盟にしろ国際連合にしろ、国際組織が効果的に紛争解決に役立つのはその組織内でのトップメンバー「以外」が当事国の場合です。「国際連合」と呼んでも「連合国」と呼んでも結局は同じなのですが、「国際」と名が付くだけで国家間の上に立っている印象を日本人が持ってしまっているような気がします。

    そもそも「国際」とは何でしょうか? 「国家間」ではなく「国際」と言うからには、国家同士の交際関係を意味しているはずです。

    漢字源には「際」の意味がこう書かれています。

    一(名)
    ❶あい・アヒ。
    ㋐二つの峰が合うところ。
    ㋑すき間。
    ❷境界。ふち。かぎ-り。きわ・キハ。「涯際」「天際」
    ❸〔…の〕あいだ。間柄。まじわり。人との関係。
    ❹〔…の〕とき。前後あい接する時間。時期。
    ❺ある情況が生まれる時機。
    二(動)
    ❶出合う。めぐり合う。あ-う・ア-フ。
    ❷至る。達する。つづ-く。
    ❸まじ-わる・マジ-ハル。
    ㋐交合する。ふれあう。
    ㋑〔人と人とが〕行き来する。接する。

    『国「際」』という言葉自体に、国家同士が出会い、交わり、触れ合い、行き来し合うという意味が入ります。その点が「国際連合」という言葉への幻想につながりかねないのでしょう。

    「国際連合」が役に立たないとしても、「国際」交流によって日本シンパを増やすことで日本を守れるのなら、日本独歩の国粋主義よりは余程日本のためになるのではないでしょうか。

  • 2022年3月24日W杯アジア最終予選第9節オーストラリア対日本DAZN観戦の感想

    勝てばカタールワールドカップ本大会出場決定、負ければ最終節次第だが自力突破が無くなるという、まさに運命の一戦として、オーストラリアとのアウェイ戦がやってきました。

    決められるならこの試合で決めたいものですが、引き分けなら最終戦のアウェイでのベトナム戦で負けなければ突破確定という状況になりますので、最悪引き分けということを頭に入れながらの戦いとなります。

    大迫、酒井、冨安ら不動のメンバーが怪我で抜けたものの、第4節のオーストラリア戦からの中盤3人は変わらずで、フォーメーションも戦い方もこれまでと変わらないことは間違いありません。

    対するオーストラリアも主力メンバーが怪我や家庭の事情で出られないこともあり、日本以上に苦しいメンバー編成のようですが、オーストラリアとしても2連勝すれば自力突破出来るわけですから日本以上に勝ちにこだわってくるはずです。

    1トップとして出続けていた大迫の代わりは浅野が入りましたが、前掛かりになりそうなオーストラリアに対してスピードで優位に立てる浅野の先発起用は結構当たりかも知れません。5年前のワールドカップ出場を決めた試合でも先制ゴールは浅野でしたし、第4節のオーストラリア戦での決勝点のオウンゴールを生んだのも浅野でした。非科学的かも知れませんが、浅野の対オージー適性はあるでしょう。

    今日の試合会場では朝からずっと雨だそうですが、キックオフ時点でも画質の悪い映像越しでも分かる大雨っぷりです。

    最初の5分の試合の入り方はどちらも慎重でした。どちらかというと日本が悪くない展開でしたが、10分には左SBの長友がイエローカードをもらいました。もったいないと言えばもったいないですが、ほぼ毎試合中山と交代していますので、そこまで2枚目をもらわなければいいのです。

    日本は自陣でボールを持っているときに相手のプレッシャーがあれば大きく蹴る、という無理なつなぎをしないことは意識しているように思えます。15分には今度はオーストラリアのメトカトーフにイエローカード。早くも両チームに警告が出たというのは、それだけお互いに厳しく当たっている証拠です。

    19分には浅野、南野とつないで長友がクロスかシュートか、GKのブロックに遭います。ここまでで一番のチャンスでした。

    オーストラリアの攻撃はそれほど良さを感じませんが、コーナーキックなどセットプレーでの怖さは依然としてあります。ただ、キッカーの質がそれほどではないかなとも思えますが。

    23分にはオフサイドになりましたが浅野が裏を取る動きもあり、今日の攻め方の一つはこれだというポイントはハッキリしています。

    24分にはコーナーキックのボールを権田がパンチングできず、後ろにいた山根に頭に当たってまさかのオウンゴール、と思いきや、その前のオーストラリアのファウルを取ってノーゴールとなり助かりました。

    28分には相手PA内で南野がシュートを放つも左に外れました。直後にはオーストラリアのシュートを権田がキャッチ。

    32分には伊東のクロスを南野が頭で合わせるも、クロスバーに当たって真下に弾かれてしまいました。立て続けに南野のチャンスが出てきましたが、お互いに結構攻め合う展開になってきました。チャンスはありますが決めないと嫌な予感もしてきます。いっそのこと膠着状態で90分過ぎてしまった方が良いかもしれません。

    個人的予想ではオーストラリアが攻めて日本がカウンターを狙う展開になるかと思っていましたが、前半はむしろ日本がボールを保持して攻め、オーストラリアがカウンターで一気に攻めてくるようなサッカーになっています。

    37分には左サイドを完全に突破した長友がシュートを打たずにクロスを入れ、南野の当たり損ねたシュートがまたもやクロスバーに当たってしまいます。

    チャンスはあるしテクニックもあるけれど決められないという今日の南野のプレーには、代表とセレッソでの先輩に当たる香川の悪い時に重なります。

    40分にも南野のヘッドもGKキャッチ。直後に右サイドからのクロスをデュークがどフリーでヘディングシュートを放ちました。これは権田の真正面だったから良かったものの、決めるべき時に決められないためにオーストラリアにも同数近くのチャンスをカウンターで与えてしまっています。

    43分には吉田が一人で素晴らしいタックルを決めてピンチになる前に防ぎました。

    その後も結局得点は決まらず0−0で前半終了。ポゼッション率もシュート数も日本の方が上回っていましたが、決定機そのものには大差なかった前半でした。

    展開も内容も事前の予想とは誰もが異なっていたと思いますが、後半に日本側から戦い方を変えるのは難しいところです。オーストラリアの方が先に動いてくるでしょうけれど、そこをしのげればチャンスが来るはずで、そこで決めてしまえば後は楽な試合になります。

    後半開始からオーストラリアはカードをもらっていたメトカトーフを交代させました。戦術的な交代なのか、2枚目のカードが怖いためか。多分どちらもあるのでしょう。

    後半開始直後に直接フリーキックで狙われましたが権田が落ち着いてパンチング。その後にもデュークのシュートは辛くも枠を外れました。

    しかしその後はまたどちらかというと日本ペースで、54分には浅野のボール奪取からのファウルでステンスネスにイエローカードが与えられます。

    それでも62分には中央突破から浅野が反転してシュートもGKにキャッチされます。その直後の波状攻撃は実りませんでしたが、解説の岡田氏も言っていたように、前半のオープンなサッカーよりも落ち着いた内容になりました。

    63分に日本が動きました。いつもの長友から中山へのスイッチは想定内ですが、結構早い時間で浅野からJリーグで好調の上田綺世への交代となりました。

    浅野は得点アシストは無かったものの持ち味を発揮しまして、大迫の穴を埋めたと言える出来でした。

    遠藤・守田・田中の中盤トリオはかなりの安定感を見せてくれています。守田は多分今後も代表の主軸になるのではないでしょうか。

    69分、日本に次いでオーストラリアも2人交代。

    70分には上田がシュートも枠の右。その前にもGKに猛然とチェックに行くシーンがあり、その後にも相手からボールを奪えるシーンもあり、上田の状態の良さを感じます。引き分けを意識しないといけない時間帯には、前線で正確なボール奪取にいける上田の存在は貴重です。

    後は疲れてくるはずの伊東と南野を誰に代えるかですが、原口が第一選択肢でしょう。

    80分には伊東、守田とつないで南野のシュートもまたブロックに遭って決められず。後半これまでで最大のチャンスでした。

    84分には田中と南野を下げて原口と三笘を投入。オーストラリアも4人目の交代です。いよいよ終盤です。オーストラリアは死に物狂いで得点を狙い、日本は失点しないことを最優先にしつつ攻める姿勢を見せつつ、というサッカーになってきます。

    気が付いたらピッチ上は雨が止んでいるのでしょうか。もっと前からそうだった気がしますが雨どころではありません。

    87分には最終予選の新星、伊東がシュートもGKが防ぎました。

    その後も右サイドから攻め続け、89分、守田のパスに山根が折り返して入って来たのは三笘薫! これで日本が先制してワールドカップ本大会出場に大きく近付きました。

    残るアディショナルタイムは4分。後は守りを固めるかと思いきや、左サイドの最も得意とする位置から三笘が中に切れ込んでドリブルシュートを決めるえげつないプレーでオーストラリアの心をボキボキに折り、0-2という日本の勝利で試合終了となりました。

    三笘の2点目はJリーグで何度も川崎以外のチームがやられたシーンだったので、やられたオーストラリアに既視感を覚えたJリーグサポーターも多いんじゃないでしょうか。

    終わってみれば結局は日本とサウジアラビアが一つ頭抜けていたグループBとなりましたが、オーストラリアは何で毎回日本と同じグループにされるんだと思っているでしょうね。グループAは韓国とイランが頭2つ抜けていたグループなんで、結局同じですけどね。ホームでのオーストラリア戦の時にも思いましたが、オーストラリアは4年前よりも選手層が薄くなった気がします。

    森保ジャパンは数名抜けても強さは維持できる状況になりましたが、今の中盤3人は結構抜けるとヤバそうな気もしますが、そもそもそのセットを作ったのは森保監督の功績のはずです。

    解説の岡田氏が、森保監督を強いですよ、と試合中も試合後も評していたのが印象的でした。批判される人は成長しますよ、批判する人は成長しないけれど、と言ったのも、同じ立場だった人だからこそ言いたい台詞だったのでしょう。

    オマーン戦の敗戦、中国戦の辛勝、そしてサウジアラビア戦の敗戦で過去最大級に日本代表や森保監督を非難していた人はたくさんいました。非難と批判は違うよなと思いつつ、サッカーというのは終わるまで分からないもので、目を潤ませながらインタビューに答えるキャプテン吉田麻也にもお疲れさまと言いたいものです。

    試合後の記念写真を撮っているメンバー・スタッフの笑顔は良いものですね。

    さて、次はホームでのベトナム戦です。試合結果よりも試合内容や選手選考の方が注目される消化試合ですが、ここからが本大会メンバーへの競争ですね。

  • クラブに道無き時にサポーターが取るべき手段とは

    イングランドプレミアリーグのチェルシーを所有する大富豪、アブラモビッチ氏がプーチン大統領と懇意だということで、チェルシーに対しても様々な制裁や制限が英国政府とイングランドサッカー協会・プレミアリーグから下されたことで、チェルシーはにっちもさっちもいかない苦境に立たされています。

    大金を費やしてクラブを世界的強豪に押し上げてくれたアブラモビッチオーナーに対して感謝しているチェルシーファンは多いのでしょうけれど、アブラモビッチ氏を礼賛するチャントを歌ったり、横断幕を掲示したりしているそうです。

    さすがにそれはどうかと思いますが、そのことを理由にしてクラブに対して制裁が下されるのかどうかは微妙なラインかも知れません。ハッキリしたペナルティよりも、同リーグ内での孤立や世界的な人気低下といった悪影響の方が大きいのではないでしょうか。

    ただ、全てのファンがアブラモビッチ氏賛美をしているかどうかはまた別の話でしょう。そもそも氏を非難するファンは今はスタジアムに行かないという選択肢を取っている可能性もあります。

    チームや選手・指導陣に対しては支持しても、クラブやその運営方針に対して反発するファンは、チェルシーに限らず結構いると思います。

    先日のヴィッセル神戸における人事に関しても、神戸ファン・サポーターの中には納得出来ない人もいるはずです。

    https://hrsgmb.com/n/n3ae2e9552040

    クラブに対して、あるいは強化方針に対して、チーム状況に対して、勝敗に対して不満を全く持っていないファンやサポーターなんてほんのわずかしかいません。誰もが何かしらの不満や物足りなさを持ちながら、好きなチームを応援し続けるというのがサッカーファンというものですが、その不満を表現する方法は感情の赴くままにしてしまうと大変なことになります。

    我が愛するガンバ大阪でも、一部の過激なファンが起こした大問題でクラブが処分を下されたことが過去に何度もありました。

    ただ、クラブに対して迷惑というか大迷惑をかける方法が本当にファン・サポーターとして取るべき手段とは私には全く思えません。

    人それぞれと言えばそれぞれなのでしょうけれど、限度というか節度というか、守るべきルール・規則は存在します。過激な人たちは、そのルールを逸脱することでクラブに圧力を掛けるのだ、という理屈なのでしょうけれど、それは諸刃の剣というか、プラマイゼロよりはどう考えてもマイナスになります。

    全く別のnoteにて、蘧伯玉という古代中国の人の生き方について書いたことがありますが、

    https://hrsgmb.com/n/n50d7695976a1

    古代中国春秋時代の衛の国の大夫だった蘧伯玉は、孔子と同時代の人でしたがその在り方、挙措進退を孔子は何度も絶賛しました。
    その頃の衛の国は、君主やその家族、近臣などの権力抗争によって乱れており、大夫としての国家・君主への仕え方が難しい時代でしたが、蘧伯玉の生き方を孔子は、
    「蘧伯玉という人はなんと優れた君子だろう。国家に道ある時は進んで仕え、国家に道無き時はすぐに退きその才能を懐に巻いて収めた」

    ファン・サポーターとしても、愛するクラブに道無き時には退いて下がる方があるべき姿かも知れません。

    愛の形はどうあるべきかという思想にもつながるのでしょう。暴言や暴力で相手を従わせるのが愛と言えるでしょうか?